赤い手毬

下東 良雄

七歳までは神のうち

※ご注意: 本作品にはセンシティブな内容・描写が含まれております。

 お読みいただく際はご注意ください。

 (念の為『残酷描写有り』にてレイティング設定してございます)


※既存の歌の歌詞を転用しておりますが、著作権の保護期間が切れている楽曲ですので、そのまま掲載させていただきました(作曲者・作詞者不明)

 なお、問題のない認識ではありますが、カクヨム様より問題の指摘があった場合は、作品を即時非公開にいたします。






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 あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ

 熊本さ 熊本どこさ 船場せんば

 船場山せんばやまには狸がおってさ

 それを猟師が鉄砲で撃ってさ

 煮てさ 焼いてさ 食ってさ

 それを木の葉でちょいとかぶ


童歌わらべうた「あんたがたどこさ」より)



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 太陽が俺を殺しに来ている。

 大きな麦わら帽子をかぶってはいるものの、真夏の直射日光は確実に俺の体力を奪っていく。


『一族の墓参りは必ずしろ。ばあちゃんとの約束じゃぞ』


 数年前に亡くなった婆ちゃんとの約束を破るわけにもいかず、大学も夏休みに入ったので昨日帰郷。今年も例年通り、実家から掃除道具やら線香やらをバケツに入れて墓参りだ。

 ただ、このところの異常な暑さはたまらん。墓場まで実家から徒歩三十分。墓場に着いた頃には、そのまま墓の中に直行なんじゃねぇか? というか、その方が涼しいんじゃね?

 そんな下らないことを考えながら、水筒の半分凍ったスポーツドリンクを飲みつつ、山と田んぼと青空しか見えない田舎道をひたすら歩く。


 やっとこさお墓に到着。ウチのお墓、他と比べても何気にデカい。スペースも広いし。ということは、掃除も大変だということだ。会ったこともないご先祖様だが、ご先祖様がいたから俺がいるわけで。まぁ、無下にはできないよな。ただ、俺で血筋が途絶えるかも。ブサメンですまん。

 そんな申し訳無さを抱えながら、軍手をはめて草むしりを始める。草むしりが終わったら、墓石を綺麗にしよう。バケツに汲んだ水をスポンジに含ませてゴシゴシ。ご先祖様、気持ちいいかな?


<あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ>


 ん? 誰かいるのか?

 周りを見渡したが、誰もいない。気のせいかな。もしくは熱中症の症状だな、きっと。


 墓石をピカピカにして、改めて水をかけた。線香に火を灯して、お墓に手向たむける。今、生きていることの感謝を込めて、ご先祖様に手を合わせた。


<あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ>

<熊本さ 熊本どこさ 船場せんばさ>


 また歌が聴こえた。周りには誰もおらず、俺の視界に入るのは緑の山と青い空、そして他の家のお墓だ。いや、もうひとつあった。


 ――手毬てまり


 どこから転がってきたのだろうか。とても綺麗な模様の赤い手毬がお墓の脇に転がっていた。俺はそれを手に取る。特に何の変哲もない赤い手毬。


「誰かいるのかい!?」


 子どもでもいるのかと思って声を上げるも、返ってきたのは木の葉が風でこすれるサーッという音だけだ。

 俺は赤い手毬をバケツに入れて、実家に持ち帰ることにした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 一日で随分と焼けたものだ。俺の父と母も笑っていた。日焼け止め塗ったはずなんだけど、風呂に入ったら肌がヒリヒリした。太陽パワー、恐るべしだ。

 夜、地元の友だちから飲みに行こうと誘われたが、さすがに疲れ過ぎたので、日を改めてということになった。残念だけど、仕方がない。

 俺は久々に実家の飯を堪能し、布団に潜り込み、そのままスッと眠りの世界へ落ちていった。枕元にあの赤い手毬を置いて――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――俺は夢を見ている。俺は眼の前の出来事をただ眺めていた。


