第19話  信長、叡山を成敗する

元亀二年元旦、信長は久しぶりに静かな日を岐阜で迎えていた。

家臣たちは、各々は城に出仕し信長に拝礼した。


「久しぶりの穏やかな日のこと。皆もゆるりとしたか。おのおの兵を引き自国へと、今は引き下がっておるが、このまま引きさがるという事もあるまい。予自身もこのまま許すわけにはいかぬと思っておる。皆も気を緩めることなく、年を迎えるように」と、信長は家臣どもに声をかけた。


(すぐに動く)と、信長は次のことを考えていた。


「いやいやいやいや、皆の衆」と、ひとりおどけて、重臣たち地の間を這いずり回っていたのは秀吉であった。あいかわらずのお調子者。


「丹羽殿、柴田殿。誉でござります。おふた方があればこその織田。秀吉は、いつもあこがれておりますれば」と、当の二人は又かというような顔をして見て見ぬふりをした。


「あれ。あれ、あれ、あれー。明智殿はいつから、ここにおじゃるのか。京に帰らずともよろしいか」と、嫌味に声をかける。


「秀吉殿、戯れを」と、まじめな光秀。


「いいかげんにせぬか」と信長が秀吉を叱る。


「年賀である、許してやれ」と柴田が云う。一同がどっと笑い。

その場は和んだ雰囲気になった。秀吉、独特の振舞である。


「秀吉、出陣の用意をせよ。明日、近江に向い兵をだせ」と、真顔に信長が命じた。


和議からまだひと月も経ってはいないが、信長は、朝倉、浅井、六角や本願寺より先に動かねばならぬと考えていた。


「まだ酒も、飯もくっとらんがねー」と、面々がまだ、膳を前にして盃を傾け向ける中、秀吉一人が座敷を後に縁に出なければならなくなった。


縁に出たとたん座敷に聞こえるような大きな声で

「えーがな。皆の衆は。正月くらい家に帰りてーの、おっかが作るうめー飯をくって、膝枕してもらい、ゆっくーりと過ごしてもんだわ」と、大声を張って、廊下でじたばたしなが屋敷を後にした。


座敷では、またかというように縁を指さし、それでも盃が交わされて正月の宴は進められていった。


「森可隆」と、信長が森家の当主を呼んだ。

「父は無念であったの」と、信長が云う。


「いえ父は本望であったかと。信長様のご兄弟こそご無念でござりましたでしょう」と、可隆。


「この仇は、必ず討とうぞ」


今度は、兄とともにそれを聞いていた蘭に信長は目をやった。


「蘭よ。幾つになった」と問いただす。

「数えて七つでござります」と、森蘭丸


「そうか、その立ち振る舞い。父や兄にも劣らぬ武将となりそうではないか。よいか。今日より予に仕えよ。予の傍を片時も離れるではない。太刀持ちとして予の刀を預かることを命ずる。どうである。蘭。使えよ」と、信長は嬉しそうに盃を上げた。


「わかりましてございます」と、まだ年若き子供の声で答えた。一同は、またもや大きな笑い声で、おおそれはよいよいと、うなずきこれを迎えた。


一月二日、信長に命じられた秀吉は、兵を引き連れ岐阜を発った。

同時に、信長は近江の堀秀村に書状を送り、早々に秀吉にろぃじて軍事行動をとるので油断なく取り計らうように注進した。


秀吉は、そのまま関ケ原から近江に入り、まず、姉川から朝妻湊の間で、往来する商人を遮断して荷物と人改めを行った。そのうえで、北上してそのまま横山城へと入った。


秀吉の後を追うようにして岐阜を発った丹羽長秀も佐和山城の調略に入り、浅井家臣の磯野員昌を降ろし佐和山城に入った。


これで近江と岐阜との幹路に不安を持っていた織田軍はこれで、東山道を確保することが出来た。


六日、京にいる吉田兼見は朝廷からの依頼を受けて、岐阜にいる明智に使者を送り、密かに信長の意向を確認させた。義昭を中心とする朝廷では、天皇の講和を信長がどう受け止めているかが気がかりであった。


