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「そして、私たちは旦那様から血と一緒に能力を分け与えられています。」

「さっき言ってたやつのこと?」

「ええ。私は視力と聴力を。」

「輝月はね、力が強いんだよ!」

輝月さんが、さっきの僕のようにちゃぶ台を叩いた。ちゃぶ台は先ほどの倍の音を立てて、真っ二つ折れて畳に臥してしまった。心なしか音の余韻が耳の奥にこだましている。ちゃぶ台の木片と一緒に、皿とコップと煎餅が畳に散らばった。

「輝月!お前はいつもそう!」

今にも立ち上がりそうな彼をなんとか抑えて、話の続きを促す。別にコップの中身は空だったし、下が畳だったから皿も割れていない。ちゃぶ台は貰い物だから……まぁいいか。あとで廃品回収の日を確認しておこう。

「ねぇ、どうして血と一緒に特殊能力までもっていちゃうのかな?不思議なんだけど。それにそもそもなんで僕は君たちに血をあげたの?全然覚えてないんだよね。」

むしろ自分が吸血鬼かどうかという点もまだ百パーセント信用していないのだ。不思議な力とやらを自分が持っていたらまだそれも容易に証明できただろうが、その力をこの二人がもっていたのならそもそも逆に自分が【血】をもらって、ちょっと吸血鬼の恩恵に預かっているということはありえないのか?むしろそちらの方が自然な考え方な気がする。

「……吸血鬼の血は人間の延命に有効なのです。おそらくその代償として、力を譲渡するのだと思います。」

「人間の延命?ていうことは、僕は君たちを死なせないようにしたってこと?」

「そうだよ、兎於菟は私とお兄ちゃんを助けてくれたの。私たちが死なないように、自分の血を分けてくれた。」

自分が弱くなっちゃうのに。彼女はそういうと、先ほどちゃぶ台を真っ二つにした勢いはどこへいってしまったのか申し訳なさそうに目を伏せる。さっきから薄々勘づいているんだけれど、僕はこの子の悲しむ顔やお兄さんの笑顔に弱いらしい。理由はわからないけれど、思うより先に心が感じ、体が動いてしまうのだ。

「輝月さん、そんな顔しなくて大丈夫だよ。残念ながら、僕はその時のこと全然覚えてないけど、僕が何かを失っても構わないって思うほど君たちのこと大事だったか助けたいって思ったんじゃないかな?だったら、今の状況はきっと、昔の僕が望んでいることだし、君がそれを悲しく思うのは間違ってるよ。むしろ喜んで欲しいな。」

彼女はしばらく黙った後、小さく頷いた。

「とりあえず、僕は君たちを助けたくて血を分けたってことだよね。」

「ええ。そうです。」

彼は妹をチラリと見ると、その背をさすってやっていた。当たりが強いこともあるけれど、妹思いのいい兄だ。少々まじめすぎる嫌いはあるけれど。

「血を分けるって具体的には?聞いてもいい?」

「難しいことではありません。私たちが旦那様から血をいただくのです。私たちは、旦那様の腕から滴る血を飲みました。」

「逆吸血鬼ってこと?」

「逆……?まぁ、そういうとことになりますか。」

吸血鬼が血を吸うのではなく、血を吸われる。変な話だが、現実は小説より奇なりとはよく言う話だ。実際の吸血鬼譚が思っていたより奇天烈な方が信憑性が高いかもしれない。

「なるほどね、それで僕の視力と体力は二人のところにいっちゃった訳だ。」

「そうなります。」

「ここまでの経緯とか、吸血鬼談義はなんとなく理解できたよ。無茶苦茶ファンタジーなお話しだけど、この火傷の件もあるし信じないことには話は進まない。だから、そのあたりは一旦飲み込んでみる。でも、そうするとおかしい点が出てくると思うんだ。」

おかしいのはこの二人だ。どうして僕を探していたんだろう。しかも彼らが言うにはかなりの長い時間をかけて。もう僕は彼らに何かを与えたりすることはできないのだ。そもそも記憶喪失状態だし。彼らに何かメリットがあるとは考えられない。別々に暮らしてお互い干渉しない方が彼らのためでもありそうだし。

「せっかく死ななくて良くなって、普通の人間よりも優位に立つことができたのに、どうして僕を探していたの?もう僕には君たちにあげられるものはないと思うんだけど。」

「血を分け与えられた人間は基本的に元の血の持ち主から離れることはありません。」

僕は何も言わず、話の先を促した。きっとこれが今日彼らが一番僕に訴えたかったことだろう。どうして僕の前に現れたのか。長い月日をかけて、僕を探していた理由。

「先ほども申し上げた通り、血を分け与えた吸血鬼は力を失います。すると、圧倒的に悪意によって、時々事故によって吸血鬼は砂と化してしまう確率が高まります。その上、蘇生の機会を永遠に失ってしまう場合も多くなる。」

砂になり、自我を失い、永遠に地球の上を彷徨い果てる。キリスト教でいう天国や仏教でいう極楽があるのかは知らないけれど、そういう仮初の救いにも吸血鬼は縋ることが出来ないらしい。彼らの寄る方は死の向こう側にはなく、あるのは永遠に生き続ける地獄だけだ。

「それで、血をもらった人たちはそれを恩義を感じて元の血の主から離れないってこと?」

「離れちゃう人もいるけど、離れない人の方が圧倒的に多いかな。」

「吸血鬼は力を延命に使うことが出来ますが、その力は永遠に失うものではありません。血を与えた人間の血を取り込むことによって再び力を取り戻すことが出来ます。」

「それが【還る】ってこと?」

「私たちはそのように申しております。」

「だから、なんだか色々複雑みたい。輝月はよくわからないけど。」

「吸血鬼にとってはリスクしかない行為です。ですから、滅多なことがない限りそのような行為は行いませんし、実際私たちのような存在は数えるほどしかおりません。誰しも慎重になるのは当たり前ですし、血を与えた人間が善人ばかりとは限らない。腹立たしい話ですが。」

