第28話
中学三年生になった。クラスにはサッカー部の連中が居なくて、上地は少しほっとした。一緒のクラスになったら、少し気まずいかなと心配していたのだ。
夏が近づき一学期が終わるころ、昼休みが終わって、全校集会が体育館で開かれた。大勢の制服を着た学生たちが規律よく並んで立っている。陽が入らないように体育館の南側の窓には黒いカーテンが引かれている。校長が壇上で話しだす。
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「皆さん、こんにちは。そして、県体に出場された皆さん、お疲れさまでした。文武両道を目指すわが校は、勉強だけではなく、しっかりとスポーツの技術向上と精神向上にも励んで心身ともに健康な中学生活の糧となるよう努力を積み重ねて、毎日の・・・」
上地は、県体があったことを知らなかった。毎日学校から帰ると、新聞配達と、映画とラジオが日課の彼には関係のないことだった。
「そんな中で、見事優勝を飾り、全国大会への切符を手にした部があります!」
わぁ!と一部の生徒から歓声が広がる。
「サッカー部の皆さんです!どうぞ!」
(えっ)
顔を上げる。壇上の脇から、サッカー部員たちがずらずらと出てくる。
(まじか)
皆清々しい笑顔で並んでいる。
(まじかよ、あいつら)
上地の鼓動が早くなる。
(ほんとにやりやがった。全国行きやがった)
「それでは、部長の浜田さんから一言お願いします。」
嬉しそうな、とても満足げな笑顔の校長からマイクを渡される。
「え~、皆さん、本日はお日柄もよく・・・」
ドッと笑いが生徒たちから溢れてくる。
「ああ、違うか。すいません。え~、僕たちサッカー部は、見事県大会を制し、全国に行きます。」
大きな拍手が鳴り響く。
「ありがとうございます。もちろん僕たちはこれで満足しているわけではありません!全国大会では一勝でも多く勝ち抜き、県代表として恥ずかしくない戦いをしてきます!どうぞ、応援よろしくお願いします!」
上地は壇上から目を離さなかった。いや、離せなかった。眩しいほどに輝くサッカー部のみんなから目を離すと、なにか暗い、真っ暗な穴の中に入り込んでしまうような気がした。足も、ちょっとでも動かすと、途端に崩れ落ちてしまいそうで、微動すら出来なかった。誰かが自分のことを見ているような気がした。誰かしらは自分のことを元サッカー部員と認識していて、逃げ出した自分をあざ笑っているのではないかと疑心暗鬼に陥った。
彼は見上げていた。静かに。壇上に居るサッカー部員のみんなを見上げていた。自分は同じ高さに居ない。逃げ出した。一人逃げ出した。すごい。すごいよ。お前ら。やったな。おめでとう。情けない。逃げた。自分だけ逃げた。賞賛、後悔、感動、焦燥、期待、悲観、喜色、羞恥、感嘆、いろんな感情が彼の中に入り乱れた。鼓動が大きくなる。苦しい。膝を抱えて座り込みたい。それでも、彼はじっと壇上を見続けた。それだけが彼に出来る唯一のことのように。
二日後、二者面談があった。カーテンが揺れる。放課後の部活動の活気ある声が初夏の風と共に窓から入ってくる。上地は担任と教室の机を移動させ、向かい合わせに座っていた。
「上地は、進路どうするつもりだ?」
「N校受けるつもりです。」
「N校、、、」
「はい。」
「N校かあ。ちょっと今の上地の実力じゃあ、はっきり言って難しいと思う。先生としては、あまり危険な綱渡りのようなものはお勧めできない。今の実力ではH校かS校が妥当だと思うぞ。」
「はい。わかってます。わかってますけど、ちょっと頑張ってみたいんです。」
「う~ん、、、そうかぁ。まぁ、今すぐに決めなくてもいい訳だから、、、夏休みにかかってるぞ。わかってるか?」
「はい。わかってます。」
上地は学校から帰りのその足で、新聞販売所に行き、
「受験に専念したいので、勝手言って申し訳ありませんが、辞めさせてください。」
と言った。
「わかってるわよ。三年生だもんね。じゃあ、あと少し、今月締め日までやってくんない。その方が有難いんだけど。」
と、販売所のおばさんは理解を示してくれた。
それから彼は、毎日の日課だった映画とラジオは封印した。夏休みに入り、塾の夏期講習に通い始めた。ひたすらに、教科書や参考書の文字を頭に叩き込んだ。今まであまり一生懸命勉強してこなかった分、伸びしろは十分にあった。苦手だと思っていた数学も仕組みさえ理解すれば、それほど難しくないことを知った。ただ、数字や記号に惑わされているだけなのだ。どんなに複雑に見えても、一つずつ解いていけば自然と答えにたどり着いた。急に勉強し始めた上地に、両親は少なからず驚いていた。上地の両親はどちらかというと、放任主義の人たちだった。学校の先生から、
「息子さんは、やればもっと出来ると思うんで、ご両親からも勉強に力を入れるように言ってもらえませんか?」
と言われても、
「いや、、、私は、、、勉強させたかったら、先生から言ってください。」
という始末だ。先生からすれば暖簾に腕押しのような気持だっただろう。そんな上地が急に勉強し始めたのにはもちろん理由がある。きっかけはサッカー部の全国大会出場。この知らせに彼は自分の今の立ち位置がわからなくなっていたのだ。自分は何もしていない。宙ぶらりんの状態。地に足がついておらず、どこに進むにも足が空を蹴る。そんな状態を彼なりの考えでどうにか動こうとしている。それがN校に進むという、彼の出した答えだった。高望みなのはわかっていたが、だからこそ挑戦したかった。頑張りたかったのだ。何か一つでもいいから、サッカー部の連中に顔向けできるような、いや、自分自身に向き合えるような努力がしたかった。県優勝、全国大会出場。言葉にするのは簡単なことだけど、サッカー部の彼らは人波外れた努力をしたに違いない。毎日泥だらけになりながら、ボールを追いかけて練習に励んだことは想像するに簡単なことだ。上地はそのことを知らなかったことも、自分が毎日好きなように日々を過ごしてきたことに、少なからず恥じるような気持があった。だから、勉強だけでもがんばろう。恥じぬように。サッカー部の連中に。自分自身に。そう思っていた。
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