さらに二十四日に、兼見は例年の祓を送るとして、浅井方の動向にも探りを入れていた。


義昭は、信長の包囲を再び構築するため、その食指を武田信玄に定め信玄を動かそうとしていた。


信玄はそれを受けて、信長の盟友徳川家康を攻めるために躑躅が先を出て駿河へと向かおうとしていた。二月十六日、富士大宮まで進出し、そこで三日間逗留した。そこから田中城へと向かった。


二十四日、大井川を渡り、遠江に入り橋頭保として吉田能万寺城と古山城を築いた。そして信玄自身は、徳川の高天神城を攻撃を開始した。しかし、高天神城の守りは固く攻め落とすことはできなかった。


信玄はそのまま、乾城に入り、掛川城、久能城を見て回り、この時は、一旦、伊那高遠城まで兵を引いた。


信玄をの動きを耳にした信長であったが、それには動くことなく、自身は、正月行事を終えた後、京へともどり、三月四日には、ゆうゆうとした態度で東福寺で町衆を呼び寄せ茶頭に今井宗久を指名してはじめて京で茶会を催した。


一方では、三月二十日に上杉謙信へ文を送り、「天下之儀」は問題がないことを告げ、家康と同盟を結ぶことを強いた。四月十五日、上杉と徳川が同盟したことを知っ信玄は、すぐに三河に入り足助城を取り囲みこれを落とすという軍事行動で威圧をかけた。


さらに十九日には野田城、二十九日には三河阿佐ヶ谷、円山、大沼、田代八桑などの城も次々と落とし、吉田城へと軍をすすめた。


一方、和議成立後ひと月もたたぬ間に織田軍が再び近江に出陣してきたことを知った浅井は慌てていた。


朝廷の斡旋で成り立った和議をそう簡単には破らないであろうと高をくくっていたからである。信長を甘く見ていた。すでに状況は出遅れた形となりその対応に追われる結果となった。


五月六日、四か月が経ち、じわりじわりと真綿で締め付けるように小谷城を包囲する気配を見せる信長。この状況を見た浅井長政は、小谷を出て姉川から信長軍の前線へとへ向かうことにした。


「長政殿。出陣にござりますか」と、お市が心配そうに聞く。

「仕方あるまい。信長殿はこのようなことでお引きなされ、許される御仁ではない」


「市は心配でござります。兄上が許さぬ気象であることは、よくわかっておりますが、何とかとりなしてもらうようにお願いをいたしとうござります」


「父上、大殿から、この小谷、浅井の家を預かる長政。ひとりの心根だけで動かすわけにはいかぬ。朝倉との縁もすてることはできぬ。仕方あるまい。市は義兄の元へ帰ってはどうか。その気があるのであれば、その旨義兄に伝えこの長政が責任をもって岐阜に送り届けようぞ」


「一度嫁いだからには、市は長政様とともに運命を共に致しとうござります。ひとり、ここから逃れるなどということは決して思っいませぬ」


市の顔を見ていた長政は振り返り、悲しくもあり、うれしくもある気持ちを隠して、右手に持つ采配を握りなおし乗馬して城を出ていった。


市はその後姿が見えなくなるまで見送っていた。


長政は、城を出ると横山城へと向かい陣を張った。そのうえで、足軽大将に浅井七郎を命じ、五千の兵で堀秀村・樋口直房が守る鎌刃城を攻め立てさらに箕浦城を攻めた。


それを見た秀吉は百騎ばかりを引き連れて裏道を廻り箕浦城に駆け付けて、裏から城へと入り防戦した。さらにそこから長沢城へ打ち出て一戦交えた。ここで樋口の家臣多羅尾相模守は討ち取られたが、さらにさいかち浜まで押し上げ、浅井軍は耐えきれず八幡神社下の坂まで引き下がった。


