第38話
週末の夜、学校でパーティがあった。中庭で行われるアメリカの在校生との交流会だ。男子はジャケット、女子も軽目のドレスを持ってくるように言われていた。男子生徒はドレスアップしていつもより素敵に輝いている女性陣に浮足立つ。が、女性たちはアメリカの男子生徒に浮足だっていた。アメリカ側は男子生徒十数名が参加している。初めて見る校長の短い話が終わると会食が始まる。テーブルには、ステーキやピザ、フライドポテト、フライドチキン、ポークアンドビーンズなどアメリカンな料理が並んでいた。始めこそ皆、静かにしていたが、若さとアルコールの力で三十分もしないうちに賑やかになってきた。瓶ビールやシャンパンが次々と空になっていく。あまり言葉が通じないものの、スマホを使って話をしたり、SNSではやっているダンスを動画に収めたり、写真をとったりと、もう自分の席に座っている人間は居なくなっていた。男子の方では腕相撲大会が始まっている。アニメの歌を日本語で歌えるアメリカ人もいて大盛り上がりだ。
上地は端の方で座って葉巻をくわえている校長を見つけた。近寄って行って、
「美味シイデスカ?」
と英語できいてみる。
「吸ッテミルカネ。」
校長は箱から一本取り出し、葉巻の端を専用の工具で切り落とし、火を付けて上地に渡した。
一口すってみる。
「ゲホッ、ゲホッ。」
「吸ウンジャナイ。口ノ中ニ煙ヲ入レテ味ワウンダ。見トケヨ。」
校長は、一口吸い込み煙をころころと口の中で味わい吐き出した。
「ヤッテミロ。」
軽く吸い込み、五秒ほどで吐き出した。
「ドウダ?」
タバコさえ吸ったことのない、上地に味などわかるはずもなく、が、
「グッド。」
といって親指を立てた。
「センキュウ。」
と言い背をむけ、葉巻を口にくわえ、みんなの輪の中に向かっていく。ギャングスターにでもなったかのような気分で肩を怒らせて歩く。
「あー、上地ぃ!」
輪の中から皆の歓声が上がる。煙を上に大きく吐いた。吐き出された葉巻の煙は、賑やかな夜の空へと舞い上がり、そして静かに消えていった。
翌日はニューヨーク観光のため、バスに乗ってホテルを出発。昨晩の疲れも見せず、初めてのニューヨーク観光に皆興奮気味だった。が、やはり十分ほど走ると急にバス内が静かになり、ウトウトとし始める人が出てきた。
「はーい、着きましたよ~。」
通訳人の声で目覚める。彼女は、この日の観光案内も担っていた。バスを降りると駅についていた。ニューヨークのグランド・セントラル駅だ。駅というよりは、一歩入るとまるで大聖堂のような壮大な建物だ。大きなアーチ形の天井には、きらめく星座がちりばめられている。上地は、それよりもどうしても見たいものがあった。観光案内をうわの空で聞きながら、目的のものは何処にあるかと、辺りに目を配る。それは映画にもよく登場する有名な時計、グランドセントラルクロックだ。オパールで出来た四面時計。そしてとうとうその時計の前にきた。皆もそれを写真に収める。上地は今、目の前にこの時計があることが、いや、時計の前に自分自身が立っていることが信じられないような気持だった。ノスタルジックな雰囲気をまとったその時計に、自分は今、ニューヨークに居るんだということを再認識させてもらっているようだった。頭の中ではあの映画のシーンが流れている。三世代の女性の物語。誰かは誰かの子で、誰かは誰かの親になり、紆余曲折有れども、時代は流れていく。それを見守る時計。その時計が今も時を刻んでいる。昔から、ずっと。人々が時代を紡いでいくのを見守ってくれている。
「おい、上地。行くぞ。」
村上に背中を押され、通訳人の説明をぼんやりと聞いていた彼は、はっと我に返った。針が進むのをもっと見ていたかったが、流れに押されるようにグランドセントラルロックを後にした。
駅の中にはたくさんの土産屋、パン屋、菓子屋、果物屋などたくさんの店が入っている。ここで一時間ほどの自由行動になる。昼食も各々で済ませておくようにと指示があった。上地は自分用にトートバックを一つ買う。キャンバス生地に赤、緑でエジプトの象形文字が描かれ、その上に重ねる様に何やら英語が書かれているバックだ。筆記体で書かれた英語は何と書いてあるかはわからないが、ニューヨークのデザイナーが手掛けているのだと思うと、その奇抜なデザインが一目で気に入った。皆もへんてこな靴下や、よくわからないような置物、カラフルな腕時計など気に入ったものを見つけ買っている。それから大谷や村上とパン屋に入り、シナモンロールとコーヒーで簡単に昼食を済ませた。
「それでは今からブロードウェイミュージカルを見に行きまーす。」
今日のメインイベントだ。自由時間が終わり、駅の入口に集合していた。上地はミュージカルの方はあまり興味がなかったが、もちろん演劇学校でもミュージカルはやる。今日は勉強の為、ニューヨークのミュージカルの観劇だ。演目は「オペラ座の怪人」。劇場に入ると皆が小さく感嘆の声を上げる。全員が初めてのブロードウェイの劇場だ。舞台のすぐ手前にオーケストラが構えている。何故か上地は緊張していた。
「やばい、なんか緊張してきた。」
「俺も。」
「なんでお前らが緊張すんだよ。舞台上がって演じる気か?」
隣に座った佐藤先生が笑っている。何度も来たことがあるのだろう。余裕が感じられた。
「いや、なんか空気に飲まれるっていうか。」
「うんうん、わかる。そんな感じ。すごいな、ここ。しかも満員じゃねえ。何人収容出来るんだ、ここ?」
「ていうか、ミュージカルだろ。俺ミュージカルって観るの初めてなんだよね。」
と村上が言う。
「おい、お前ら始まるぞ。静かにしろ。」
辺りが暗くなり、幕が上がる。セリフはもちろん英語だが、有名な作品なので内容は把握しているため、それは気にならなかった。それよりも演者の歌唱力、オーケストラの迫力ある演奏、きらびやかなシャンデリアを筆頭に舞台装飾に圧倒された。上地は一番目を奪われたのは、バレリーナの指先までしなやかに伸びる体の線だ。美しい。産まれて初めてその言葉を口にしそうなくらいに美しかった。彼は正直、バレエというものは、退屈なのもだと思っていた。しかしプロのバレエダンサーに引き込まれた。手の指先から足の指先まで全神経をめぐらし、その体を一つの途切れることのない線の様に滑らかに、しなやかに動かす様に、彼はとらわれてしまった。彼だけではない。すべての人が目を、心を奪われていた。休憩を挟んでの二部構成だったが、長いと感じることはなく、あっという間に終演となった。はらはらしたシーンや、衝撃のシーンの多い演目だった。終わってバスに乗って帰る時も、皆、興奮冷めやらぬ様子で口々に感想を言い合っていた。
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