第3話 三人の「クルス」さん

夢を見た。



まぁ、見るだろうなとは思っていた。


僕の中に眠っている何百年分だか知らないけれど、埃をかぶっている記憶の箱を開ける鍵の一つがあの兄妹だったんだろう。


赤いドレスを着た小さな女の子が、僕の足元にまとわりついている。

彼女は僕から離れたくないようで、捕まえようとしても足元を器用にぐるぐる回ってなかなか捕まらない。


彼女は楽しそうに笑っていて、僕も笑っていたと思う。

彼女の可愛い笑い声は残念ながら聞こえなかった。


夢の中の映像はまるでサイレント映画のように、音は無く、見える映像もカラーと白黒が引きちぎられてもう一度貼り合わせたようなチグハグなものだった。

走り回る彼女をなんとか言いくるめたらしい僕は、彼女を豪華な椅子の上に座らせる。


赤いドレスには白いフリルが沢山ついている。

可憐な彼女によく似合うと思った。


僕は確か彼女を誉めたと思う。

「お姫様みたいだよ。」とかなんとか言って。


女の子ははにかんだ笑みを浮かべると、何かを見つけたのか椅子の上に飛び上がった。


誰かを呼んでいる。


彼女が手を振る方向に僕は振り返った。

ああ、やっと来たのか。


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「旦那様。朝です。起きてください。」


居間には朝の光が差し込み、少し空いた障子からは気持ちの良い朝の風が吹き込んでいた。おまけに何かいい匂いがする。

朝食だろうか?なんというか、理想的な朝だ。


「おはよう。咲夜君。」


まだぼやける目線の先には既に起床して一時間は経っていそうな咲夜君がこちらを伺っていた。


どこから出してきたのかエプロンまでつけている。

恐ろしくナンセンスなドラゴン柄のエプロンは僕の小学校時代の家庭科の産物だ。

青白い炎と雷光を背負ったドラゴンのインパクトは、イケメンの顔面にすら勝っている。


「咲夜とお呼びください。学校に行かれるならば、もう起きなくてはいけません。それとも、お休みなさいますか?」

「いきなり呼び捨ては失礼だから。」


そういうと、彼は少し寂しそうに目を伏せたので罪悪感で心が痛い。


「えぇと、もしかしなくても色々してくれてるし、してくれた?」


僕は昨日畳の上で寝たはずなのに、いつの間にか居間には布団が敷いてありその上でぐっすり眠っていた。

しかも、パジャマまで着ているし、頚椎カラーも外されている。


「私が出来る範囲のことですが。もし気に入らない点があればお申し付けください。それと、学校はお弁当だとお聞きしておりますのでご用意しております。」

「ありがとう。びっくりだぁ。」


寝て起きたら、ボロ屋がお屋敷に変わったくらいの変わりようである。

まぁ、ボロ家なことに変わりはないんだけども。


「シャワーは浴びられますか?その間に朝食の準備をいたします。それから、手のガーゼを変えましょう。」

「あ、りがとう。」


昨日まで一人でトボトボと過ごしていた朝が変わってしまった。


自分に気をかけてくれる誰かがいるということで温かい朝の空気というものがじんわりと体に染みていくのを感じる。


合宿の朝や施設で過ごした朝とはちがう、形容し難い熱の塊を体の内側に感じる。


この熱を相手に伝える素直さと、表現する感受性を今の僕は持ち合わせていない。

平たく薄い感情の扱い方ばかりが上手くなって、こういう時に言葉に詰まる自分が苦々しい。


廊下からバタバタと人が走る音がする。

それが居間の前でピタリと止まって、思い切り廊下側の障子が開いた。


「ジャジャーン!兎於菟、お兄ちゃん!見てみて、可愛いでしょ?可愛いでしょ!」


障子は勢い余って、また締まりかけるくらい跳ね上がったが、輝月さんがそれを右足でセーブした。

廊下にはうちの学校の女子生徒の制服を着た彼女がポーズを取って立っている。


全体の色は紺色、襟は白のセーラー服風の制服に男子と同じ白い飾り布がスカートの中頃まで伸びている。

