第6話  本國寺の政変

「べっぴんななおなごがいて、うめーものがいっぺーあって、えーにおいのする京いられることは、わしには、ほんにええことではあるが、わしもねねが待つ岐阜にきゃりたゃかったのおー。信長様はなにを考えとられるかわからんで。わしがここで何をするというのか。山城でどろくせく、いくさするほうが気が落ち着くは」と、徒たちと本圀寺の門前の番をする秀吉がひとりごとのようにぼやいていた。


「秀吉殿であられるか」と、そこに明智光秀が声をかけた。

光秀は義昭の御供衆の一員であり、普段は屋敷の奥深くにいて信長と丹羽や村井などの重臣たちとは出会うことがあるが、ここへ来てから直接的に秀吉と会うのは今日が初めて出会った。


「これは明智様。わしみたいなものの名をおぼえていてくださるとは、うれしいの」

「いや、ここ近くのお働き、武勇はみなも聞きおよんでおりますゆえ。義昭様のお屋敷警固ご苦労様でござる」


(なんともよのー。わしらみたいな農民上がりの怪しげな武士ではなく、なんと聡明で凛々しいことよのー。禿げ上がったキンカンのようなうりざね顔は、まいまひとつであるが。目の奥底にあるひかりは鋭いと見える。それなりこれまで過ごされてきた者か)と、秀吉は観察していた。


同じように光秀も秀吉の顔を見て思っていた。

(信長様が、猿、猿とよばれているように。たしかに、あちらこちらにとあばれまわる面白き男よの。信長様が気に入られているわけも何とはなしにわかるような気がする)と。



年が変わった永禄十二年一月、元旦の未明から大雪が降っていた。

その四日の日の事である。


信長が岐阜に帰ったという知らせを受けた三好政康は、永禄十一年十一月十三日、三好長逸・石成友通をはじめ薬師寺九郎左衛門貞春、斎藤右兵衛太輔竜興、長井隼人等と諸牢人たちを集め四千の兵で阿波を出た。


「信長は岐阜にある。いまこそ義昭を滅ぼし、わが世となそう。前の関白近衛殿の仇も討つ。みなのもの良いか。われらに勝機あり。えいえいおー」と、勝鬨をあげ挙兵した。


三好三人衆は、十ニ月廿八日に阿波から和泉に上陸し、まず寺町左近将監、雀部治兵衛、澤田備後守らが盾籠もる堺の家原城を落とし、そこで集めた輩を含め一万に膨れ上がった兵で堺に進出した。


そこかららに、年が明けた一月三日に堺を発ち、山城の南山城から本國寺を目指した。四日に東福寺に陣を敷いて塩小路まで兵を進めた。洛中は混乱に陥った。


この状況見て村井貞勝は、すぐに小物に信長への手紙をもたせ岐阜へと走らせた。

(三日はもたさねばならぬ)と、長秀とも話し、兵の配置を整えた。


一方、義昭も同じことを考えていたが、同床異夢であった。遠く岐阜に帰っていた信長を宛てにしていなかった。おそらく距離的に間に合わないであろうと考えていたからである。(二日も持たせれば何とかなるであろう)と高をくくっていた。


近江・山城を中心に、見渡して頼りになりそうな古くからの足利奉公衆がまだいると思っていたからである。これを機にその者共の動向をつかみ、今後のためにも直臣家臣団の再編をしてはどうかと考えていたからである。しかし、この目論見はこの後進退に大きく影響を及ぼしていくことになる。


当時、本國寺には、信長方の村井、佐久間、丹羽、木下、のわずかの兵と、義昭側近の細川典厩藤賢、織田左近謙亭、野村越中守、赤座七郎右衛門永兼、赤座助六、津田左馬丞、渡辺勝佐衛門、坂井与右衛門、明智十兵衛、森弥五八、内藤備中、山形源内、宇野弥七らの兵がいたが、総数では一万を超える三好勢に劣っていた。一同は、なんとかこの場を切り抜けなければならぬと考えていた。


六日になって、この知らせを聞いた奉公衆の細川兵部太輔藤孝、三好右京大夫政元、池田城の池田筑後守勝正、池田紀伊守入道清貧正秀、荒木村重、伊丹城の伊丹親興、茨木城の茨木重朝等が兵を率いて本國寺に向った。


本國寺に先駆けしていた大将の薬師寺九郎左衛門は、屋敷を遠巻きにして取詰めようと門前まで町屋を焼き払い寺中へ乗り入れようとしていた。寺門の守備に就いていたのは秀吉である。


「この場は、わしが引き受けた。猫の子一匹通させぬわ。明智殿は中へ向かわれよ」と、光秀に声をかけて、表門の高麗門に閂を内からかけさせて、門外に陣を張り薬師寺の兵と対峙した。


