第20話 反信長勢力の結束
元亀三年一月一日、この年の正月は、家臣たちの多くがそれぞれの配置についているため、岐阜への出仕は行われなかった。
十四日に、反信長勢力の旗頭本願寺顕如光佐は、反信長勢力の一翼を担うため新たな行動に移っていた。まず、武田信玄に書を送り信長の背後を付くように指示した。
六角義賢・義弼父子も信長との和議を破り、逐電していた甲賀郡から出陣して、一向宗とともに金か森城、三宅城に立て籠もり再び江南で活動を始めた。
これに対し、信長は佐久間盛信と柴田勝家に命じて、集落内の寺をひとつひとつ焼き討ちさせ、拠点をつぶし村々から起請文をとって従わせた。
一月二十一日、信長は義昭に対して、摂津中島城と高屋城を攻めるため柴田勝家を派遣すること、この戦は「天下静謐」のもとにあることを述べ、幕府も動座するようにと指示した。
閏一月六日、明智の元に吉田兼見が参り、山岡隆猶とともに坂本城築城の様子を見た。
表向きは、年頭の挨拶であるが、兼見にとっては違う目的もあった。
足利家との離反、信長の心情などを聞くため坂本を訪れていたのである。
朝廷は、信長軍の内情をすべてこの明智を通じて得ていた。
「明智様」
「これは兼見殿、正月の礼拝痛み入る」
「城の普請の儀、進んでおるようで執着にござりまする」
「いやいや、まだまだでござりまする。光秀はここに東西随いつのこれまでにない城を築くつもりでございます。出来ましたる暁には、茶など如何にござりまするか」
「それは、まちどおしきことにござります。それはそれとて、御心情はいかがでござりましょうや」
「義昭様、禁裏の者たち、みな心配しておりますれば。先の叡山攻めはさぞかしご苦労あったのではないでしょうか」
「心配をかけ申し訳ござらぬ。今のこの時、これからの事、家臣や家の事をなど。重きものを背負うっておりますれば、ここで信長様と反目することに理がないと思うっております」
「信長は何をおもっておられるのか…」
「すべては天下静謐のためと心得ておりますれば。この後、早く天下が静まればと願っておりまする。この光秀がその一助となれば」と、光秀は語った。
(この先、将軍義昭様と禁裏、帝と親王様、皆々がひとつとなり、よき時代となるようにはとても見受けられぬ)と思いながら、兼見自身も役割として情勢を朝廷に伝えていくことから、自ら逃れようとは思ってはいなかった。
十日、二十九日と細川藤孝と三淵藤英と出会い、明智の様子を伝えていた。
二月十日、義昭は、こうして各方面から得られる情報をもとにこれから先のことを考え始めていた。
その手始めとして、京の屋敷が危なくなった時に逃げる城を築こうと考えていた。なによりも、今の城は信長が築いた城というだけで枕を高くして寝ることが出来なかった。
そして、岩成友通を呼び出し、淀に城を築くことを命じたのである。
兼見は二十五日、再び坂本へ明智を訪ねる。義昭の淀築城を伝えるためである。
三月三日、信長が十四、五日には上洛して本能寺に泊まることを明智から聞き出した。五日、藤孝にこのことを告げる。このようにして、義昭に情報を入れる仕事を兼見は引き受けたのである。
三月五日、信長は、北近江に向けて岐阜を発ったのち、赤坂に陣を敷いた。そして、次の日に横山城へと入る。七日、浅井の城小谷城と織田方の陣城山本山城の間に分け入って陣を設けた。北の余呉・木之本まで兵を出し放火した。そして、九日に横山城まで戻ってきた。
十日、信長は、安土常楽寺湊まで引き下がり、舟で明智のいる志賀へと向かった。そして、十一日に和邇に陣を張り木戸城・田中城を包囲して、明智、中川、丹羽に取出を築かせた。
十二日、予定よりも早く信長は上洛し妙覚寺に陣をした。兼見は信長と謁見した。
その一方、十四日には江北の様子が磯野員昌からもたらされたり、摂津の荒木村重へ義昭の言葉を伝えたりと忙しい日々を送っていた。
世の中はある意味不穏であった。
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