男子の制服と違うのは長い袖口から白いフリルがちらりとのぞいているところだろうか。


スカートはプリーツスカートで、彼女はその下に黒いニーソックスを履いている。

ニーソックスにも小さく黒いフリルがついていた。


「すごく似合ってるよ。でも、うちの学校の制服?」

「もう少し静かにしなさい。ご近所迷惑になる。」

「ありがとう兎於菟!お兄ちゃんもどう思う?似合ってるよね?」

「似合ってないとはいってないだろう。早く支度をなさい。」


もう支度できてるもん、カバンとってくる!

と行って彼女はまた廊下を走っていってしまった。


「そういえば、咲夜君ももしかしてうちの制服着てる?」


彼のエプロンの下をよく見ると、白いワイシャツと濃紺のスラックスを身につけている。

スラックスの淵には見たことがある金の刺繍が刺されていた。


「ええ、着用しております。私と輝月は今日から旦那様と同じ学校に通います。よろしくお願いいたします。」


彼はエプロンの端をチラッとめくって制服を見せてくれたが、毎日見てるものだから僕には十分すぎるほどの情報量がエプロンの外側からでもわかってしまう。


「旦那様。そろそろシャワーを浴びられませんと、学校まで走ることになります。」


僕は咲夜君に追い立てられ、慌ててシャワーを浴びに行った。


まぁ、ここまでくれば同じ学校に通うくらいわけないかもしれない。


吸血鬼やら血やらなんやらというのよりも同級生になるくらいなんて可愛いものだ。きっとそれにもなにかしらカラクリがあるんだろうが、そこが解明されるまえに優先順位で先に聞かなければならないことが多すぎる。


急いでシャワーを浴び、タオルを持って待機していた咲夜君をなんとか居間へ押し戻す。

着替えを手早く済ませて、居間へ戻ると、朝食の準備ができていた。


「朝食の前に、消毒を済ませましょう。」


言われるがまま左手を差し出す。

昨日ひどい火傷を負ったばかりの手だ。

いったいどうなっているんだろうか。


咲夜君がゆっくりとガーゼを剥がしていく。

いくら気を使ってゆっくり剥がしても、生傷にガーゼが張り付き皮膚が剥がれていくのを防ぐことはできない。

ピリピリした痛みを感じながら怖いものを物陰から見るように、薄目を開けて傷の様子を確認する。


火傷はまだそこにあった。


皮膚は茶色く変色し、カラスの首が繋がれている縄目の細かい模様までしっかり見えるようになっていた。

肉は見えない。


昨日の傷の生々しさは抑えられ、皮膚は再生を始めている。

傷を確認した彼は満足そうだった。

目が笑うというのだろうか、表情が笑っているわけではないけれど、彼は喜んでいる。


昨日のように、しっかりと手当てをしてもらったあと、朝食を取るために三人でちゃぶ台を囲む。

咲夜君がおもむろに、ちゃぶ台のしたから何かを取り出した。


「お弁当です。タッパーしかありませんでしたので、今日はこちらをお使いください。」


ビニール袋の中にタッパーが二つと小さなボトルが入っていて、それぞれご飯とおかずに別れている。

スーパーの惣菜コーナーではない、僕のために作ってくれたお弁当だ。


「すごい。ありがとう。」

「ありあわせですが……。今日の帰りにお弁当箱を見に行きませんか?」


そう言いながら、咲夜君が輝月さんにも同じようにビニール袋を手渡す。

そこにはうちのタッパーがほぼ総動員されていた。


「輝月はよく食べるんです。そのうち、旦那様にもご理解いただけるかと……。」


輝月さんはそれを嬉しそうに受け取ると、僕の方をちらちらっと伺っている。


「兎於菟、ご飯。もう食べる?」

「あ、そうだね。食べようか。」

「旦那様のご健康に変わりありませんように。神に祈ります。」

「神?」

「吸血鬼には吸血鬼の神がおります。」


大人が知らない、子供同士の秘密を打ち明けるように彼は小さく笑う。

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