「秀吉殿、無理はなされずに中に」と光秀が誘うが、

「そのような、ことではわしは信長様にしかられるがな」と申し、よいという風に冑庇を前に引き下げ気を入れて消えていった。


それを見て、明智は、中は細川勢と丹羽勢に任せることとし、自らは裏門へと回ることにした。


薬師寺九郎左衛は、その門虎口を力攻めで突破しようとしていた。秀吉勢らがそれを食い止めようとしていた。


「進め進め進め ! 引くこと相ならん ! 切り崩してしまえ ! 」と、薬師寺の檄が飛ぶ。

「ひるむでねぞー」と秀吉の声が聞こえる。


両者は、切ってかかり、切り崩し相戦いながら、両者ともに多数の手負を出し、討死がでた。死人は算木のように重なり積み散乱していた。


このなかで、若狭衆の山形源内、宇野弥七両人は、恐れ無き勇士を示し数十人を切り倒して武勇を上げた。


そこに三好政元・細川藤孝、池田勝正らが中から加勢にまわり、薬師寺九郎左衛門勢は一気に崩れ敗走した。


この情勢見た三好政康は、形勢が不利と悟り、いったん尼崎まで退却しあらためて兵を立て直しあらためて京に向かうことを考え退却を始めた。


しかし、若江城の三好義継が、桂川表でこの三好軍追いつき背後を突いて一戦に及んだ。


押しつ押されつしながら、高安権頭、吉成勘介兄弟、岩成弥助、林源太郎、市田鹿目介等の頸を討ち取り、義継らの軍勢は意気が上がる。


結果、三好全軍は総崩れとなり、三好政康は命からがら阿波に逃げ帰り、三好長逸は石清水八幡社へ、岩成友通は北野神社の松梅院にそれぞれ逃げこんだ。


これらの報が信長のもとへ到着したのは、六日の未明出あった。この日の岐阜もおりしもの大雪でとても軍勢を動かせるような状態ではなかった。


しかし、信長は文を見るや否や無言で行動に移した。

(まにあわぬか。されど行くしかない。秀吉を残したこと感が当たったは)と、にやりとした。


「者ども、上洛じゃ」と言い残し、陣触をすることもなく、ただひとり、大雪の中を馬に乗り、洛中へと打ち発った。


それに気づいた重臣たちは、あわてて、その後ろを追った。その数、わずか十騎である。


残された家臣たちは大慌てである。とる物ももとりあえず、遅れてはならじと上洛の支度にかかる。馬借を集め荷駄を馬に背負わせ、大慌ての岐阜城下となった。


信長は駆けに駆け、本来であれば三日はかかる道のりを二日で駆け通し、八日の夜に本國寺に到着した。時、すべてが勝たずいていた。


「秀吉殿、危のうござったな。御働き感謝申し上げる」と光秀。

「危のうござりましたな、明智殿。将軍義輝様の時と同じゃの。わしも信長様に面目が立った」と秀吉。


到着した信長はすぐに義昭に面会した。


「おう、織田殿、織田殿。よう参ってこりゃれた。なんとも恐ろしかったぞ。兄のことを思い出し申した。予も同じ運命をたどるのかと思うと生きた心地がせなんだ。もう岐阜には戻らずここにいてはくれぬか。そち達の家臣の相働き満足である褒美をとらす」と一気にまくし立てた。


「此度の事、ご心配をおかけ申した。ご心配はいらぬ事。この信長が予期に計らいますうえ」と、落ち着き払った低い声で答えた。


信長になど頼らずともなんとでもなると思っていた義昭の考えは甘く誤算となった。

結局のところ信長に命を含めてすべてをゆだねていかなければならない自分を苦々しく思っていた。


こののち、信長は守備に当たった家臣たちを集めて慰労した。

「皆の者、よき働きであった。褒美を取らす」とひとこと。


さらに秀吉の方に向き直り、

「秀吉。どうであった。よき働きができたであろう。楽しかろう」と、高笑いした。


信長は、家臣たちの働きを褒めるとともに、実は内心この事件をとても憂えていたが、まずは三好勢の追討であると考えた。


三好義継、細川藤孝、池田勝正らは、追撃のため勝竜寺城まで進駐。総崩れした三好軍は、洛中に到着した信長軍にさらに追われるようにしていった。


九日、信長軍は、撤退する三好軍を追いながら、彼らに加勢した堺まで兵を進めこれを攻撃した。信長は三好に味方した堺の会合衆三十六人に対して、矢銭を課して自治権を取り上げた。


三好政康は命からがら阿波に逃げ帰ったのち、五月に思いをどけられぬまま死去する。三好長逸、岩成友通は、その後も義昭と対峙するが勝算はもはやなくなってしまった。


この状況を見ていた本願寺の顕如は、十五日、信長の二度目の上洛を祝い信長へ献物した。近衛をかくまっていた本願寺が三好を動かしたのではないかという痛い腹を探られることを避けるための事前行動であった。水面下の人々がなんとはなく連動して動き出す予感のする春であった。




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