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「アカバネくんだ、おはよう!」

「おい、旦那様に触るな。」

「おはよう輝月さん。挨拶ぐらい出来ないのか、兄の方。」


朝から一触即発の空気だ。

昨日の別れ際のことを考えると当然だろう。

だけど、こちらとしてはただでさえ注目が集まりつつあるのにここで赤羽との合流は悪目立ちがすぎる。


朝から生徒たちに美味しい噂話を提供するのはご免被りたい。


「おはよう赤羽。」

「おはよう。お前が無事でよかったよ。顔見るまでずっと心配だった。」


僕の周りには心配性が多いらしい。

または、人を心配させる要素が僕に多いのか。

外野からすれば断然後者だろうけど、僕としては意義を申し立てたい。


それなりに男子高校生として小さすぎるわけでもないし、腕っ節もひょろひょろではない。

単に周りにいる同学年の身長が高すぎたり、体がやけにしっかりしすぎているだけで、僕の身体能力値はちょうど平均値を打ち抜いているはずだ。


「そうだ、僕は赤羽と教室にいくから、二人は職員室に行ってきなよ!」

「でも……。」

「その男は信用に足りません。昨日のこともありますし。」

「少なくても、この学校ではお前より俺の方が信頼性において分がある。」

「世間の貴様に対する信頼ではない、貴様自身に対する信頼が無いと言っているんだ。」

「お前……!」


「あー!転校生たち!」


気の抜けた声が広場に響く。

職員用下駄箱の影に隠れて見えにくいが、誰かがいるらしい。

影がチラチラ動くのは靴を履いているからだろうか?


「こらこら君達!遅いんじゃ無いかぁ?」


しばらくすると、職員用の出入り口から佐藤先生があわられた。


先生の足元は、片方のシューズは綺麗に履けていたが、もう片方は諦めたのか踵がおざなりに踏まれている。

先生は突っ掛けただけの靴が脱げないように足をひきづりながらこちらに近づいてくる。

彼女は怒っています!というオーラを全身で表そうと努めているけれど、そのオーラはお寺で見る線香の煙のように頼りない。


ともすれば本人もそんなに怒る気がないんだろうなというのが透けて見えた。


「こらー!迷子になってるんじゃ無いかと思って迎えにきたのに!普通に他所で油うってるとかどういうことかな?」

「すみません、先生。ですが、私たちにも事情がありまして。」

「先生、私たち先に教室にいってもいい?兎於菟を教室まで送ってあげないと!」

「兎於菟?来栖君?」

「そう呼ばれてます。」

「知り合い?」

「色々複雑なんですが、表面上だけでいうと昨日知り合ったばかりです。」


先生は腕を組み、面倒臭いものを見る目で僕達を見る。

そういうのは隠す努力をした方がいいと思うけれど、昨日の先生の運転っぷりが頭の中をよぎった瞬間、この人にそんな器用なことは無理だなと考え直した。


「なんか若い子の痴情のもつれは先生よくわかんないけど、来栖くんはそこにいる赤羽級長に任せて、二人は私と一緒に来なさい!ほら、こいこい!」


そういうと先生は二人の腕をむんずと掴んで、職員玄関の方へ引っ張っていってしまった。

さすがの輝月さんも先生の腕を力づくで振り解くのは気が引けたのかしょぼしょぼと後をついていった。

咲夜君は先生の後に付いていきながらも、その姿が下駄箱の向こう側へ消えるまで鋭い視線をこちらから逸らすことはなかった。


「なんでこんなに嫌われてるんだろうね?」

「知らん。けど、なんとなくわかる気がする。」

「同族嫌悪?」

「まさか!もっと手に負えないやつだよ。それで、どうした?これ。」


赤羽が僕の左手を掴み、軽く持ち上げる。

左手には包帯がぐるぐると巻かれていて、見た目からして痛々しい。


「あー、昨日ちょっと火傷しちゃったんだ。咲夜君が手当てしてくれたんだけど。」

「咲夜って。兄の名前?」

「そうそう。咲夜君って言うんだって。」


さりげなく左手を引いて、彼の目線から手を隠す。

包帯から例の火傷跡が見えるわけがない。

それでも、彼にこの手を掴まれていると嘘を突き通すのが難しくなりそうだった。


「見た目ほど酷くないから。二、三日で治るんじゃ無いかな。」


僕が本当に吸血鬼的なあれだったらの話だけど。この部分は胸の中にしまっておく。


「……お前は時々嘘が雑なんだよな。」


彼がため息をつく。僕は何も言わなかった。

何も言わないのは、下手に返事をするより誠実な答えだ。

あれこれ言い訳されるよりも、沈黙の肯定の方が事態を悪化させない。


「昨日言った通り、俺の気持ちは変わらないから。何かあったら頼って欲しいだけだ。」


彼が背負っていた大きなバドミントンバックを背負い直す。

重いものがバッグの中で布に擦れる音がして、彼の肩のあるべき場所にショルダーの部分が収まった。


「それじゃあ、俺たちも行こう。新学期二日目で級長が遅刻とか、格好つかないだろ。」


赤羽が二年生の下駄箱に足を向ける。

僕も赤羽につられてそちらへ歩き出した。


彼の背中を見て、昨日の話を思い出す。


彼はどこまで知りたがるだろう。

僕はどこまで話せるだろう。


彼の好奇心はどこまで耐えることが出来るだろうか。

そのうち愛情という正義を持ち出して、僕の体を引き裂いて体の奥から真実を引きずりだそうとしないだろうか。


愛されるということは、無防備に鋭いナイフの前に首を差し出しているのと同じだ。

彼次第で、僕は愛情を受け続けることもできるし、そのままスッパリと首を切り落とされることもある。


冷たい刃が皮膚と肉を裂き、神経をゆっくりと犯していく感覚を味わうこともあるだろう。

血が滴り、艶のある赤色がゆっくりと首の筋を流れる様は愛の終わりに相応しい。


「来栖。」


前を行く赤羽が一瞬足を止める。


「大丈夫だから。」


振り向かず、彼はただそう言った。

「何が?」なんて僕は聞き返さなかった。


彼も何かはわからない。僕だってそうだ。

ただ、漠然と広がる不安の中に、彼は僕と同じく足を浸そうとしている。


同じ不安を共有することを僕に乞うている。

主導権は、彼が握っているにも関わらず。


赤羽は誰よりも愛情深い。

見返りを求めず、世話焼きで、いいやつで、生徒たちの羨望の的で。

でも、白い心は汚れやすい。

一度でもどこかが赤く染まれば、きっと白だけでは物足りなくなるだろう。


もっともっとと求めて、そしていつの間にか人の愛は赤く深く染まっていく。


いくら悲しんだところで、もう何も知らなかったころには戻れなくなるとは知らないで。

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