 飢饉ききんとそれによる飢餓きが

 抜け出せない凄まじい貧困。

 誰もが心に抱える絶望。

 例えるなら、地獄。


 産みの苦しみに顔を歪める妊婦。

 年老いた産婆。

 喜びに溢れるはずの出産。

 待ち受けるは、地獄。


 妊婦から産まれた赤子。

 粗末な小屋に響く産声うぶごえ

 産婆は死神。

 生命の行先は、地獄。


 死神が手にするは濡紙ぬれがみ

 母親から漏れるは絶望の嗚咽おえつ

 濡紙ぬれがみが赤子の死装束。

 小さな命の灯火ともしびが堕ちるは、地獄。


 七歳までは神のうち。

 小さな命はひとであることを許されない。

 手厚く葬られることもなく、土間どまへと埋められる。

 暗闇から光の下へ、そしてまた暗闇へ。

 これを地獄と言わず、何を地獄と言うのか。


 けがれとたたりによる恐怖。

 霊山で流すは悔恨かいこんの涙と懺悔ざんげの言葉。

 それでもひとは生きねばならぬ。

 地獄と言う名の現実で。


 時は流れ、光の下に戻された小さな命の残滓ざんし

 とむらいの思いをもって手厚く葬られる。

 暗闇から光の下へ、そしてまた暗闇へ。

 墓石の下の小さな命の残滓ざんしは何を思うのか。


<あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ>

<熊本さ 熊本どこさ 船場せんばさ>

船場山せんばやまには狸がおってさ>

<それを猟師が鉄砲で撃ってさ>

<煮てさ 焼いてさ 食ってさ>

<それを木の葉でちょいとかぶせ>



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「はぁっ!」


 俺は飛び起きた。赤い手毬が俺の目に入る。


「……童歌わらべうたの『あんたがたどこさ』は手毬唄てまりうた。俺が見た夢は……おそらく、この手毬が辿ってきた記憶だ」


 瞳に涙が滲んだ。


「あのお墓で眠っているのはご先祖様。そして……間引きされた名も無い子どもだ……」


 この世に生を得ながら、それを許されなかった子どもたち。生きるために非道な選択をせざる得なかった母親たち。その気持ちを思うと、自然に瞳から涙が溢れる。

 外から聞こえる虫たちの鳴き声は、まるで赤い手毬を慰めるように、優しく寝室に響いていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌朝、俺は再度墓参りに訪れる。今朝は昨日よりも少し涼しいせいか、何組か墓参りに来ている家族がいた。

 俺は昨日の夢を見て、決心したことがある。それが正しいことかどうかは分からない。でも、自分の思いに従って、俺は思いの丈を大きな声で墓に向かった話した。


「昨日は手毬を持ち帰ってゴメンな。遊ぶものがなくて困っただろ」


 墓参りに来ていた他の家族は俺の声に驚き、不審な行動を取る俺を怪訝な目で見ている。


「あのさ、ずっとここにいるのもつまらなくないか? 良かったら、俺の家に来るか? 俺ひとり暮らしだけど、使ってない部屋もあるし、おもちゃとかも買うようにするよ。あぁ、でも大したおもてなしはできないかも……どうかな?」


 俺は赤い手毬を墓の前に返した。


「ちょっと考えてみて。俺、まだ数日は実家にいるからさ。じゃあね」


 振り返ったら、他の墓参りに来ていたおばあちゃんがニコニコしながら俺を見ていた。


「あんたは偉いね。いいよ、何も言わんでいい。分かっとるよ。悲しいけどな、そういう時代もあったんじゃよ。あんたの優しい心、ちゃんと眠っている子に届いたと思う。この子は幸せもんじゃ」


 おばあちゃん、少し涙ぐんでた。おばあちゃんは理解してくれたんだ。そうだね、悲しい時代があったんだよね。今では考えられないような、そんな時代が。この時は手毬唄が聞こえなかったけど、おばあちゃんの言う通り、俺の気持ちが届いているといいな。


