第33話

「俺やっぱ、帰るわ。祭りは行かねえ。」

「えっ?上地さん?ちょっ、、、」

「上地さん行かないんすかぁ。袴田さん、上地さん行かないって。」

彼はそう言うと、振り返らずに自転車を走らせた。何も言わない袴田の視線だけが気になった。途中、祭りの喧騒の端を通ることになったが、そちらは見向きもせずに走った。もし中村があの男と歩いているところを見てしまったらと思うと、怖くて仕方なかった。

 家に着く。誰も居ない。道着を詰め込んだバックを洗濯場まで持っていき、中身を洗濯籠の中に放り込む。靴下を脱ぎ、それも籠の中に放り、それから冷たい水で顔を洗った。

 台所に行って、いつものようにコーヒー牛乳を入れる。インスタントコーヒーをマグカップに入れて、湯を沸かし、マグカップ半分まで注ぐ。角砂糖を一つ入れる。スプーンで混ぜる。嗚咽が漏れる。小さく。誰にも聞かれないように。小さく。抑え込むように。涙が流れて、マグカップに中に入る。一粒。また一粒。小さな音を立てて。角砂糖を入れる。一つ。もう一つ。嗚咽大きくなる。涙も止まらない。

上地は、自分がこんなにも悲しくなるなんて思ってもみなかった。中村が誰かの彼女になるだなんて考えもしなかった。ただ、近くで見ていられることが幸せで、それがずっと続くと思っていた。告白だなんて、怖くて出来なかったから、付き合うことを望んでいない、そう思うことにした。その差が出た。隣にいることを望んだ男と、ただ近くで見て満足の男の差がはっきりと出た。隣に居られるのは勇気を出した者だけだ。彼は今更ながら、勇気を持たなかったことに後悔した。涙を流したことで、本当の気持ちに気付いてしまった。本当は彼も、中村と二人で歩いている自分を想像したはずだった。そうしたいと想ったはずだった。

また、角砂糖をつまみ、一粒。もう一粒入れる。全部で五粒。袴田がいつも飲んでいるコーヒー牛乳の砂糖の量だ。スプーンでゆっくりと混ぜる。冷蔵庫から牛乳を出して、マグカップいっぱいまで注いだ。最後にまたスプーンで混ぜ、自分の部屋へと向かう。階段の途中で一口飲んだ。

「あまっ、、、甘ぇよ、これ。」

部屋に入って、机に座ると、少し落ち着いてきた。彼は、甘い甘いコーヒー牛乳を、「あめぇ、これ絶対病気になるやつだ。」とブツブツ文句を言いながら、ちびちびと飲んだ。先程、口の端から入ってきた涙の味が、甘いコーヒー牛乳の味に変わった。


翌日。

透き通った水で薄めたような色の中に、薄く細い雲がいつもより高くある。

「おい!」

登校していると、右肩を叩かれた。顔の横に、袴田の顔がある。

「まぁ、元気出せよ。」

そう言って肩を組んできた。

「うっせぇな。」

笑ってごまかす。昨日は袴田のコーヒー牛乳に助けられた。

「そういえばお前、あのコーヒー牛乳やっぱり、砂糖入れ過ぎだかんな。」

「は?何だよ急に。」

「病気になるから、気を付けろって言ってんの?」

「だから、なんで朝からいきなりそんなこと言ってんだよ。」

袴田は組んでいた肩を放し、手に持っていたバックで上地の背中にぶつけた。と同時に逃げ出す。

「っの野郎!」

上地は笑いながら追いかけた。いつの間にか、上地の心は天高く舞い上がる秋の雲のように軽くなっていた。



冬休みが来た。正月、上地のもとに年賀状が届いた。袴田と後輩三人からと、それから中村から。遅く起きた彼は、リビングのテーブルの上に置かれた自分あての年賀状を見ていて、動きが止まった。ゆっくりと立ち上がり、自分の部屋へと大きな音を立てないよう、急いで上がる。中村からの年賀状を手に取り、残りは机の上に置いた。喜びと同時に、疑問が生まれる。ハッピーニューイヤーと英語で書かれた文字の下に、彼女が手書きで書いた干支の絵。その干支の絵から吹き出しが出て、「キャプテンがんばろうね」の文字。ベッドに横たわる。両手で年賀状を掲げ、ジッと見つめる。頭の中で、喜びが消え、疑問だけが大きくなる。

(なんで?おれに年賀状?住所は誰かに聞いたとして、、、なんで?彼氏いるのに?なんで?何がしたいんだ?こんなの貰ったらまた嬉しくなって、、、なんで俺に年賀状なんて出すんだ)

同じ疑問が、何度も何度も頭の中で繰り返すし生まれる。年賀状に書かれている文字を何度もなんども読み返す。「キャプテンがんばろうね」「キャプテンがんばろうね」「キャプテンがんばろうね」・・・・

(何処かで言われたような・・・)

記憶を探る・・・学校…弓道場・・・・!

(思い出した!河原で言われた言葉だ!二人でケーキを食べた後。中村さんの誕生日に。そうか、、、そういうことか、、、、そうだったのか。ここに書かれた言葉通りだ。あの時言われた言葉通りだ。中村さんは、ただキャプテンとして俺とうまくやっていきたいだけだったんだ)

思わず笑いが込み上げてくる。

(それを俺は勘違いして、勝手に嬉しくなって、勝手に惚れて、勝手に勘違いな妄想して、そうか、そういうことだったんだ。キャプテンがんばろうねだ。それだけだ。それだけだったんだ)

なんだか、全部吹き飛んで、すっきりとした気持ちになった。ずっと心の奥に引っかかっていることだった。大事な誕生日を、短い時間とはいえ、なぜ自分なんかと一緒に過ごしたのか?なぜ一緒にケーキを食べたのか?流れの中でそうなってしまっただけだったのか?何か思うところがあって、そうしたのか?そういうことだ。キャプテン同士というつながりの中で、一緒の弓道場を使っている同士、仲良く、うまくやっていきたいだけだ。そうだったんだ。

一人納得して、笑いが止まらない。自分の馬鹿さ加減に笑いが止まらなかった。誰かにこのことを話したくなった。上地は机の上に置いた年賀状を手に取り、袴田からの年賀状を見た。そこには今年もよろしくの文字の下に、何故か干支の絵ではなく、栗鼠と栗の絵が描かれていた。机の上に無造作に置かれているスマホを取り、袴田に電話を掛ける。ワンコールで相手が出た。

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