第7話  殿中掟書

禁中では、三好三人衆が再び将軍家を襲った話題で持ちきりであった。

「あぶなかったであらしゃいますな。義輝の二の舞や」と、関白二条晴良。

「あぶなおす、あぶなおす」と、勸修寺。

「あぶない、あぶない」と、一同が連呼する。


「信長はんは、間に合わんかったそうやな。残されていた公達がえろう働き召されて、なんとかもちこたえなさったそうな。いずれにしてもこの先が思いやられるわな」と万里小路が言う。


確かに危なかった。しかし、信長は違うことを考えていた。

信長が岐阜に帰った直後から、ひとつは三好一族がその隙を狙い兵を動かそうとした事実があり、虚をつかれたということはあるが、問題はそれに呼応した畿内一円の奉公衆の動きであった。


無論、それを促したのは将軍義昭としての地位であり、彼の取り巻きである御供衆の動きでもあった。義昭は距離的に信長間に合わないことを理由に近隣の奉公衆たちに内書を発し、参集することを促したのである。


いわば、それらに呼応した者たちは、将軍の直参であり近衛兵としての性格を持つものとして認識できた。信長が軍事的に大きな力を持っている中で、義昭自陣が自由にできる兵が内存すること、それがもっとも信長が懸念することであった。きしくもそのことがこの一件で露呈したことになる。


「あらぬな。これはあらぬ」と、信長は村井を呼びつけた。

「いまより、申し付けることをしたためよ。判もつである」と、祐筆を呼びつけた。


そして、永禄十二年一月十四日、信長は九箇条からなる『殿中掟書』を発したのである。

これは、「殿中」つまり禁裏の掟を示したものであるが、それを遂行する幕府に対して取り決めとなっている。


将軍も天皇の家臣であり、政治はお上から征夷大将軍として示され幕府が預かるのである。正しくは上意を伺って進めなければならい。その取次の在り方と実行の形が正しくなければ、上意は形骸化し将軍が意のままに国を動かす可能性がある。そうなれば世が乱れるのではないか信長は考えたのである。ある意味、信長は尊王的な立場をとっていることがわかる。


その条項はこうであった。


『殿中御掟』 義昭袖判

一 不断被召仕輩 御部屋衆、定詰衆、同朋以下 可為如前々事

  (義昭のためのお部屋衆、決まった部屋に詰める警備の衆、雑用がかりなど、そ

の他の使用人はこれまでどおりのお役目をするように。)

一 公家衆、御供衆、申次、御用次 第可有参勤事

  (公家衆と御供衆、申し次を行う者、御用を仕る者は、将軍が用のある時は直ぐ

に参勤し務めること) 

一 惣番衆、面々可有祇候事

  (惣番衆は、呼ばれなくとも出勤していなければならない)

一 各召仕者、御縁へ罷上儀、為當番州可罷下旨、堅可申付、若於用捨之輩者、可

為越度事

(幕臣が御所に用向きがある場合は、当番役のある時にだけにすること)

一 公事篇内奏、御停止之事

  (用向き以外で御所に出向くことを禁ずる)

一 奉行衆、被訪意見上者、不可有是非之御沙汰事

  (奉公衆が出した判決を将軍が決めてはならない)

一 公事可被聞召式目可為和如前々事

  (訴訟の規定は従来通り)

一 閣申次之當番衆、毎事別人不可有披露事

  (当番衆は、申次を経ずに事を将軍に伝えてはならない)

一 諸門跡、坊官、山門衆、従醫陰輩以下、猥不可有祇候。付、御足軽、猿楽随召

可参事

  (門跡僧侶、比叡山延暦寺の僧兵、医師、陰陽師をみだりに殿中に入れてはなら

ない。足軽と猿楽は召されたときは入ってもよい)

 

 永禄十二年正月十六日                織田弾正忠信長


さらに追加として、六条の項目が足された。


『殿中御掟追加』

一 寺社本所領、當知行之地、無謂押領之儀堅停止事

  (幕臣が寺社の所領を押領することを停止する)

一 請取沙汰停止事

(沙汰を受け取ることを停止する)

一 喧嘩口論之儀被停止訖 若有違乱之輩者、任法度旨可有御成敗事 付、合力人

同罪

  (喧嘩口論を禁止する。違反する者は法を以て成敗する。これに合力するものは

同罪である)

一 理不尽入催促儀、堅停止事

  (理不尽な催促を禁止する)

一 直訴訟停止事

(幕府が直接的に諸相を取り扱うことを禁止する)

一 訴訟之輩在之者、以奉行人可致言上事

(訴訟したい者は、奉行人を通すこと)

一 於當地行之地者以請文上可被成御下知事  1月16日

(占有地の取り扱いはしっかりと把握してから差配すること)


これらはすべて当たり前のことのように見えるが、あらためて信長と義昭の判物で殿中に出されることが、すでにこれらの事が守られていないという証でもあった。


単に義昭が将軍職の学びがなく、また倦怠な者というわけではもなく、幕府の理そのものが崩れていたというほかにはない。

いずれにしても信長はこの状況をとても憂慮していたことには間違いがない。


「えらいもんをだしてはったは」と、宮中では騒ぎになった。

「よいかいの。殿中は別にこれまでとなんもかわりはないがいな。それはそうとて義昭はこれをなんともおもってはおらぬのか、袖判迄して。わからぬのう」と、晴良が云う。

「いよいよ、足利も転ぶか」と勸修寺。


一方、信長は、信長なかで


「殿中には届いたか」と、信長。

「は、は。お届けいたし申し候」と村井が応える。

「よい。してどのようであるか」

「何もかわりがないものと見受けられます」

「義昭はどうか、判を添えたか」

「添えられましてございます」

「そうか、すこしはわきまえを持ったか」と信長。


決して信長は、義昭を排他したくてこの行動をとっているわけではない。

緩み切った三歳年下の弟分に、将軍は将軍として幕府は幕府としての在り方を今一度、尊氏の頃の時代のような凛としたものに戻したいと考えていただけの事であった。


一月二十六日。ひと段落した信長は、禁裏が久しぶりに落ち着いた宮中行事として行った声明と左義長の音に惹かれて、近習の者500人を引き連れて御所へと向かった。


ひとつは御所門の警固に当たろうと思っていたことであった。それを聞きつけた禁裏は、小御所に庭にて酒肴を家臣たちにふるまうゆえ待つようにと伝えてきた。


信長はそれを信じ、家臣たちと小御所の庭先に参内していたが、待てどもそのような趣向が訪れることはなかった。


「遊ばれたか」と、あきらめて館に提出することに決めた。

その様子を、はるか彼方の建物の御簾越しに、帝がのぞき込んでいることなど、信長は露も知らずのことであった。



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