五月十二日、桑名長嶋表で動きがあった。本願一揆が雑賀衆とともに再び動き出した。その動きに信長はすぐに反応し、岐阜から五万の兵を率い津島まで進出した。


長嶋大鳥居に、佐久間信盛、浅井政澄、山田三左衛門、長谷川丹波守、和田定利、中嶋豊後守を配置。川西多藝山の麓太田口には、柴田勝家、市橋利尚、氏家卜全、伊賀平兵衛門、稲葉良通、塚本小大膳、不破河内守光治、丸毛兵庫頭長照、飯沼長継らを置いた。


織田軍は村々に放火したが、一揆勢は十万を超える数で思うように戦局をすすめることはできなかった。


十六日、ひとまず軍を引こうとしたが、一揆勢はその後を追うように長嶋から出て山々に入り、退却する信長軍を、右側は河、左は山の下道という狭い山道に追い込み一騎打ちに持ち込んだ。


弓兵・鉄砲兵を先々に配置し待ち構えていた。殿の柴田は散々に戦い薄手を追った。さらにその後の殿を受け持った氏家卜全は討死し、結果としてこの時の長嶋攻めは失敗に終わる。信長はこれまでとは差が右戦いを強いる一向宗を侮ることはできない敵として再考を余儀なくされることとなった。


十七日、信長の長嶋での敗退を知った信玄は、この日、松永久秀に宛て、信長は幕府の謀反者であることを説き、へっかくの処遇をするので、将軍義昭とともに信長を討伐全て義あるので我々とともにそれに加担するようにと伝えた。


反信長への動きが改めて大きくなっていった。叡山延暦寺もあらためて信長との対立が近いことを自覚していた。五月二十九日に諸国に対し物資の供給を求めた。


五月三十日、信玄からの文を受け取った松永父子は、多聞山城を発ち河内高安城を攻めた。さらに六月十日、摂津吹田城を攻め、七月三日ようやく多聞山へと引き上げていった。


これらの動きすべてが義昭の思惑であるとしっていた信長は、十四日細川藤孝と明智光秀に命じて、義昭が発するすべての文書を検閲することを命じた。


八月十二日、浅井長政は朝倉義景に援軍を依頼した。それを受けて十六日に近江へと義景は進駐してきた。


八月十八日、長嶋一向一揆に惨敗し岐阜に戻った信長は、浅井と朝倉の様子聞き、秀吉とともにそれに対処するために横山城へと着陣した。


その二十日の夜のことであった。不吉にも大風がおびただしく吹き横山城の塀と矢倉が吹き飛んだ。


二十六日、小谷と山本山の中ほどにある中嶋に陣を張り、そこか兵を余呉・木之本に出して放火させた。二十七日、横山城へ入り、さらに、二十八日には佐和山城まで下がり、丹羽長秀屋敷に泊まった。


江北は問題ないと見た信長は、これを機に南下して近江国内を平らげる方向に転換した。その先陣として、神崎郡の小川城・志村城を放火させた。


九月朔日、信長は佐和山を出て志村城へと向かった。佐久間信盛、中川八郎右衛門、柴田勝家、丹羽長秀に命じ城の四方から取り掛かった。さらに小川城を包囲し城主小川孫一郎を降ろした。九月三日、安土常楽寺に滞留し、さらに南下した守山金か森城に取詰める。


九月十一日、さらに南下し、勢多川を越えて、三井寺の山岡景猶のもとに宿泊し、翌日から比叡山延暦寺を討つことを家臣たちに宣言した。


流石の重家臣たちも諫言する。


「周りのこの状況下で、延暦寺を討つことは、とても阿武野うございませぬか」と、佐久間盛信が注進する。


「佐久間、いつからさちはそのような臆病な者になりさがったか。叡山はにはこれまでも予は幾たびも忠告してきた。人の道教えを説くものは、説くものたれとな。しかし、どうであるか、その者たちの生活ぶりをこればわかろう。一部の僧は酒池肉林を行い。兵を集め、政に口出しをし、いままた天下人たるこの信長に歯向かおうとしているのではないか。それがわからぬか」


