-12
「いっぱい信用して欲しいよ!お兄ちゃんはともかく輝月のことは!」
輝月さんが不満そうに頬を膨らませる。
「薬の件は、病気なのか?」
「病気というか、体質みたいな感じかな?」
「今まで平気だっただろう。」
「なんかそれが奇跡なんだって。これからちゃんと薬を飲めば普通に生活は出来るみたいだから。」
僕は彼が背中を預けるフェンスに近寄り同じように背中を預けた。
僕の足元では先ほどの会話への興味をもう忘れてしまった輝月さんが熱心にサッカー部の動きを追っていて、目の動きがまるで獲物を狙う猫のようだ。
もし彼女が猫だったら無意識に尻尾が揺れているだろう。
そんな姿を想像して少し笑ってしまった。
「貴様の疑問は解決しただろう。」
咲夜くんが口を開く。
結局彼は、最初に陣取った場所からほとんど動かなかった。
「ある程度解決したけど、お前らのせいで別の問題が増えたよ。」
咲夜くんは文字通り、鼻で赤羽の言葉を笑うと、彼の言葉には返答せずに腕時計を確認した。
「旦那様、よろしければそろそろ学校を出ましょう。」
「あ、お弁当箱ね。」
「それから晩御飯の材料のお買い物だよ!」
買い出しと聞いて、先まで不満そうな表情をしていた輝月さんの顔がパッと明るくなる。
空に向かって元気よく拳を突き立てたが、勢い余った彼女の体がバランスを崩して、思い切りフェンスに倒れ込んでしまった。
年季が入って錆びたフェンスが彼女を受け止める瞬間に、大きな悲鳴をあげる。
見事にすっ転んだ彼女の足が、拳の代わりに天に向かって投げ出されている姿を見て僕は思わず頭を抱えた。
「もぉ、スカートの中見えちゃうから!」
「スパッツ履いてるもん。」
「そういう問題じゃなくてね。」
手を差し出すと、素直にその手を取った彼女が今度はゆっくり立ち上がる。
スカートについた砂や汚れた襟元を叩いてやり、傾いた赤いピン留めを直した。
手も擦りむいて赤くなっている。
彼女が怪我に強いといっても、菌でも入ったら大変だしとりあえず洗い流さないと。
「来栖。」
赤羽が僕を呼ぶ。「ん〜?」と僕は上の空の返事を返し、他に怪我している場所がないか確かめた。
輝月さんは「もう大丈夫だよー!」と言っているが、あんなに見事に転んだのだから他にも怪我をしているかもしれない。
「お前、そういうタイプだったか?」
「タイプって?」
「あ、いや。……なんでもない。」
彼にしては珍しく言葉を濁す。
歯切れが悪く、何か言いたいことがあるのに彼はそれを口に出すのをためらっている。
僕は言葉の詳細が聞きたかったけれど、僕でさえ全てを言わずに隠しているのだから彼の言いたくないことをわざわざ掘り出す権利は当然僕には無い。
「ああ、そうだ。貴様のスマートフォンだが、手配済だ。明日にでも家に届く。設定などは知らん、勝手にしてくれ。」
「…ああ。」
「赤羽は今から部活行くの?」
「新入生を勧誘しないといけないからな。これから一週間は俺は客寄せパンダだよ。」
「君がパンダなら、可愛いお客さんがたくさん来てくれるだろうね。」
「残念ながらバドミントン部は男子と女子に分かれてる。そういえば、お前は部活大丈夫なのか?」
「僕は幽霊部員だから大丈夫だよ。帰っても誰も怒らないし。」
「いや、そうじゃなくて……。まぁ、いいか。なんとかなるだろう。」
赤羽は背中を預けていたフェンスから離れ、目を屋上の出入り口に向けた。そこには咲夜くんが静かに立っている。
「じゃあ、また明日な。あんまり気を許しすぎるなよ。」
「心配しすぎだって。部活、頑張ってね。」
「明日ねー!アカバネくん!」
軽く手を上げて出口に向かう赤羽を見送る。
赤羽は途中、咲夜君に二言、三言呟いた後、もう一度こちらを振り返り屋上を出て行った。
「赤羽、なんて?」
「旦那様にお伝えするようなことではございません。」
「その旦那様ってやめようよ……せめて苗字でもいいから。」
僕が呼び方の変更を提案した時から、気を遣ってみんなの前では名前を呼ばないように心がけてくれているけれど、それでは不便だろうしいつかボロが出そうで怖い。
それに僕は彼の旦那様であった時の記憶がほとんどないのだから、なんだか呼ばれるこっちもむず痒くて気恥ずかしい。
「……努力いたします。」
蚊の鳴くような声で「兎於菟さま……」と聞こえてきた。
今日一日、完璧な優等生として微笑みを浮かべていた彼の顔が耳の先まで真っ赤に染まっている。
照れ臭そうに目を伏せ、心なしか妹の影に隠れようと大きな体を小さく丸めている。
彼の後ろに大きなハリネズミの幻影が見え、思わず目尻が下がった。
まぁ、「様」くらいはいいか。徐々になれていってもらおう。
「お兄ちゃん昔は名前で呼んでたじゃん。何恥ずかしがってるのー。」
「え?そうなの?なら尚更名前で呼んでくれれば良いのに。」
「いえ、そんな!私ももう大人ですし、子供の頃のようには参りません。輝月と違って。」
「なんで輝月?!飛び火だよ!!ひどい!!」
「もしかしてとばっちりかな?」
「輝月には日本語の再履修が必要です。」
妹の騒ぎぶりを見ていくらか調子を取り戻したのか、いつものように咲夜君が前に出てきた。彼の耳はまだほんのり赤い。
「では、そろそろ参りましょう。」
「お弁当箱って初めて買うかも。」
「輝月も初めてー!お揃いがいい!」
僕の腕をとって、輝月さんが元気よく走り出す。
「階段はゆっくり降りるように!」と言いながら、その後を咲夜君が追う。
どうだろう?これだけ見れば立派な青春の一ページじゃないだろうか?
僕らの心の裏に隠れている秘密を無かったことにさえできれば、僕たちは今こんなにも普通でいられる。
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