銀のとばりは夜を隠す

ニノハラ リョウ

プロローグ

 ずるりと手や腕に絡みつくその感触は、高級な絹糸のようにさらさらで、どこまでも柔らかくて。

 持ち主の体温を存分に含んでいる事がありありと伝わる温もりは、どこまでも現実を突きつけてきて。


 呆然としながら、自分の手のうちにバサリと飛び込んできたその銀色に輝く塊の正体を把握すれば。


「ぴえぇ?!」


 人間らしい言葉の一つも出なくなるってものです。


「……貴様……やってくれたな?」


 つい先程まで、銀糸のように美しい髪をさらりと靡かせて、ピンと背筋を伸ばした美しい立ち姿で、鈴を転がすようなという表現がピッタリの声を震わせて、自らを公爵家の令嬢だと名乗ったはずのその人が。


 どうして男の人のように短く整えられた、夜空みたいに艶めく黒髪をさらりと揺らしながら、わたしを壁際に追い詰めているのか。

 どうして過渡期の少年のようなちょっと低めの掠れた声で、わたしの名を呼ぶのか。

 どうしてわたしの手の内にある銀色をした毛束の塊が、目の前の御仁の頭から落ちてきたのか。


 わたしにはさっぱり理解できなかったのです。



◇◇◇


 

 わたしの名前はレリアーヌ。レリアーヌ・バタンテール。親しい人にはレアって呼ばれてます。

 辺境のバタンテール辺境伯家の娘です。


 まぁ、辺境伯家と言えばなんかイイ感じですが、要はド田舎です。王都の人達から言わせれば所詮ヨソモノです。

 何故かと言うと、我が国、クレスタ王国は、王家と三大公爵家によって建国された歴史ある大国なのですが、大国というからには色々あったわけですよ。

 こう……国土を広げる為に、穏便に、時には不穏に周辺の土地を、その土地に住む人々を取り込んでいったのです。

 で、我が家もその一部でして、元は蛮族と呼ばれる山や森や大地と共存していくスタイルの民族だったのですが、大国の手は迫るし、大国からもたらされる圧倒的な技術に気圧されるしで、このままでは早晩立ちいかなくなるだろうと……。

 ついでに、ちょっと嫌な感じの『厄介な隣人』がいたのもあって……。

 

 そこで当時の長的立場だった我が家のご先祖様が決断されたそうです。


 森の恵みや山から採れる鉱物、蛮族と呼ばれる所以となった戦闘技術を提供する代わりに、クレスタ王国の配下にくだろうと。


 時の国王陛下はそれをお認めになり、中心となって動いていた我が家に辺境伯の地位を与え、我々の住処であった土地を治めるようにと定められました。

 もちろん当時のクレスタ王国の貴族達からある程度の反発はあったようです。

 そりゃ資源もりもりですからね、うちの領地。

 我が物にしたいと虎視眈々と狙っていた方もいた事でしょう。沢山。


 それでも、その貴族達が暴挙に出なかったのは、先にあげた我らが民の戦闘技術があったおかげです。


 幼い頃から鍛錬を始め鍛え上げていく我が民は、男は勿論の事、女子供も侮れない戦士です。

 戦士一人で当時の王国の騎士達が束になっても敵わなかったと記録があるくらいですから、推して知るべしです。


 そんなこんなありまして、我が家は辺境伯家となりました。


 因みに、現在その戦闘技術を受け継いでいるのは我が家と、我が家に連なる血族のみです。

 強すぎる力は時として争いの元になりますから、限られた人間だけで受け継いできたのです。


 もちろん、常人でも使える技術は率先して国に提供してきたのは言うまでもありませんし、国から要請があれば、護衛の真似事のような事もしております。

 

 そんな訳で、令嬢とは言え辺境伯家の一族であるわたしはまぁ、それなりに……そうゆう事です。


 その結果、何が起きたかと言うと、まぁ、面倒ごと……と言うか、傍から見えれば栄誉な事なのでしょうが、田舎者のわたしにすれば厄介事の何物でもない事に巻き込まれたわけです。


 その結果、更なる厄介事に巻き込まれるとか……聞いてないんですがっ!?

