第10話
「ありがとうございました!」
二泊三日の合宿が終わった。三校の選手たち大きな声で最後の挨拶をする。それから各々に荷物を持ちそれぞれのバスに乗り込んだ。
上地は窓際の席に座った。誰も上地に話しかけなかった。水口が見ている前では、おそらく同級生たちも声を掛け辛かったのであろう。のんきな声を出しているのはニ年だけだった。
上地は窓の外にあるY校のバスを見て思った。
(最後に久我君に挨拶したかったな・・・。せっかくあんなにすごい人と知り合いになれたのに・・・。なんで俺はいつもこんなに情けないんだ)
上地の合宿は最悪の形で終わってしまった。
「よし、帰るぞぉ。」
水口がエンジンをかける。N校のバスは、ディーゼルのにおいを発しながら動きだした。
月日は経ち、上地達一年は二年生になっていた。新入部員も入ってきたが、わずか3名だった。見学に来たのは十人以上いたはずなのに、彼らも何となくサッカー部の不穏な空気は察したのだろう。正式に入部したのは三人だけだった。相変わらず先輩たちの横暴は続いていた。金は摂られ、使い走りをさせられ、筋トレの強要、理不尽な暴力、そうしたことすべてに上地たちは耐えていた。いや、何も出来なかったといった方が正確な言い方かもしれない。ただことが収まるのを、いつも下を向いて待っていた。変化を望むことすら出来なかった。そういったことを考えることが出来ない思考に陥っていた。抵抗なんてことはなかなか難しいものなのかもしれない。
ある日のこと、上地は放課後部活へ行かなくてはならないのにグラウンドへと足は向かなかった。彼の足は自宅へと向かった。朝練は出た。それからその日は一日中憂鬱とやらと戦っていた。何度も教室の前に架かっている時計を見る。刻々と部活の時間へと向かう。容赦なしに針は進む。昼休みが終わると呼吸がしづらくなっていった。耳の奥に自分の心臓の音を聞く。授業なんて頭に入ってこない。部活に行きたくない。でも行かなきゃ。行きたくない。もし行かなかったらどうなる?やっぱ行かなきゃダメか。帰りたい。帰ったらどうなる?行くしかないのか?でも・・・。
上地の頭の中は堂々巡りをしていた。行き着くことのない答え探し。時間だけが過ぎていった。そしてそのまま気付いたら家路についていた。自宅につき、玄関を開け、二階の自分の部屋に入る。荷物を机の上に置き、制服のままベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。自分のテリトリーにいることへの安心感と、部活をさぼってしまった危うさが上地の中で入り乱れる。言い訳を考えた。頭が痛かった、熱があった、膝が痛い・・・、どれもバカみたいな言い訳だ。何で自分はこんなことで悩まなければならないんだろう?なんでこんなに他人のせいで自分が悩まなければならないんだろう?彼はうっすらと目に涙を浮かべた。そしてそのまま何かに導かれるように眠りについた。
目を覚まし時計を見ると5時過ぎになっていた。外はまだ暗い。ゆっくりと起き上がりシャワーを浴びる。台所に行って冷蔵庫を開けると、昨夜のおかずがラップにくるまれて置かれていた。どうやら彼の両親は、息子は疲れて眠ってしまったんだと思い、起こさなかったようだった。
上地は食欲が無かったので、牛乳をレンジで温め、蜂蜜をティースプーン一杯入れてゆっくりと飲んだ。温かい飲み物が彼の心を少しだけ癒した。
朝練は七時半から八時までの三十分。学校まで歩いて二十分かかるので、いつも七時に家を出る。まだ六時を過ぎたころだ。
物音がする。母親が起きてきた。
「おはよう。」
「おはよう。」
上地は小さく答えた。
「昨日はよく眠ってたみたいだから、起こさなかったわよ。どうしたの?なんか元気ないみたいだけど。風邪でもひいた?」
そう言って母親は息子の額に手を当てようとした。
「大丈夫。疲れてたみたいだから、眠ってしまったんだよ。まだ時間あるから、ちょっと勉強してくるわ。」
母親の伸ばした手を払い、そう言って彼は自室へと逃げ込んだ。
部屋に入り彼は思った。やっぱ行かなきゃな。行くしかないか・・・。そう覚悟を決めた。
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