「しかしながら、先の延暦寺攻めのとおり、命がけで向かってくる僧兵たちは鬼のごとくもあり、そうたやすく攻め落とせるとも思えませぬ。大きな痛手を被れば、我らとて維持でぬのではとおもわれますが」と信盛。


「そちと話しておってもらちが明かぬ。この儀は明智にやらせる」といったまま、寝所へと引きこんでいった。


十二日未明から、坂本里坊への方かが始まった。坂本の僧たちは八王子山へと引き上り立て籠もった。信長は日吉社へも火を懸け裏山の八王子に逃げ込んだ僧兵たちを追撃した。


「逆らう者は全て切り捨てよ。根本中堂、山王二十一社、悉く焼き払え。叡山が薬師如来の往生の地であろうとも、京の鎮守たる社であろうとも、幾数百年の栄華と伝法を伝え誇ってきた古の尊顔できる先達が支えてきた宗であろうとも、今この場と世では、行躰、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲笑をも知らずわきまえず恥じず、天道の道からそれたる恐れも顧みず、酒池肉林、贅を尽くし、浅井、阿曽倉と加担し、政に関与し世をほしいままに動かそうとするものどもは、懸念ではあるが、予がすべて天道に代わり成敗する」と、信長は神仏に逆らう悪行ではないかと恐れ尻込みをしていた家臣たちを鼓舞した。


この戦を受け取り陣頭指揮を執っていた明智光秀は、刀を振り上げ山を駆け上がりながら、目の前を右往左往する僧侶たちを見入りながら苦悩していた。これが本当に正しきおこないであるのかどうか。しかし、すでに自らはそれに手を染めている。今日この日から信長の配下となることは必定であろうと考えていた。


この日中に、信長軍は叡山を取り詰め、根本中堂、山王二十一社をはじめ、山中の霊社、霊仏、僧房、一宇も残さず焼き払い灰燼させた。信頼置けるもの、無関係の女子供、また隠れ無き高僧、貴僧、有智の者ひとりひとりの価値を判断することは不可能であると、後に後悔を残さぬようにと、信長はすべて同じように扱うようにと頸をはねさせた。


全てを終えた信長は、明智を呼び寄せ、近江志賀郡五万石をを与え、ここに城を築くことを皆の前で宣言した。信長軍初めての家臣による築城がはじめられた。


翌、十三日、信長はこの結果を将軍義昭に伝えるために、何食わぬ顔で参内した。


「信長、ひさしぶりであるの」と、すでに呼び捨てである。

「本日は、昨日に予てから朝廷、幕府の政に口出しをしておりました悪しき者どもを誅してまいりましたことをお伝えに参った」と涼しげな顔で伝えた。


「執着至極である」と声をかける。

「ではこれにて」と、座を発つ信長。


部屋を後にした信長の影が好き手のち、義昭は立ち上がり、その襖に向かって扇を力任せに投げつけ叩きつけた。


九月二十日、信長は京を発ち、岐阜へと悠々と帰っていった


二十四日、光秀は義昭に対して供奉衆、奉公衆から退き、名実ともに信長の家臣となることを宣言した。いや、せざる終えない状況にあった。


十月三日、北条氏康が逝去。この氏政が北条氏を継いだ。すぐに上杉との長年の同盟関係を発ち、信玄と盟友を結ぶことを決めた。こけでまたひとつ反信長勢力が増えた。


十一月六日、信長は、今後の戦局を見据えて近江国友鍛冶の庇護を進めることにした。


そして、二十一日、家臣たちに謀反を企んでいる松永久秀の多聞山城を攻撃することを告げた。


十二月、光秀は、信長の命を受けて領地に城をきずくことを開始する。坂本城の建設である。

















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