 


 ◇◇◇

 


「お初にお目にかかります。レリアーヌ・バタンテールと申します。この度お部屋をご一緒させていただくことになりました。

 田舎出身の粗忽者ゆえ、何かとご迷惑をおかけするやもしれませんが、なにとぞよろしくお願いいたします」


 そう言って深々と、それはもう深々と淑女の礼をとる。

 これだけはっ!! と幼少期よりわたしの面倒を見てくれた家庭教師の先生が仕込んでくれたので、ある程度様になってるはずだ……大丈夫よね?


 ここは、王都にある女学院に併設された寮の一室。

 この女学院は、貴族令嬢として生まれたからには16から18の間必ず通わなければならない学院で、自立心を育てる為に、在校生は全て女学院併設の寮で過ごす。

 ここでは、一般教養や礼儀作法は勿論の事、必要に応じて外交や領地経営、その他経営や経済などなど、貴族令嬢が修めるべき学問が取り揃えられており、ここを卒業できなければ貴族令嬢として認められない程だ。


 因みに我が国では、政治でも経済でも女性だからと排除される事はない。

 近隣のとある国では、女性には一切政治に口出す事は許されず、仕事にも付けず、子を産む事だけを役目として家に閉じ込めているというところもあるようだが、我が国は全くそのような事はない。

 その才覚一つで、なんにでもなれる。そこに男女差はない。


 まぁ、体力や体格で男女差が出る部分もあるが、それは区別というものだ。


 さて、話を戻して。


 わたしが今相対している相手は、このたびめでたく(もないが)わたしの同室となった……違うな。

 元々彼女の部屋に新入生であるわたしが同居する形となったのだ。


 女学院の寮はだいたい二人部屋で、必ず先輩と後輩が同室になる。

 寮生活のアレコレなど全く分からない状態で入学してくる新入生への配慮なのだろう。

 先達がいれば何とかなる的な。


 因みに誰と同室となるかは、神……なのか女学院の学長か誰が決めてるかは分からないが、爵位や派閥などは、がない限り考慮されない……らしい。


 ……全くもって残念なことに、今回わたしがこの部屋になったのは……よっぽどの事情があったわけなんだけど。


 目の前のこの女性。

 美しい銀髪を腰の辺りまで伸ばし、王族の血縁である事を伺わせる澄んだ紅い瞳を僅かに眇め、こちらを観察するように見てくるこの女性の正体は。

 何代かごとに行われる王族の降嫁によって、王家の血も混じる生粋の高位貴族。

 建国時代から続く三大公爵が一つ、ティボー公爵家のご令嬢、アン・ティボー・ル・ロワ様である。

 ちなみに家名の後に続くロワは、王家の血族である証の紅い瞳を持って生まれた人間に与えられる特別な名である事から、目の前のお方がどれだけ重要人物なのか推し量れると思う。……あぁ、胃がキリキリしてきたぁ!!


 そう、わたしがこのお方と同室になった理由。

 それはこのお方の護衛を兼ねているからだ。


「……顔を上げてくれるかしら?」


 銀糸のような美しい髪をさらりと揺らし、おもむろに開いた口から落ちたのは、意外にハスキーなお声だった。


 顔を上げれば、未だ紅眼に警戒の色を乗せたまま、わたしをじっと見つめている。


 ……そんなじろじろ見られても、目の前の田舎令嬢は田舎者のままですよーと心の中で悪態をつく。


 いや別にコンプレックスとかじゃないけどねっ!


