−4
「来栖ー!保護者帰ってきたぞ!あと、ペット。」
「コラッ!ペットじゃねぇから!俺が保護者様だから!」
「耳元で大声だすな!」
教室の引き戸の音に被さるように複数に男子生徒の声が教室に入ってくる。
誰かは良く見えないけれど、知っている声が聞こえてきてようやくほっと一息つく。
男子生徒たちは教室の隅の席に座る僕を見つけると、持っていた荷物もほっぽり出してこちらに駆け寄ってきた。
「来栖!大丈夫か、どうしたんだその首!」
「ととちゃん大丈夫かぁ?うわぁ、なんか思ったよりすごいことになってる。」
そばかすがチャームポイントの松田が、壊れやすいものを触るような、恐る恐るといった手つきで頚椎カラーを触ろうとしたが、間髪入れずにその手を赤羽にはたき落とされた。
パチンという心地いい音がして、松田はびっくりした猫のように肩を怒らして、手をすぐに手を引っ込めた。
「痛い!」
「来栖の方がもっと痛いだろう!むやみに触ろうとするな。」
「松田と赤羽、同じクラスなんだ。良かった。」
「赤羽はね。俺は違うクラス。悲しむなよ!」
叩かれた手を振りながら、松田は隣の席から椅子を引っ張り出してきた。
赤羽は相変わらず立ったままだ。
「あ、そうなの?ちょっと寂しいな。」
「俺とは同じクラスだろう。」
「そうだけど。」
「ととちゃんは寂しがり屋さんだからなぁ。赤羽だけでお世話できるかなぁ。」
「俺は来栖より、お前の素行の方を心配してる。今年は絶対に生徒会に面倒をかけるなよ。」
へーへーと気の無い返事を返して、松田が椅子がガタガタと椅子を揺らす。
「ここの席って空席?」
「空席だ。ちなみに来栖の前の席も空席。」
「そう。……え?なんで?」
「さぁ。俺の席は、教壇の斜め前。」
赤羽は聞いていないのに、自分の席を指差した。
黒板が良く見えそうな席だけれど、あそこで居眠りは出来なさそうだ。
「そうだ。眼鏡!」
午前中ずっとこの視界不良の中で過ごしていたから、うっかり慣れかけていた。
机の引き出しに手を突っ込んでみても、新しい教科書のつやつやした表紙に触るばかりで目的のものは見つからない。
「ああ、眼鏡か。俺が持ってるよ。」
そういうと、赤羽が自分の席に戻っていって、またすぐに戻ってきた。
左手には白い眼鏡ケースを持っている。
「赤羽が持っていてくれたの?ありがとう。」
「俺は机に入れといた方が、良いっていったんだけど。お前がいないとき、兎於菟がメガネ探せないじゃんって。」
「もし、下手に机に手を突っ込んでメガネを落としたら来栖がかわいそうだろう。」
首まで怪我してるのに。
そう言いながら、赤羽は僕の右手を持って、その上にメガネケースを置いてくれた。ケースのフェルト地のざらついた毛が手にちくちくと刺さる。
「心配しすぎだよ。僕もそこまで間抜けではないから。まぁ、でも、ありがとう。」
「お前が心配なんだ。……一応、お前も。」
「俺はおまけか。」
松田が椅子に頬杖をついて、子供のように唇を突き出す。
拗ねた松田を宥めながら、ケースからメガネを取り出した。
しばらく使っていなかったからもしかして度数が合わないかもしれないと思ったけれども、杞憂だった。
半日学校で過ごすくらいなら問題ないだろう。
「眼鏡、フレームだけでも回収できなかったのか?」
「わからない。助けてもらったときにはもう、どこかに行っちゃてたんだ。」
「警察に聞いてみたら?拾ってくれてるかもしれないじゃん?」
「拾ってくれてるかなぁ?」
きっとレンズは割れてしまっているだろうが、フレームが無事なら出費が少なくなって助かる。
眼鏡を一から買い直すのは高校生の出費としてはなかなか高価だ。
視界が良好な状態で、改めて教室を見渡す。
何人か見知った顔がいて、一年生のクラスから引き続き同じクラスになった生徒を三、四人見つけることが出来た。
「そういえば、二人は今日のこと見てた?」
「見てたら一緒に病院に行ってる。」
赤羽が前の席の椅子を引いて腰掛けた。
