第10話 但馬に出陣
毛利元就は、天文年間から長年の血族間の争いによる内紛、家督争い、国人領主台頭による土地争いで苦しんでいた。一方ではこれを梃子にして徐々にその勢力を拡大していった。
安芸国内の大内義隆側の国人たちを攻撃しこれを傘下におさめ、弘治三年、大内氏を滅亡に追い込んだ。そこからさらに九州へと進出し大友と交戦していた。
西では、永禄元年に奪われていた石見銀山を取り戻そうとして尼子晴久と対峙する。永禄三年、晴久が急死すると嫡男義久が足利義輝将軍に和睦の仲介を願い出たが、毛利はそれを破棄し、永禄九年、月山戸田城を攻めこれを落とした。
これに対し、永禄十二年六月、毛利が九州で大友氏と交戦している隙をついて、尼子の残党と尼子勝久が丹波の山中祐豊の助けを借り出雲を奪還しようと進行してきた。
この時すでに元就は大病を患っており、息輝元では心もとないと考え元就は、信長にその背後の山名を脅かすように但馬に出陣を頼むことにした。
信長は、但馬を平定するよい機会が与えられたと出陣を決意した。
山名氏は、足利尊氏の家臣であった山名時氏がその功により得た山陰地方の領地で守護大名となった一族で、全国六十六国の内、十一か国を支配する勢力を持ち六分の一殿と呼ばれたくらいの巨大な勢力であった。山名持豊の代には、洛中で応仁の乱を起こした張本人であり、信長は敵視していた。
本拠地は、出石此隅山城である。
「秀吉 !」
「は。これに」
「総大将を命じる。これより、二万の兵を率いて、但馬へ向え」
「二、二万で、ご、ご、ござりますか」
「そうじゃ。なにか不服か。足りぬと申すか」
「滅相もございませぬ。そのようなことあるわけごさりませぬか、か、勘弁してしたくだされませよ。殿」
「ちいとは侍らしくなってきたか。働け。秀吉。しかと働け。わかっておるか。ぬかるなよ」と、目をかっと見開いて秀吉を見つめた。一瞬、笑顔になり。また、目を見据えた。
秀吉は、尾張衆、伊丹池田を同心として二万の大軍を率いて、永禄十二年八月一日、但馬へと進行していった。秀吉はその才覚を発揮し、瞬く間に、但馬銀山を出中に収め、子盗城、垣屋城など十八城を攻略し、わすが十三日で此隅山城を落とし但馬を平定した。
そして、十七日に岐阜に帰着した。ただ一点、山名祐豊を討ち漏らし堺に逃していたことであるが、信長は気にはしていなかった。
但馬での山名の名声は捨てがたいと、今後従うのであれば一千貫の礼銭と引き換えにと但馬国での復帰を許した。許すことと許さぬこと。
それは紙一重であるが信長にはしっかりとした考えがあっての事であった。
いずれにしても、期待通りの働きをした秀吉に対し、信長はとてもご満悦であった。
但馬攻めから一息もつかないままに、信長は家臣たちに出陣の支度を迫った。
「伊勢に向かう」と。
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