第29話
夏が過ぎ、秋がいつの間にか終わり、冬が来て、鳥が囀る春になった。久しぶりに見上げた空は、気持ちのいいほど晴れ渡っている。上地はN校にいた。めきめきと成績を上げ、担任からも、これだと大丈夫だ。自信持って行ってこいと背中を押されるほどとなった。入学試験が終わった後も、緊張することなく合否の発表を待つことが出来た。N校には同じ中学からの人たちも沢山いたが、サッカー部の同級は一人もいなかった。彼は少しほっとした。もう、サッカー部の同級の目を気にして生活しなくてもいいことが。自身でも少し驚いたくらいだった。やはりサッカー部を辞めたことに対する罪悪感にも似た心の重みは大きかったようだ。
高校生活が始まった。新しく部活を選択しなければならない。N校は、ほとんどの学校がそうであるように、基本的には、何かの部活には所属しなければならないという校則がある。上地は、運動は嫌いではなかった。いや、どちらかというと好きな方だ。運動部に入りたいが、また途中で辞めて、人に迷惑をかけてしまうのではないかという迷いがあった。サッカー部はもとより、チームでやる部活は特に気後れした。
そんな中、昼休みのこと。
部活に何に入るかという話題が教室にいる女子の方から聞こえてきた。上地もまだ友達が出来ていなくて、一人教室の片隅に座っている。
「ねぇ、ねぇ、部活何に入るか決めた?中村さんってバレー続けるんでしょ?」
「ん~、実は迷ってるんだよね。」
「えっ、なんで?」
「だってバレー部って厳しいじゃん。」
「あぁ、まあ女バレつったら厳しいよね。ふつう。」
「だから、バレーは中学で終わりにしよっかなって。」
「え~、もったいない。だってあなたキャプテンだったでしょ。だったらうまいんじゃないの?」
「そんなことないよ。あれはただの阿弥陀くじ。」
「うそ。そんなんでキャプテン決めるんだ。ウケる。」
「ウケるでしょ。だからちょっと疲れちゃったし。」
「じゃあ、何部に入るの?」
「実は・・・弓道部なんてどうかと思って。」
「弓道部!?へ~意外。」
(弓道部!)
上地は思った。良いかもしれない。団体競技ではないし、もし辞めたとしても誰にも迷惑はかけない、、気がする。それにちょっと面白そう。
「あの・・・」
彼は女子の話している机に近寄って行って聞いてみた。
「弓道部って男子・・・あるかな?」
いきなり話しかけられて、一瞬驚いた表情をした中村が、すぐに笑顔を作って言った。
「うん。あるよ。」
弓道部の見学には五人の生徒が来ていた。うち一人は上地だ。弓道場は学校から出て、一キロほど離れた市の運動場の一角にある。市の運動場は整備されていて、サッカー場、野球場、テニスコート、温水プール、武道館、体育館、スケートパーク、児童公園といった多様な運動場が広大な敷地に広がってある。小さな川にかかる橋を渡ったその先に、弓道場はあった。
「座って見学してもいいけど、ここ道場だから座るんなら正座してみてね。」
清潔感のある弓道着を身にまとった先輩が話しかけてきた。
「あと、あそこに神棚あるだろ。」
そう言って天井に近い場所を指さして、
「あの神棚に、弓道場に入る時と出る時はきちんと一礼して。弓道はまず日本のしきたりみたいなことから入るから。」
見ると濃い緑色をした榊を両側に構え、立派な神棚が置かれている。弓道場全体も清潔感に溢れ、丁寧に利用されているのが一目で見て取れた。
「はい。」
一年全員が頷きながら返事をする。物静かだが、少し張り詰めたような緊張感があった。女子弓道部と男子弓道部は合同で練習している。真ん中で別れ、的三つずつで練習していた。上地は結構部員数いるな、と思った。あまり人気のないスポーツかと思っていたのだ。女子の方を見ると、一緒のクラスの中村もいた。何となく見ていると目が合った。慌てて目を反らす。
練習がひと段落したのだろうか。一人の先輩が寄ってきた。
「よし。お前ら、ただ見てるだけじゃ暇だろうから、俺が行射教えてやるよ。ちょっとそんなにくっついて立ってないで、もうちょっと広がって。そうそう。じゃあゆっくりとやるから、俺の真似しろよ。ああ、そうだ。まず呼吸だ。弓道は呼吸が大事だからな。呼吸はゆっくり、鼻ですって、口で吐く。鼻詰まってる奴いねぇか。スー、、、ハー、、、。そうそう。ゆっくり集中して。まずはこう、基本の姿勢だ・・・・足踏み、、胴造り、、弓構え、、打起し、、会、、、」
ゆっくり、丁寧に先輩の真似をして弓を射る真似をすると、なんだか気持ちが良くなってくる。身体の血液が落ち着いて、ゆっくりと全身を巡るようなイメージが浮かんだ。
「そしたら、しっかり的を狙って、離れ!」
矢が飛んでいくところを想像する。
「まだだ、残身残心。」
最後まで、ゆっくり。気持ちを整えるように、ゆっくり、終わっていく。
「どうだ?」
何人かが苦笑した。
「どうだって言われても、、、。」
一人の一年が、首を傾げながら、少しニヤついて答えた。
「あ、僕は、、気持ちよかったです。なんか上手く言えないけど、、落ち着く感じが、、、。」
上地はそう答えた。
「そうか。まぁ、とらえ方は人それぞれだけど、単純に言えば、弓道の練習は、これの繰り返しだ。毎日毎日、今の作法を繰り返して矢を射る。」
「飽きないんですか?」
先程の一年が質問する。
「飽きないね。毎日同じことをやってるけど、全然飽きない。なぜだかわかるか?」
「・・・」
今度は全員が黙った。
「例えば、寿司屋の職人さんが、毎日寿司握っているのに飽きないのと一緒だよ。わかるか?」
「・・・?」
「集中だよ。集中。集中してたら、毎日毎日寿司握っていても飽きないんだ。それと一緒だ。集中して一射、一射、矢を放つ。そしたら毎日同じことをしていても全然飽きない。その代わり集中してやらないとすぐ飽きる。寿司屋も弓道も集中できなくなったら引退だな。、、、要するにだ。弓道をやっていると自然と集中力が付いてくる。これは勉強にも応用できる。集中して勉強できれば、良い大学にも入れる。」
「ははっ。」
笑い声が聞こえた。先輩の後ろから、もう一人の先輩が来て言った。
「偉そうに講義してるけど、こいつ数学赤点取ったことあるからな。」
「おい!それを言うなよ!」
みんなから笑いが漏れた。後から来た先輩が言う。
「まぁうちは、はっきり言って弱小チームだから、そんなに気負わなくてもいいよ。顧問も三年の担任だから忙しくて、一か月に一回顔出すか出さないかみたいな感じで、そもそもあの人弓道知らないしな。ああ、コーチはいるよ。週に一回程度だけど、ボランティアで近所のおっさんが教えに来てくれるから。それ以外は俺たちが教えてやるよ。みんな素人だろ?弱小でも素人に教えるくらいは出来るから。」
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