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「お待たせしました。」

「あー!やっぱりやっぱり!兎於菟がかわいそうなことになってる!!すごく痛そう!」


後ろの襖からは輝月さんが、台所の簾の向こうからはお兄さんが顔を出す。


「ひどくしないっていったのに!」

「必要最低限に納めている。旦那様、左手を。」


僕は言われるがまま左手をまた彼に差し出した。彼はテキパキと消毒やガーゼを貼って処置していく。


「輝月がすぐに怪我するから、お兄ちゃんは手当が得意なの。」

「そうなんだ。だからこんなに手際がいいんだね。」

「できれば妹には怪我をしない暴れ方を学んで欲しいと思っております。毎回傷の手当てをする身にもなって欲しい。」


怪我をしない暴れ方。かなり矛盾している行動だ。


「で、兎於菟。自分が何なのかわかった?納得した?」

「うーん。」

「えー、まだ納得できてないの?」

「納得しかけてる。の方が正しいかな?本当にこの傷も治るかわからないし。」


気づけば、左手のガーゼは医療用テープで固定され、右手にも絆創膏が貼られている。


「風呂に入った後にもう一度ガーゼを変えます。そしてまた明日の朝に。私が処置しますので、ご安心ください。」

「ありがとう。」


手当てされた左手を見つめる。そういえば、首といい、こう言う手当てをされたのは始めてだ。幼稚園のころから、走って転んでもたいして大きな怪我をしたことはなかった。インフルエンザにもかかったことがない。今思えばどこかおかしい。


「それで、君たちは誰なの?本当に僕が以前に二十代後半だったとして、君たちは僕の子供とか?それに、どうして今の僕は君たちと同い年なの?以前の僕はどこへいった?」


当然の疑問だ。この子たちの話を鵜呑みにするのであれば、僕は十歳以上若返っている。そんなのありえない。顔の皺がなくなるとかそう言う表面的な若返りではないんだ。僕の記憶は五歳ごろから今の十六歳までずっと繋がっている。だとしたら、年上の僕が存在していた記憶がどこかにないと、若返りが説明できない。


「輝月たちは、兎於菟の子供じゃない。」


輝月さんがキッパリと言う。


「……私たちは旦那様の一部なのです。」

「僕の一部?」

「はい。不思議なことを言うようですが、私たちは旦那様から血を分けられた人間です。いつか、旦那様の体へ還る義務があります。」


一体どう言うことだ。血を分けられたなら、わかる。でも、還るとは?


「旦那様。旦那様は先ほど吸血鬼とはニンニクや十字架を嫌い、日光の下を歩けない、コウモリに変身できるものだとおっしゃりましたね。」

「うん。言ったね。」

「それ以外に何かご存知のことはありますか?」

「ええと、すごく力が強いとか、目とか耳がいいとか。不老不死とか?」


思い出した。昔小学校の図書館で、「世界の妖怪大辞典」を読んだんだ。その本で見た吸血鬼の挿絵は、赤いローブを纏い、髪をぴっちりと後ろに撫でつけて口からは恐ろしく鋭い犬歯をのぞかせていた。舌で歯列をなぞってみてたけれど、僕の犬歯はそんなにするどく尖っていない。


「あと犬歯が鋭い。」


あとあれだ。映画とかで有名なやつだ。


「あと、吸血鬼に噛まれた人は吸血鬼になる。」


今思うと、やっかいなウイルス性の風邪よりも感染率が高いすぎる。100%で感染する病気みたいなものだ。もし自分が吸血鬼に噛まれる立場なら、これから先一生誰かの血を吸わなくてはいけないなら、どんな美女や美男とお知り合いになろうともご遠慮したい。まぁ、僕がそれの原因らしいんだけど。


「そうですね。近いものと近くないものがあります。第一に、先ほど申し上げたように吸血鬼の弱点は【銀】です。それ以外に特に致命傷になるものはないでしょう。次に、コウモリに変身できる力ですが、これは近いですね。変身はしませんが、一定の動物を使役することが可能です。」

「おお。」


思わず声が出る。使役。なんだかかっこいい響きにワクワクする。


「次に、犬歯ですが。不思議なことに、人や動物の血管から直接血を摂取しようとしたときに鋭く成長します。使用した歯は抜けますが、また新しい歯がすぐに生えてきますので、ご心配には及びません。」


なんだか鮫みたいだ。これはあんまりカッコよくないし、人の首に歯が刺さっている状況を想像したくない。グロテスクすぎる。


「力が強い、耳がいい。不老不死。それもあっていますね。」

「そうなんだ……。」


そうなんだ。と思ったが、ここに関して強く疑問が残る。僕は今までの人生で力自慢ができるような体験はなかったし、聴力も普通だ。視力に至っては全然良くない。メガネがなければ外には絶対出られないし、家の中でも結構怪しい。不老も、歳はとっているからおかしくないだろうか?不死はまだ試したことがないからわからない。


「旦那様は死ぬことはありませんが、体が崩壊したり生命維持が不可能な状態が一定時間続くと砂になります。」

「砂?!」

「そうです。皮膚や筋肉、骨、脳、臓器など旦那様の体を形成していたものが全て砂になります。それらを拾い集め、復活の儀式を行えば旦那様は何度でも生き返ることができます。」


先ほどコインにこびりついていた皮膚が、いつの間にか砂のようになっていたことを思い出した。あれは、そういうことなのか。


「え、でも砂なんて軽い物、どこかに飛んでいっちゃったらどうなるの?僕は死んじゃうってこと?」

「いえ、死にません。形なくとも旦那様は生きつづけます。ですが、体を取り戻すという意味での蘇生は困難を極めるでしょう。ですから、心肺停止状態になる場所にはくれぐれもお気をつけください。」

「なるべく努力します……。」

「年齢に関してですが。これは私の憶測に過ぎませんが、おそらく復活に使用した旦那様のお体かもしくは儀式自体が不完全であった可能性があります。それゆえ、実年齢よりもだいぶ若い年齢での蘇生となったのでしょう。また、記憶を喪失しているという点でも同じことが言えます。」

「なるほど?」

「このまま旦那様は人間と同じペースで加齢されると思われます。それが以前の外見年齢に達すると成長が止まるのではないかと。記憶もきっと成長とともに戻られるのではないでしょうか?」


彼の言う通りなら、僕の記憶と成長した分の体積は砂になってどこかへ飛んでいってしまったと言うことになる。いまでもこの世のどこかで僕のかつての肉体が漂っていると思うと、不思議な気持ちだ。


「それと、吸血鬼に噛まれたらものは吸血鬼になるということですが、そんなはずはありません。それなら世界中にもっと吸血鬼がいてもおかしくない。」

「吸血鬼って数は少ないの?」

「残念ながら。絶滅危惧種の動物並みに数は少ないですし、年を追うごとにさらに減ってきています。特にここ数百年はひどい物でした。」

「はぁ。」

「吸血鬼になるには、ある特別な手順が必要なのです。私たちもそのあたりのことはあまり詳しくないのですが……。その件についてはまた追々お話し致しましょう。」


彼は一度ここで言葉を切った。僕が情報を整理しやすいように、小休憩をはさんでくれたんだろう。それでも、ここまでですごくファンタジーな情報を詰め込まれた僕の脳内はふわふわとした綿飴のようで、情報は詰め込まれるだけ詰め込むことができるが、砂糖が絡みついた情報は、二、三日もすれば脳のフォルダーと一緒にドロドロに溶けている可能性がある。

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