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「あの、ところでこれは何?」
半熟の目玉焼き、パン、サラダ、野菜スープ、麦茶がちゃぶ台(ちゃぶ台にはガムテープがぐるぐる巻きに巻かれて応急処置がされていた)に並ぶ中、グラスに注がれた真っ赤な液体が僕の前にだけ置かれている。
そういえば、お弁当の中にも赤い液体が入った小さなボトルが入っていた。
「血です。」
だろうと思った。
だろうと思ったけれど、昨日の話の流れからしてそうだとしか考えられなかったけれど、人間としてこれまで生きてきた身からすれば軌道の転換があまりにも急すぎる。
僕は赤いグラスを一応手に取ってみた。
赤色は深く濃く、激しい夏の光でさえグラスの中を通れないだろう。
グラスの中の液体は少しだけもったりとした重みを感じる揺れ方をして、グラスに楕円型の薄い赤色を残した。
「飲まなきゃだめかな?」
「抵抗はあるかもしれませんが、少しづつ慣らしていきませんと大変なことになります。」
「いきなり倒れちゃうとか?」
「いきなり人に襲い掛かりたくはないでしょう?」
ズキリと頭に痛みが走った。
「そういう衝動を感じられたことがあるのではありませんか?」
僕はそれを知っているけれど、自分を守るためなのかそれがどういう感情だったのか、はっきり思い出すことができない。
でも、ひどく抗い難く甘美な高揚が体の中を駆け巡ったことは覚えている。
「旦那様のお身体は成長期です。今まで発作が起こらなかったことが奇跡と言えます。」
奇跡がこの後も続くかわからない。
昨日の話を鵜呑みにする気はまだないけれど、これを飲むまで学校には行かせてくれないだろうな。
「以前の旦那様も血を飲むのはあまりお好きではありませんでしたが、最低限はお飲みになっておりました。」
「お薬だと思って飲んでね。ちょびちょび飲まないで一気に飲んじゃったほうがいいよ。」
「これってなんの血か聞いてもいい?」
「本当に知りたいですか?」
「いや、やっぱりまだいい。」
知ってしまって余計飲みづらくなるなら、知らない事実を覆い隠して目の前の現実だけ受け入れる方が簡単でわかりやすい。
二人は僕の顔を穴が開くくらいじっと見つめて、このグラスの中身が僕の体内に収まるのを待っている。
輝月さんなんて、お腹が空いてしかたないだろうに。彼女のお腹の虫が先から居間のBGMのように鳴り響いている。
僕は覚悟を決めると、グラスの端に口をつけた。
一口だけ、舐めるだけでもいいだろう。
うっすらと小学生のころによく遊んだ遊具の匂いがして、血が鉄があることを思い出す。
グラスを傾けると、液体がゆっくりとグラスを滑り、さっき感じた鉄の匂いが濃くなる。
舌の先に重い液体が乗り、血の匂いが鼻を抜ける。
触れた舌先から口内に痺れるような感覚が広がり、苦みと酸味が味蕾を刺激する。
それを飲み下す頃には舌には微かな甘味が残っていた。
血を飲むという行為への嫌悪感とは裏腹に、僕はグラスを傾けることをやめられなかった。
遠慮なく口内へ流れ込んでくる血を嚥下するたびに、体が燃えるように熱くなる。
僕の体はこの液体が胃の中を満たしていくことに歓喜を覚え、興奮で目元が滲んですらいた。
放置された植物が雨を貪欲に吸収するように、体の隅々まで乾きが満たされていくのがわかる。
ただ、乾きは完全に払拭されることはなく、満たされたと思った瞬間に乾きの苦しみがまた襲ってくる。
喜びと恐怖で手元が震え、グラスが手から滑り落ちた。
「うっ。ゴホッ。うぇ。」
グラスが口元から離れた瞬間、麻酔が切れたように興奮と快楽は遠のいていき、あとには【血】を飲んだという不快感だけが残った。
それでも惨めたらしく体は赤い液体を求め、口の端についた滴さえも舐めとろうとする。
「兎於菟!慣れないよね、大丈夫だよ。」
「どうぞ、お飲みください。」
手渡された麦茶を一気に飲み干した。
口の中の鉄臭さは多少軽減されたけれど、それでもまだしつこく口の中にこびりついている。
快感と不快の振り幅が激しく、逆走行の新幹線に乗らされたみたいに気持ちが悪い。
頭の中のと目の神経がくっついたみたいにクラクラし、お茶を飲んだのに乾きを感じる。
ちなみに僕は三半規管が弱くて、新幹線でも酔い止めは必須だ。
「正直、もう飲みたくない。」
「頑張って!代わりに飲んであげたいけど、それじゃあ意味ないんだもん。」
「それでも、満たされた部分があのでは?体の具合いかがですか?」
目を閉じて体の感覚に集中してみる。吐き気、眩暈、喉の乾き。
「吐き気と眩暈がする。でも、確かに……。」
確かに、何かいままでとは違う感覚が体の中を漂っている。
これが良いものなのか悪いものなのかはわからないけど、受け入れて悪い気はしなかった。最低でも今の時点では。
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