「悪人に利用されて、砂になっちゃうってこともあるわけだね。」

お兄さんが深くうなづいた。そういう例を知っているのか、言葉尻は重い。

「話しぶりからするに、二人は僕と一緒にいたってこと?」

「命を救ってくださった旦那様をお一人にするわけがありません。それに、私たちは元々あなたに捧げられた身です。」

捧げられた身とはどういうことだろう?僕の頭の上にある疑問符を読み取ったのか、輝月さんが咲夜君の言葉を引き継いだ。

「輝月とお兄ちゃんは元々、兎於菟のための生贄だったの。」

「生贄。……生贄?!」

「そうだよー。元々は兎於菟に食べてもらうために村の人たちが輝月たちを兎於菟に渡したの。」

生贄なんて言葉は僕にとって遠い遠い昔話だ。記憶にないとはいえ、自分の身の上にそのような血生臭い話が関係していたとはおおよそ信じがたかった。二人の姿は今はもう大人に近づき、しっかりと地に足がついているように見えるけれど、先ほど彼らが言っていた通りなら今の彼らの背丈の半分もないような子供が大人の勝手な事情で殺されるために捧げられたのか。

「兎於菟が村の人間を食べないようにね。」

淡々とした彼女の話ぶりが痛々しい。彼女たちにとってはそれは既に起こった過去の話で、現実に起こったことだ。

「僕そんなひどいことしてたの?」

「いえ、ただの迷信です。」

咲夜君は苦々しく口にした後、その毒を吐くように罵倒のような言葉を僕の知らない言葉で呟いた。

「輝月はあの人たちのこと大嫌いだけど、感謝もしてるよ。だって、生贄にならなかったら兎於菟に会えなかったもん。兎於菟が輝月たちの事愛してくれなかったもん。」

彼女の柔らかい髪が首筋に触れる。肩に感じる重みが心地よく体に馴染んだ。

「ずっと一緒にいたんだ。兎於菟が輝月たちを受け入れてくれた日から。それでね、ずっと一緒にいるって約束したの。私たちが兎於菟に還るまで、お兄ちゃんと輝月と三人で、ずーっと。」

その願いは叶わなかった。当時何が起こったかわからないが、僕はこの子たちと別れることになった。その理由を知っているのは僕だけで、その僕は当時の僕のことを知らない。

「旦那様は、百三十年前に忽然と姿を消されました。」

「百三十年前。江戸時代?」

「日本では明治時代。イギリスではヴィクトリア王朝の時代です。」

「私たち、ずっと兎於菟と一緒だったのに。突然いなくなっちゃったから、すごく怖かった。」

「あなたに二度とお会いできないのではと思いましたが。こうしてお会いすることが出来ました。」

「そうかぁ。」

二人の喜ぶ顔は嘘ではないだろう。僕に向けられる感情に不快感は無い。

ズキリとこめかみの辺りが痛む。

偏頭痛持ちではないけれど、さすがに一般人を自称している僕の頭は常識からのレールを脱線しまくって暴走する列車を目の前にして為すすべもない。しかもこの電車は空も飛ぶのだ。もう僕の手には負えない。この事実を受け入れるのには時間がかかる。百三十年とはいかなくても、あと何ヶ月かは。

「旦那様、いかがされました?」

「あー、ちょっと頭がね。ジクジクするかも……。」

「……一気に色々なことをお話しし過ぎました。申し訳ございません。お休みになりますか?布団の準備を……。」

「いや、大丈夫。というか、そんなことしなくていいよ。それに、まだ聞きたいことは沢山あるんだけど、命の危険がどうのこうのとか。これって大事な話だよね。」

「大事な話だけど、大丈夫。アカバネくんのことはわかんないけど、兎於菟のことは私とお兄ちゃんが絶対に守るから。」

「お約束いたします。」

赤羽のことも助けて欲しいなぁと疲れた頭の片隅で思う。きっと僕は明日彼の質問攻めに合うだろう。このファンタジーな内容をどこまで話せばいいんだろうか。頭がおかしくなったと思われて、距離を置かれたらどうしよう。赤羽はそんなことはしないと思いつつ、かわいそうなものを見る目で見られるのも遠慮願いたい。

「その件については少しづつお話しいたします。大丈夫、時間はたっぷりありますから。」

「そうだよ。これからはまたずっと一緒にいられるね。」

お兄さんが突然片膝を立て、心臓の上に手をおき頭を垂れた。輝月さんもそれに倣い片膝を立て、心臓の上に手を置く。まるで何かの儀式のような、この場にはふさわしくない刺激が肌を刺す。

「誓います。この血をお還しするその時まで、私たちが必ずあなた様をお守りいたします。」

【僕】に誓いをたてた青い光が真夜中に浮かぶ星のように強く光る。

「大人のふりなんてしなくていいよ。子供は子供らしくしてなさい。」

僕はそう言って、畳に横になった。なんだかひどく疲れている。眠気に従って目を閉じても、頭上に輝く蛍光灯の光が薄い瞼を透けて眩しく光っている。

僕は両手で畳をポンポンと叩いた。なんだか昔にもそうしていた気がする。

畳が擦れる音がして、右側に人の気配がきた。そして、しばらく遅れてから左側にも人の気配。

「旦那様。」

「ん?」

「私のことは咲夜とお呼びください。そう呼んでいただけると嬉しいです。」

咲夜。輝月。夜の空に輝く花と地上を照らす月の光。

「おやすみ咲夜。おやすみ輝月。良い夢を。」

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