 目の前のお方の艶やかな銀糸とか、紅の瞳は……羨ましさを通り越して恐れ多いが、すっとした涼し気な目元とか、これまたすっと通った鼻筋とか、ちょっと薄めの紅く染まる形のいい唇とか、それらが完璧に配されたお顔は同性でも見惚れる程で。

 女学院の制服を着こなすすらりとした長身は、姿勢の良さと相まって凛として美しいなぁとか。

 ……お胸は意外にささやかだなぁとか。

 ……結構背が高いなぁとか。


 そんな目の前の佳人に比べて、自分のふわふわとしたミルクティーみたいな色の髪は子供っぽいし地味だなぁとか、これまた地味なヘーゼルの瞳はまんまるで、ちまっとした鼻と、これまたちまっとした口元も相まって、領地によく出る小型の害獣に似ているとお兄様達によく揶揄われていたなぁとか。

 ……あの害獣、ちびっこくて、見た目はもふもふと愛らしい癖に、人を恐れず家にまで侵入して色々あさっていく迷惑な害獣の代名詞で、そんな害獣に似ていると言われてもだいぶ複雑な心境だ。


「そう……貴女が……? 貴女、本当にバタンテール辺境伯家の方なの?」


 もっとこう……と、目の前の佳人が訝し気に首を傾げている。


 向こうにはわたしが彼女の護衛である事は伝わっていないはずだ。

 秘密裏に守って欲しいと、ご依頼いただいたティボー公爵もおっしゃっていたし。

 さりとて、バタンテール辺境伯一族の噂は、ある程度の高位貴族なら知っているので、彼女もそれをご存じなのだろう。

 なのに実際現れたのがこんなちまっとした人間だったからどう判断していいかと悩んでいるのだろう。多分。

 道理でじろじろと観察されていると思った。

 

「はい。わたくしは間違いなくバタンテール辺境伯家の人間です。どうぞよろしくお願いいたします」


 今更だけど、秘密裏に護衛って難しくない?

 護衛だとバレちゃいけないって事は、わたしが実は……って言うのもバレちゃいけないって事でしょう?

 ……どうやって? 一緒に生活していてバレないなんて、そんな都合のいい事起こる? 


「そう……。じゃあ部屋の中を案内するわ。こちらへいらっしゃい」


 色々思い悩んでいたのがまずかったのだろう。いや、結果としては良かった…いや、やっぱり悪かった? 未だにどちらだったのか定かではない。


 ……そう、わたしは躓いた。

 目の前の佳人に手招きされて近づいた瞬間、何もないところで……。


 いやきっとその一瞬だけ床が隆起したんだって! これは誰かの罠だって!! そんなこと起こる訳ないってわかっちゃいるけど言わせてほしいっ!!

 蹴っ躓くなんて、ここ最近なかったものっ!!


 だから事故! これは事故っ!! そんな一層紅を濃くした怖い目で見ないでぇ!!


 かくて話は冒頭に戻る。


 躓いたわたしを、親切にも支えてくれた彼女の美しい銀髪が、わたしの制服のボタンに引っかかって、それを取ろうと手を伸ばしたら、髪の毛全部ずり落ちてきたとか……本当なんの冗談なんですかね? 聞いてないんですがご依頼主ティボー公爵様っ?!


 そして…男子禁制のはずの女学院で、女生徒の制服を着た、でも明らかに男性のこの人の存在が、ますますわたしを非現実に放り込む。


「ちっ。早々にバレるとは面倒な……。……とりあえず消すか?」


「ぴえぇぇ!?」


 その後、彼のお方の物騒な物言いに命の危険を感じ、全力で自らをプレゼンしたのは言うまでもない。

 だってまだ死にたくないし。人知れず消されたくないし。依頼不履行はまずいしっ!

 ていうか、わたしに命の危機を感じさせるって、ご令息?様いったい何者ですか?! 護衛ホントに要りますか?!


 現在女学院に在籍する貴族家の中で、一番扱いやすいのが、弱小田舎伯爵家の自分である事を。(我が家を弱小田舎貴族だと侮るのは実情を知らない低位貴族くらいだけど)

 わたし自身が田舎出身の粗忽者である事から、わたしの方が令嬢としての粗が目立って、そちらの違和感が目立ちにくくなる事を。(実際、鍛錬に明け暮れるわたしはご令嬢らしくない自覚はありましてよ)


 なんだかんだと屁理屈を捏ね上げ、全力で命乞いしているウチに目の前のお方の興味は引けたらしい。

 だって『おもしれー女』って言われたし。

 今もなんとか生きてるし。


 これでご依頼も無事遂行できますからねっ! ご依頼主ティボー公爵様っ!!



