第9話 朝日山日乗の立ち回り
四月廿三日に信長は、丹羽らを従え岐阜に戻った。
信長がいなくなった洛中では、各々の思いの渦の中、早々、様々な動きが起ころうとしていた。
そんな中、信長は、以前から正親町天皇と約束していた、みつつの約束のうちのひとつ。禁中の修理を進めることを考えていた。
ひとつには日乗がしきりに持ち掛けてきたということもあるが、信長は、はなからこの一件は、彼に任せて進めることを考えていた。
当の日乗は、
(いずれ自分のところに仕事が回ってくるであろう。信長が頼れるのはこの日乗しかあるまい)と、見越していた。
かれはすでに、四月十六日に独断で烏丸光康邸に大工たちを呼び寄せ修理の見積もりを取っている。その費用一万貫であった。これはかなりの額である。
さすがに、日乗も、
(今の禁裏ではこの費用を捻出するのは無理であるな。やはり信長を動かすか)
と、頭を悩ませていた。
その準備として、内々に皇居内に瓦焼きの場と、檜皮づくりの作業所を設けることを禁裏から了解を得いた。
朝日山日乗は、出雲出身ではじめ尼子に仕えていた武士である。
尼子との折り合いが悪くなってから僧侶に解脱して上洛逃げそのまま禁中に入り込み仕えていた。
頭の回転が速く立ち回りがうまい日乗は、すぐに後奈良天皇に取り入り、すぐに上人の称号を得て宮中に食い込み、さまざまな法事などに当たっていた。
信長の上洛に当たっては、禁裏からその仲介役として指名され関係が始まっていた。信長は禁裏からの指示という事もあり日乗をぞんざいに扱うわけにはいかなかったが、彼の性分は好きにはなれなかった。
日乗は、自らの地位を利用し、天皇と将軍、信長の三者の間を渡りながら自らの力を政権の中で行使することに悦を感じていた。このことが、後々様々な問題を引き起こしていく。
まず一つ目の事として、信長が帰った翌々日の事であった。ルイス・フロイスが、四月八日に信長から京での布教を乞い願い允許書を得て布教を得ていたが、法華宗の日乗はこれがとても気に入らなかった。
四月二十五日。禁裏に取り入って、洛中を地獄に陥れると解き、独断でキリシタン禁制の綸旨を得て、二十六日に将軍義昭にその実行を命じさせたのである。
これは先の信長の掟書を破る行為である。さすがの義昭も信長の影がちらつく中、自らでは判断がつかず、信長が戻るまでうやむやにしようと考えていた。
洛中で教会建設を進めていたフロイスのもとには、この一連の様子が結城山城守によってもたらされた。それを聞きつけた和田惟政は、フロイスのためにとすぐに義昭と信長に対して奔走した。両者に信頼が厚い彼の行動は効き目があった。
フロイス一行は、洛中にいることの危険性を感じ、五月十七日、とりあえず高槻城の高山右近を頼り下向。そして、惟政の進言により、その足でフロイスは自ら信長に嘆願するため急遽岐阜に向かうこととした。何よりもそのような行動を好む信長の心情を知っての助言であった。
二十一日、岐阜に到着したフロイスは、すぐさま信長と対面できた。
「どうした。フロイス。都で何がおこった」
「信長様、どうか、われらをお助け願います。帝と将軍様により、信長様からあたえていただいた允許状があるにもかかわらず、彼らは我々を都から追い払おうとしています」と、つたない日本語で話し始めた。
「それはいかなることかしれぬが。まあよい。禁中の事は気にするな。いま天下の一切は、予が取り図っておること皆が知っておるところであろう。どこぞのよからぬ者の浅知恵。動き回っておる輩があることはすでに予も聞き及んでおる。心配はいらぬ。帝でも義昭様も深いお考えがあっての事ではなかったことでござろう。先の允許状があればそのようなことが出来るはずもない。さ、あらめて書状をもたせるゆえ秀吉にその書状を見せよ。秀吉が何とかするであろう」というと、祐筆を呼び寄せ書状をしたためさせ朱印させた。
(やっかいなものどもであるな。わずらわしい)と、信長はつぶやく。
「せっかく参られたのであるから、この城をゆるりと見ていかれるがよい。この国のどこにもない城であるぞ。そちの国の城と比べてみよ。どうだ。信長の城は」と、フロイスを岐阜城の隅々にまで案内をした。
その時の感動は、フロイスが書き残した報告のとおりである。
翌日、信長は、丹羽長秀を呼び寄せて伝えた。
「ちょうどよい。禁裏修理の話をしようと思おっておったところである。日乗を岐阜に呼べ。合わせて秀吉も帰らせよ。まずは、フロイスの一件に肩をつける」と。
その頃、都では信長がいないことから気持ち的に解放された将軍義昭は、キリシタンをめぐる問題などには我関せずと、緊迫感なく羽を伸ばしていた。
五月四日に相国寺で義晴忌を催し、家臣たちを集めた酒宴を催し。
翌日の端午の節句には賀茂社で比べ馬を催し、大騒ぎし見物したりしていた。
そのころ禁中では、フロイスが信長に注進に言ったことを憂慮していた。
日乗と秀吉が岐阜に呼ばれたことを直接日乗から聞いてもいた。
日乗を岐阜に向かわせる前に、なんとか信長に帝の気持ちを伝え禁裏が信長に盾を付いたわけではないことを知らせなくてはならないと、日乗の岐阜行を引き延ばさせて、言い訳をするために、まず日野輝資を岐阜に向かわせていた。
早馬の文を見るなり秀吉はすぐに洛中を駆け出し、五月二十五日には岐阜に付くという早業で帰城した。
