第15話

二、三日して、父親の仕事が休みのある平日の日、

「おい、釣り行くぞ。」

と声を掛けられた。上地は素直に従いついて行った。車で一時間くらい走ると道が細くなり木漏れ日の中を、体を右へ左へと揺らしながら、川の上流に入っっていく。兄弟三人がまだ小さいころよく家族で川へキャンプに出掛けた。父親の趣味である釣りもみんなで楽しんだ。今日は二人だけだ。カーステレオからラジオの音が聞こえる。音楽が鳴り始め父親が一緒に口ずさみだした。

「ドン ウォリ、ビーハッピィ、テゥーテゥッテゥーテゥテゥテゥ・・・・・・」

「なに?知ってる曲?」

「ああ、有名な曲だ。」

「誰が歌ってるの?」

「ん~、知らない。そういうのは父さん苦手なんだよ。歌手の名前とか覚えるの。でもベタリクだよ。」

「ベタリク?」

「べたなリクエストってこと。」

「良くないってこと?」

「いいや、その逆。みんなが好きな曲ってことさ。」

父親は音楽に合わせて口笛を吹きだした。カーステレオからは、ドンウォリ ビーハッピィと同じフレーズが繰り返される。初めて聞く上地の耳にも心地よく、それはなんだか心穏やかにゆっくりと時が流れていくような歌声だった。



河原に道具を広げて、父親は釣りの準備をしている。川のせせらぎが、上地が居た堤防とは趣が異なる。鳥の鳴き声、虫の鳴き声、木の葉のこすれあう音、川の流れる音さえも違っていた。自然がうごめいていた。

「おい、出来たぞ」

そう言って、上地は父親から竿を受け取った。

「ありがと。」

そう答え受け取り、川辺の石をひっくり返し、餌となる川虫を探した。釣る魚はオイカワやハヤなどの雑魚だ。川虫はすぐに見つかった。それを釣り針に刺す。ポイントは少し流れの速くなった場所だ。上流の方へ竿を投げ、それをゆっくりと下流へと流していく。リールは無く、単純に竿の先から垂れ下がった釣り糸を上流から下流へ流し、下流まで行ったら引き上げてまた上流から下流へと流していく。それの繰り返しだ。五投目ほどで手元に感触が走る。軽く上にクイッと引っ張ると、川面に銀色の光が見えた。

(よし)

そのまま一気に魚を水面に引き上げた。ハヤだ。

「お、早くも一匹目。」

父親は、まだ自分の竿の準備をしているところだった。

「やったね。」

上地は思わず声が出た。

「これに入れときな。」

そう言って父親は橙色のビニール素材で出来たバケツを渡してくる。上地はそれに川の水を入れて、その中にハヤを釣り針から放して入れた。元気に泳いでいる。可愛いな。彼はそう思った。

 また川虫を探して川辺の石をひっくり返す。見つけたら、川虫を釣り針に刺し、川に投げ入れる。

上流から下流へと流す。引き上げ、上流から下流へと流す。これの繰り返しだ。この単純作業が無心にしてくれる。自然の音を五感で聞きながら、ひたすらに竿を投げ続けた。風が心地よかった。山間を風が吹き抜けていく。

一時間ほど経っただろうか。父親の所在を確かめようと辺りを見渡すと、河原に座り水筒のお茶を飲んでいた。目が合うと、

「お前も休憩するか?」

と大きな声できいてきた。

「うん、ちょっと喉が渇いた。」

そう言って、竿を引き上げ、父親の座っている場所まで歩いていく。

「どうだ、面白いか?」

水筒を渡しながら、父親が聞いてきた。

「うん、おもろい。結構釣れたよ。」

「何匹?」

「う~ん、多分六匹くらい。」

「お父さんは四匹。まぁまぁかな。」

「何年ぶりかな?」

こうやって、川釣りをすることだ。

「そうだな。お兄ちゃんが中学生になったあたりから、キャンプもしなくなったからなぁ。五年は経つか。」

「そっか。」

「お前も釣り覚えて、子供に教えてあげなよ。」

「無理だよ。なんか釣り糸つけたり、浮きつけたり、細かい作業苦手だもん。それによく歯で糸切れるよね。」

「ははっ、そのために犬歯っていうものがあるんだよ。」

「いや、犬歯は釣り糸切るためにあるものじゃないでしょ。」

二人は笑った。父親は息子に、肝心なことは何も聞かなかったし、上地も父親に、肝心なことは何も話さなかった。父親は、もし、息子の様子が異常であれば無理にでも学校に行かない理由を聞いただろうが、まだ大丈夫だと思っていた。今は、軽く息抜きをしていれば良いと思っていた。上地もその対応が心地よかった。

二人は、もう一時間ほど釣りをして帰路に就いた。上地は全部で十匹ほど釣った。釣った魚はすべて川に戻した。上地は逃がした魚たちに小さく何かをつぶやいた。声にならないほどの小さな声は、上地本人にでさえ聞こえなかったし、何を言いたいのかもわからなかった。


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