隣の席の女の子がちらりと赤羽の方を見る。
その子は同じクラスになったことのない子だった。
名前は知らない。
癖のない黒い髪が、軽く日焼けした首筋にかかっている。
夜にかかるカーテンの隙間から覗く、柔らかい光のようだ。
その肌はきめ細かく、その血は暖かいに違いない。
「モテる男が恨めしい。」
松田が恨めしそうに赤羽を見ている。
女の子は慌てたように何も動いていないSNSのメッセージを忙しそうにスワイプしはじめた。
「何か言ったか?」
「何も言ってません!」
松田の言いように思わず声を上げて笑うと「お前も俺側だからな!」と怒られた。
赤羽は、成績も良く、容姿もいい。
優しそうな顔と世話焼きな性格が女子生徒から圧倒的な支持を得ている。
青みがかった黒髪はいつも学校の規定内の長さに切り揃えられていて、服装にも乱れがない。
これで生徒会とバドミントン部を掛け持ちして県大会にも出ているんだから、今日からは下級生の憧れの先輩ランキングで上位になるに違いないだろう。
対する松田は春休み前から少し襟足が伸びた髪をそのまま後ろに無造作に流していて、そばかすのある顔には夜ふかしでもしていたのか少しクマの跡が見える。
それに春休みに開けたのかピアスの穴がひとつ増えていた。
底抜けに明るい笑顔と溌剌とした若さ、子供のような素直さが彼の最大の魅力だと思う。
松田は自分の良さに気づいて、もっと自信を持つべきだ。
「俺は赤羽より、松田の方が好きだよ。」
「サンキュー!俺もあいしてるぜ!」
ガタンッと教室の扉に何かがぶつかった音がした瞬間、予鈴が教室に響き渡った。
生徒たちは急いで自分の新しい定位置へ戻っていく。
松田も慌てて椅子から立ち上がった。
「俺は二ーCだから!教科書忘れたら借りにこいよな。全部置いてるから、いつでも貸せるぞー!」
そういって教室から出ていく松田を手を振って見送る。
「俺は来栖のこと好きだけど。」
「知ってるよ。ほら、早く席に着きなよ。」
赤羽はもう一度、僕の首元を確認すると、「今日は一緒に帰ろう。」といって自分の席に戻っていった。そこまで心配しなくても良いのに。
「はい、みんな注目ー!」
扉を開く音がして、白いスーツの女性が入ってくる。
佐藤先生だった。
変なことを言うようだけれど、佐藤先生の顔をちゃんと見たのはこれが最初だ。
病院で見た時は、目のピントが全く合わず、僕の周りの景色は全てモザイク処理が施されていたような感じだったから……。
「みんな、もう来栖くんには挨拶した?今日は来栖くん、すごく大変だったから、みんなしばらく来栖くんに手を貸してあげてくださいねぇ。」
はーい。と小学生のように元気な声がちらほら聞こえる。
ここに松田がいたら、椅子に登って返事していたに違いない。
「はい、良いお返事です。じゃあ、今から午後のホームルームを始めます。とりあえず、委員会と学級長を決めちゃいましょう。それ終わったら、掃除して帰宅!学生はいいねぇ。先生も早く帰りたいよ。」
はぁーっと教職員らしくないため息をついた後、生徒にやんやとどやされながら佐藤先生は渋々黒板に文字を書き始めた。
学級委員長・副委員長・美化委員・図書委員・生物委員……
全部描き終わると、くるりと佐藤先生がこちらを向き直る。
毛染めした赤茶色の髪を肩あたりで一つにまとめ、右頬の真ん中あたりに黒子がある。
愛嬌がある小動物のような目をした先生だった。
そして、この可愛い瞳が車のハンドルを握った瞬間、虎の魂を宿すということを決して忘れてはいけない。
「それぞれ、入りたい委員会に自分の名前を書いてね。決まるのが早ければ早いほど、早く帰れるぞぉ。では、はい。スタート!」
みんなが一斉に黒板に向かう。
特になりたい委員会はなかったけれど、なりたくない委員会は決まっていた。
生物委員と園芸委員。
僕に生き物の世話は出来ない。
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