 俺はお墓を後にした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 この日の夜、俺はまた夢を見た――


 ――赤い着物を着たおかっぱの可愛い女の子。五、六歳くらいかな? あの赤い手毬を持っている。そのままちょっと恥ずかしげにしながら、俺に近付いてきたと思うと、俺のデニムをちょこんとつまんだ。

 俺はその場にしゃがんで、目線を女の子に合わせ、にっこり笑った。


「俺のウチ、来るか?」


 女の子は溢れんばかりの笑顔を浮かべて、俺に抱きついてきた。俺も女の子を優しく抱き締めて、頭を撫でてあげた。


 そばに転がる赤い手毬。嬉しい記憶を刻めたかな。辛くて悲しいことしかない記憶を、たくさん上書きできればいいなぁ。陽だまりのような女の子の優しい匂いを鼻孔に感じながら、俺はゆっくりと目が覚めていく――


 ――枕元には、お墓に置いてきたはずの赤い手毬があった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 俺の住むマンションに同居人ができた。とっても可愛い女の子だ。

 俺は空いていた部屋にふかふかの可愛らしい動物のクッションを置き、その上に持ち帰った赤い手毬を置いた。

 部屋には、俺の手作りのお手玉や木製の積み木、スポンジ製のカラフルなボールなど、アナログなおもちゃを色々と置いておいた。遊び疲れたらゆっくり休めるように、身体が収まる位の大きなビーズクッションも置いてみた。


 部屋の扉は閉め切りで、入る時はいつもちゃんと声をかけてから。女の子だしね。

 しばらくは姿も見せず、何事も無かったけど、一ヶ月くらいしたら時々姿を現すようになった。驚かずに、普通に「おはよう」とかって挨拶すると、嬉しそうに微笑んでくれる。最近は毎日のように姿を見かけるし、俺に笑顔で手を振ってくれるので、いつか一緒に遊べる日が来るといいな。


 今、あの部屋からは、お手玉の音や積み木が崩れる音がする。

 そして、あの楽しそうな手毬唄が毎日聞こえてくるのだ。

 俺は祈る。あの子が幸せな時間を過ごせますようにと。


 居間のソファーでくつろいでいた俺は、女の子の手毬唄をBGMにスマホでニュースアプリを開いた。


『勤務先の更衣室で出産 放置された男児は死亡 母親を逮捕』

『自宅で出産後、赤ちゃんを窒息死させた母親の家庭環境とは』

『望まぬ妊娠 産んだ女児はトイレで溺死 母親、法廷で悔恨の涙』


 俺はそっとスマホの電源を切った。

 あの部屋からは楽しそうな女の子の歌声が聞こえる。



<あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ>

<熊本さ 熊本どこさ 船場せんばさ>

船場山せんばやまには狸がおってさ>

<それを猟師が鉄砲で撃ってさ>

<煮てさ 焼いてさ 食ってさ>

<それを木の葉でちょいとかぶせ>





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 間引き――


 本来は、植物の栽培で一部を除いて抜いてしまうことを指す言葉だが、転じて、飢饉や貧困などが原因で堕胎、または嬰児を殺すことを指す。「子殺し」「つぶし」などと言われる場合もある。

 避妊の知識が乏しく、医療も進んでいなかった江戸時代に盛んに行われ、農村部では貧困による口減らしのために、都市部では不義密通などが原因で行われていた。布団や濡れた紙で窒息させる、石臼の下敷きにする(「臼殺うすごろ」と呼ばれた)などの方法が取られ、多くは産婆(取り上げ婆)によって行われた。

 この悲しい風習は、地域によっては昭和に入ってからも続けられていた。



 座敷わらし――


 岩手県に伝わる、家や座敷に住み着く子どもの妖怪もしくは神。その姿は、子どもにしか見えない、家のひとにしか見えないなど、様々な説がある。

 また、家のひとにイタズラをする、見たひとに幸運をもたらす、住み着いた家に富をもたらすなどといった伝承がある。

 間引きによって亡くなった子どもの化身という説もある。



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