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「お待たせいたしました。」


水やりを終えた咲夜君が裏庭につづく階段を登ってくる。

水やりの最中に、飛沫がかかってしまったのか肩のあたりが水で濡れていて、皮膚がうっすらと透けて見えた。


「あ、お疲れ様。大丈夫?喉乾いた?」


僕はハンカチを出して、それを拭いてあげようとしたけれど、やんわりと咲夜くんに止められる。


「これくらいならまだ平気です。兎於菟様は大丈夫ですか?日陰といえど、暑いですから。」


汚れてしまいますので。

そう言って、彼は自分のスラックスのポケットからハンカチを出し、肩の辺りを無造作に拭った。


「すぐに乾きます。天気もいいですから。」


言いたい事を視線から読み取ったのか、いつもの「完璧」な笑顔で僕の反論を封じ込められてられしまった。

彼が動揺したり赤くなったりすることはほとんどなく、いつも優等生らしく礼儀正しく振る舞っている。

そんな彼の評判が悪いはずもなく、生徒はもちろん、早くも学校の先生たちの心もまでも掌握し始めているとかいないとか……。


「園芸委員はどう?結構大変だよね、こんな暑い日でも水やりしなくちゃいけなくて。」

「ええ。それなりに大変ですが、草花を育てるのは嫌いではないので。それにここの花壇は立派なので、世話のし甲斐がありそうです。」

「へぇ、そうなの。」

「特に藤が見事ですよ。」

「ああ、そういえばあったね。大きな藤棚が。」

「もうすぐ見頃になります。その時は、一緒に花見をしましょう。」


僕は草花にあまり興味が無いので、この立派な中庭のこともあの藤棚のことも知ってはいたけど特に気にしたことはなかった。

けれど、咲夜くんがこうやっていってくれているのだから今年は花を見ることを楽しもう。

彼の誘いに「そうだね。楽しみだなぁ。」と返すと、彼はたまに見せるはにかんだ顔で微笑んだ。


「ああ、そうだ。」

彼は、少し赤くなった頬を擦りながら目を細める。


「そんなことより、兎於菟様。映画研究部だったとは。」

「え?」

「耳がいいと言ったでしょう?」


とは言っても。である。

彼の言葉が一瞬では納得出来ずに、思わず目を瞬いた。


理由は簡単。

遠すぎるからだ。

中庭とここまでは軽く30メートル以上は離れているし、しかも僕たちはとりたてて大きな声で話していたわけでも無い。

ホースから流れる水の音、風が通る音、廊下の窓から漏れる生徒たちの声。

いろんな音が流れる中で、彼は僕たちの声だけを正確に聞き分けた。


「耳が良すぎるのもちょっと怖いかも。」

「ええ、発言にはくれぐれもご注意下さい。」


彼は優等生スマイルを再び煌めかせながら、中庭専用の水道の鍵をポケットにしまった。


「で、どうすんの?二人はともかくだけど、兎於菟も部活探さないと。」

「うーん。……映画研究部以外に幽霊部員が許されるような部活ってあると思う?」

「ないな。」


間髪入れずにスパリと返事が返ってきた。

文武両道を謳い、生徒に部活を強要しているこの学校は、それだけあってどの部活も一毎年一定以上の成果を残している。

現に、赤羽の所属するバドミントン部は県大会の常連で、松田がいつもベンチを温めていえるサッカー部も同様だ。

彼らのような部活は活動費をたっぷりと与えられ、合宿の費用は勿論、移動にはバスを貸し切ったり、試合時の昼食代が支給されたりもする。


その代わり、ほとんど結果を残さない、脆弱な部にはとことん容赦がない。

今回の映画研究部のようなほとんどサークルや愛好会に毛が生えたような脆弱グループは、毎年何かしらの結果を残さないと無慈悲に廃部にさせられてしまう。

部員が定員を割そうなくらい小さな部活は、毎年自らの部活動を守ろうと必死である。


「ああ、どうしよう。でも、僕そんなにガッツリ部活したくないんだよね。」

「一年のときから言ってるよな、それ。せっかく高校に入ったんだから、部活入って青春しようぜ相棒。」

「部活ばかりが青春じゃないでしょ。」

「でも、部活が一番お手軽に青春を体感できるぜ。」

「……ま、まぁ……そうかな?」


松田にしては言い得て妙な言葉に、思わず頷きがつっかえてしまった。

確かにベンチ要員と言えど、毎日同級生や先輩たちとグラウンドを駆け回り、切磋琢磨しあっている彼は間違いなく「今」青春していると断言できる。

漫画でよく見る放課後にみんなで買い食いするとか、部室で恋愛相談するなんてことも、僕からしたら青春の幻影にすら感じるあれやこれやも彼は実際に体験しているかもしれない。


「年貢の納めどきか……。」

「そんなに嫌か、部活……。」


僕のあまりの落胆ぶりに松田が困ったように眉を下げる。僕の落胆がわからない松田は青春勝ち組といったところか。

そんな松田が僕になぜか構ってくれるのは嬉しいし、彼の明るい空気に触れていると僕の知らない青春の風というものをいくらか感じられて清々しく心が晴れる。

目の前の「残酷な啓示」をもう一度確認したあと、僕は観念して双子の要求を飲むことを決めた。

ここからどう足掻いても、二人に好きな部活に入ってもらうのは不可能に近いだろうし、それなら一緒に松田の言う「青春」とやらを探した方が楽しいかもしれない。

僕が二人に向き直ると、すでに双子はお揃いのスカイブルーの瞳を煌めかせてこちらを見つめていた。


「一緒に決めようか、部活。」

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