第12話

 部活が終わったあと、彼は急いで着替えて、誰よりも早く部室を出た。

「お先に失礼します。」

もちろん誰も返事などしなかった。彼は無視され、先輩を中心に談笑が続いていた。

たった一度だ。たった一度サボっただけなのに、この仕打ちだ。彼はかなりこたえていた。殴られるより、蹴られるより、筋トレを強制的にやらされるより、金を摂られるより、苦しいほどに飯を食わされるより、何よりも[無視]という攻撃が効いた。どんなことにもじっと耐えてきたのに[無視]には耐えられなかった。彼の心をどんどん暗くしていった。胸の真ん中に穴が開いたような感覚にとらわれる。

3

彼は帰り道、息苦しさのあまり道端に吐いた。始めは息がしにくい感じがして、それをこらえていると、今度は気持ちが悪くなってきた。頭がくらくらしてくる。目の前がぼんやりとしてきて、焦点が合わなくなってくる。どんどん息が荒くなる。すれ違った見知らぬおばさんが、気持ち悪いものでも見るかのように彼のことを振り返り見た。身を隠すようにして口を押さえ、側溝の金網の上に膝をつき、吐いた。


「行ってきます。」

上地はいつもの時間に家を出た。何も入ってない鞄と、セカンドバックに部活の着替えと母が作ってくれた弁当を入れて家を出た。学校へは行かなかった。そのまま河原へと向かった。土手に着くと、橋の下に荷物を置いて座り込んだ。ぼうっと川の流れを見る。大きな鳥が一匹、川面に座っている。手元に小さな石を見つける。それを手に取り、軽く投げた。土手の下の芝生まで届いて、音もなく静かに落ちた。座ったまま、手を伸ばし石拾い、また投げた。手の届く範囲に石が無くなると、少し移動して、また座り、石を拾い、投げた。何度も、何度も、投げた。ふいに涙がこぼれてきた。何やってんだ俺は。彼はそう思った。でも無理だった。学校に行くのは無理だった。学校に行ったら、部活にも行かなくちゃならない。部活には行けなかった。あの場所へは行きたくなかった。あそこにはもう恐怖しかなかった。

仰向けに倒れ込み、右腕で目をふさいだ。少しの間、彼はそのまま泣いた。



 泣いたら、幾ばくか胸の辺りが軽くなった。立ち上がり、土手の下に降りた。芝生を抜け、河原を歩き、川岸までたどり着いた。川のせせらぎが聞こえる。上地は平べったい小石を探した。川に来たら、よく水切りをして遊んだものだ。丁度いい大きさの小石を拾う。川面に対して平べったい石が水平になるように、横投げをする。

ピシッ、ピシッ、ピシッ、ちゃぽん

また同じように平べったい石を探して、投げる。

 ピシッ、ピシッ、ピシッ、ピシッ、ちゃぽん

何度も何度も、彼は水切りをして遊んだ。時間は有り余るほどにあった。川にせせらぎが、頭の中を空っぽにしてくれたかのようだった。

 小一時間ほど、そうしていただろうか。空を見上げると、薄い雲が全体を覆っている。そろそろ昼時か。そう思い、河原に腰を下ろし、セカンドバックを開ける。弁当を取り出した。布巾をほどき、開けると、中身はいつもと変わらず、卵焼きに、冷凍の唐揚げ、プチトマト、ご飯にはふりかけがかかっている。

「いただきます。」

そう言って手を合わせ、食べ始めた。春風に吹かれながら、河原で食べる弁当は旨く、とても気持ち良かった。清々しい気持ちになった。学校をサボって、部活から逃げ出して、自由になれた気がした。

 それから、また少し仰向けになって目を瞑り、ゆっくりと時間を過ごした。一時間ばかりそうしていただろうか。そろそろかな?と思い、立ち上がり、誰も居ない自宅へこっそりと帰った。

 夕方になると、母親が帰って来た。誰も居ないと思っているのか、大きな声で歌っている。自室にいた上地は、少し腹が空いてきたので一階に降りていく。

「ワッ!びっくりしたぁ。帰ってたの?」

気持ちよく歌っていた母親は、彼を見て驚いたが、何も疑問は感じていないようだった。

「うん、今日はちょっと早かったんだ。」

言い訳するように、早口で言うと、彼は冷蔵庫を開けて何か食べるものを探した。

「お腹空いたの?今から作るから、もうちょっと待ってね。」

そう言われたが、彼は冷蔵庫を閉めて茶箪笥をあけ、ビスケットの箱を取り出した。

「もう、一枚だけにしてよね。夕飯食べられなくなるわよ。」

彼は返事こそしなかったが、言われた通り一枚だけビスケットを手に取り、ソファに腰掛けテレビをつけた。

(こんなに、のんびりとしていていいのかな?)

夕方のニュース番組を見ながら、ふと軽い罪悪感のようなものを感じていた。

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