 で、どうなったかというと……。


 

「ふん、どうやら貴様はバタンテール辺境伯家の落ちこぼれのようだな」


 いえ、そんなことはありませんが? 兄が二人いる三兄弟で一番強いですが何か?

「お前が長子だったら……いや、それはそれで危険だな。バランスのよいリカルドがやはり次期当主に相応しいな」とはお父様の冗句だ。その言葉を聞くたびに長兄のリカルド兄様が苦笑いしてる。


 それは兎も角。


 落ちこぼれのレッテルは不名誉だが、躓いたのは事実だし、そう言う事にして秘密裏の依頼を遂行するのも手だし……。


「確かに見た目からしてドンくさそうだもんな」


 ……だから我慢だ我慢。

 目の前でふんぞり返って椅子に座る公爵令嬢に、残念な子を見る目で見られてもぐっと我慢だ……。


「小さいしな」


 どこ見て言ってんだぁ!! と思っても、が、我慢……。だいたい、目の前のお方よりあるもん! ……目の前のお方、男だったけど……。


 ていうか、そんな高々と脚を組まれてますと、アンダースカートのフリルの中が丸見えですが?

 え? 見せてる? いえ見たくないですが?

 見たくないので、貴方様が座する椅子の前……と言うか、下で正座させるのやめて欲しいんですが?

 いくら鍛錬で苦痛に慣れているとは言え、足の痺れはまた別の気持ち悪さなんですよ?!


「という訳で、俺も秘密をばらされるのは困るんだ。だから今日からお前、俺の奴隷な?」


 そう言ってニヤリと紅の瞳を眇める目の前のお方。

 いえ、奴隷制度は三国隣の国で行われているだけで、あまりにも非人道的行為である事から、我が国に奴隷を持ち込むことは禁止されておりますが?


「例えだ例え。お前は今日から俺のモノって事で、四六時中俺について、俺の言う事を聞くんだな」


 偉そうですねー偉そうですねー! いや実際に偉いんですけどっ! ふんだ、女装趣味のへんた……


「いたたぁ!!」


 頭の中でだけ悪態をついてたら、片手で頭頂部を掴まれました。

 い、痛っ! 力強いですね! ていうか手の大きさとこの力強さは、ご令嬢にあるまじきものですねっ!

 握力に限って言えば、人の事言えませんがっ!


「お前今、なんか不遜な事考えていただろう?」


「そ、そんなことは……」


「くくっ、そんなあからさまに目逸らして……わかりやすい奴だな」


 く、佳人が微笑むと破壊力が……っ!!


 と、ここで冷静になって考えてみると、向こうから出された条件はそれほどわたしにとって悪くない。

 何せ、わたしは目の前のお方にバレないように、目の前のお方をお守りしなければならないからだ。

 学年も違う、爵位も違うわたしが、同室とはいえ目の前のお方に付き纏うのは、本人も周囲も違和感を抱く事だろう。

 

 だけど......ご本人の希望で四六時中行動を共にしろって言うなら、ある意味こちらも助かるのでは?


 次兄から脳筋呼ばわりされている脳みそを必死に動かしながら考える。


「さぁ? どうする?」


 深紅の目を煌めかせ、佳人がうっそりと微笑む。それは絶対的支配者の、勝利以外得た事のない者だけが浮かべる勝者の表情で。


 ぎゅっと胸が詰まった。


 だけどわたしは……。


「よろしく……お願いします?」


 そう言うしかなかった。

 

 疑問系かよって破顔する麗しくも中性的なその美貌を眺めながら、差し出された、意外に武骨な手の、甲の部分に額を寄せる。まるで姫君に忠誠を誓う騎士のように。


 ……これがわたし達の始まり。

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