信長が秀吉を呼び寄せたには別の理由があった。毛利元就が九州で大友氏と交戦している隙をついて、出雲の奪還を目指して尼子が挙兵し虚を突かれそうになったことから、信長にその背後の山名を脅かすように但馬に出兵することをしてきたからである。信長として勿怪の幸いである。但馬を平定する機会が与えられたのである。これを秀吉に任そうと考えていたからである。
「久しぶりである。達者であったか。早いのう岐阜に付くのが、どこぞに、隠れておったのか」と、秀吉をいじめるかのように信長は声をかけた。
「とんでもござりませぬ」と秀吉は恐縮する。
「帰りとうて、帰りとうて、我慢がならぬと喚き散らしておったと聞くがのう」
「そんなことは、そんなことは、ありゃせん。いや、ございませぬ」と、秀吉は畳に頭をこすりつける。
「よいは、猿。キリシタンの一件。しかと差配せよ。下がってよい。押って沙汰する」と一言い放って部屋を出で行く信長であった。
(いや、京よりよっぽどよいは。わくわくするのう。なにかこう、からだがむずむずする。まずはおっかのところへかえるとするか)と、信長との対面を済ませてほっとする秀吉はねねの待つ屋敷へと向かった。
さらに、その数日後、村井貞勝が岐阜に到着した。
「日乗はまだ来ぬか。予の前にこられぬか、貞勝。どうじゃ」と、着いたばかりの村井に問いかけた。
「さようのようで」と、村井。
「貞勝よ。宮中の築地は、下々の民と変わりがないくらいに崩れ、躰なしていないと聞く。破れたところなどは、茨や竹などで垣を設けているが、童たちはその穴から自由に出入りしているらしいではないか。御殿の御簾などは落ちたままであることも。住まいで出来ぬ殿も多くあると聞く。修理を急がねばならぬの」と、信長はこれが一番の心配事であるというように村井に話しかけていた。
それからひと月もたった六月二十五日。日乗がようやく岐阜へ到着した。
「日乗上人。よう参られた。岐阜まで遠かったであろう。待ちくたびれましたぞ」と、信長は、とりあえず到着の労をねぎらった。
「いやいや、滅相もない。早くに向かわなければなりませぬところ。あれやこれやとあり申して、遅くなり申した。どのような用向きでござりましたでしょぅか」
「そうであった。なにやら、洛中でもめごとが起きているとか」、知らぬ躰で信長が詰問する。
「確かに、近頃切支丹なるものが、あちらこちらで民をたぶらかしておる様子。帝も心配なされておるところ。帝の意を洛中にお知らせせよとのこと、義昭殿に申し伝えたところでございます」
「その儀に付いては、この信長が義昭殿との連署で、その居住と布教に付いて允許したばかりではなかったか。かの掟が気のとおりと存ずるが」と、少し嫌味に話す。
「誠に、然れども洛中を乱すことは急務なこと故」と、弁明する日乗。
「しからば問う。切支丹たちの教えを、日乗上人はどうお考えじゃ。日乗殿が進行する日蓮とて同じ心のよりどころではないか。民がどのことを信じ、何を頼るのかは、信仰するものが決めることではないのか。教えを説くものが、自らの勢力を誇示するためだけにその権力を振りかざすことは、予をよく思わぬ。近頃、本願寺の一向宗だの、天台の叡山だの、私兵を雇い武装し、政に介入している者どもが増えてきておる。宗務者の本来の務めはそのようなことではないのではないか。民のこの世とあの世とでの不安を救うためにあるのではないか。どうであろう」と、信長は日乗に問答を吹っ掛けた。
「日本古来からのものであるならまだしも、遠い謡の知れないバテレンの国の信仰ほど信用ならぬものはないのではありますまいか」
「そちは、バテレンの国に行き、その様子を見たことがあるのか、どのような国で、どのようにしてその考え方が生まれ、どのようにしてここまでたどり着き、何を考えておるのか、見もせず、聞きもせず、知りもせず、考えもせず、これに問えることが出来るのか」
「さようであるのなら」と納得は云ってはいないが、この先この問答にはまればさらに立場がわめくなることを察した日乗は、とりあえず矛を収めることとした。
「まあよい。この話はまたいずれどこかでゆるりと行おうぞ。日乗殿」と、言って信長から話を切った。日乗もほっとした瞬間であった。
「そのことではない。予が日乗上人をお呼びだてしたのは。予が話したかったことは宮中の修理の事である。かねてから帝にお約束しておった殿中の修理を早く進めたいと考えておる。この一件については、以前からお考えの深かった日乗上人にお任せをしたいと考えておるところであるが、いかがが」と、本題に入った。
「この日乗も以前から考えておりましたるところで、ぜひ、わたくしにお任せあられますようにお願い申し上げまする」と、日乗。
「ちょうど、ここに村井もおる。普請奉行に命じるので、二人で差配して進めていただくことでよろしいか。銭の心配はまったくいらぬ。この信長にすべておまかせあられよ。帰られたら禁中にそのようにお伝え願いたい」と信長。
(よくわからぬ御仁である。窮せられるかと思い。公家にいろいろ手を打って、岐阜に下向したが、取り越し苦労の様であった。この日乗をそうやすやすと廃することはできぬと見える。願い通り宮中修理に付いては命じられたわけであるし由として、もどるとするか)と、輿で思いを巡らせながら、日乗上人は、七月六日帰洛した。
「日乗は帰ったか。腹黒い男よ。やはり好きになれぬ」
「秀吉を呼べ、出陣じゃ」と、言い放つ。
いよいよ、時代は動き出したかのように見受けられた。
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