第24話 家族の副作用
本当は言えたらよかった。
――私のことなんか気にしなくていいのに。
でも、
「別に、はっくーのせいってことじゃないからね? 先輩が、優柔不断なのが悪いんだよ。まったく」
「いえ、私のせいです」
だって沙希さんが私を育てることになったのは、何もそういう運命だったからというわけじゃない。このアパートに転がり込んだのは私で、沙希さんに助けを求めたのも私の意思だ。
もし、私が親戚に、
「はっくー、おばあちゃんちとかは、行けないの?」
「祖父母は私が産まれたときにはもういませんでした。父に理由を聞いてもはぐらかされたので、亡くなったのか、どうなったのかまでは分かりません。外祖母は……九州の方に住んでいるので、ちょっと」
「うわ、九州か。そりゃ遠いわ。というか、外祖母なんて難しい言い方、よく知ってるね」
「沙希さんが、教えてくれたんです」
「へー、やっぱりはっくーと先輩は、いい家族だね」
家族、外から見たらそう見える。
そう見えるように沙希さんは頑張ってきた。
「はっくーの眼、キミセンにそっくりなんだよ」
「きみせん?」
「あ、えっと、はっくーのお父さん。うちも授業受けたことあるけど、今でも覚えてる。渋い顔なのに、くりっとした眼をしてて、それがすごい、似てる」
「そう、なんですか」
前にも沙希さんに言われたことがある。私の瞳は、父と似ているのだと。
「あのねはっくー、先輩は、たぶん、本当にキミセンのことが好きだったと思う。高校時代、散々だった先輩だけど、好きな人を見つけて、その人のために生きようって決めてからはちゃんと真人間になって……うちの想像だけど、オーバードーズも、その間はきっぱりやめてたはず」
毎朝仏壇の前で手を合わせている沙希さんの背中を思い出す。
その恋が偽物だったらいいのにと、何度思っただろう。でも、心のどこかで沙希さんを信じている私もいた。
沙希さんは、本当に好きじゃない人と一緒に人生を歩もうなんて考える人じゃないって、分かっていた。沙希さんは本当に、私の父を愛していたのだ。
「そんなキミセンが亡くなっちゃってさ、正直不安だった。だって、ほとんど生きる意味だったはずだもん。そんな人がいなくなって、先輩、大丈夫かなって、うちから連絡取ったんだ。でも先輩と会って、ビックリした。先輩、めっちゃ綺麗な表情してたんだもん」
「父が亡くなったあとは、抜け殻のようだった時期もあります」
「そうだね、そうだと思う。愛した人が突然いなくなったときの心の傷なんて計り知れないものだから。でも、はっくーを見たときハッキリ分かったよ。ああ、この子か、って。先輩は覚悟決めたんだよ。はっくーと一緒に生きてくって。だから多分、先輩は、はっくーのことも、本当に大好きなはず」
火葬場で、父の入った棺を抱いて、子供みたいに泣いていた沙希さんの顔は、今でも時々思い出す。
「難しいね。どっちを取るかなんて」
「はい」
小林さんが玄関に向かったので、スリッパを履いて見送りに行く。外はすっかり、真夜中の様相に変わっていた。
「急にお邪魔してごめんね。でもはっくーとサシで話せるの嬉しかった」
「いえ、私もいろいろ、聞かせてもらっちゃって、ありがとうございます。それから、沙希さんを運んでくれたことも」
「いいのいいの、それ込みで飲みに行ってるんだからさ」
小林さんはサッパリしている。だけど気遣いはしっかりあって、だけど必要以上に距離を詰めようとはしない。
「またピアノ、弾きに来てね。最近来てなかったじゃん? いつでもいいから、先輩と一緒に来なよ」
「是非、いずれ……」
ピアノ、という単語が重くのしかかって、うまく返事が出来なかった。その曖昧な誤魔化しは小林さんにも伝わっただろうが、彼女は特に気にした様子もなく、こちらに手を降ってから駅へと向かった。
ドアを閉めて、リビングに戻る。
さっき見たときと、沙希さんの姿勢が変わっていた。
時計を見ると、もうじき十一時半になる。せめてシャワーは浴びて欲しいのだけど、こんな状態じゃそうもいかないだろう。
だけどパジャマには着替えてほしい。ダンゴムシみたいに身体を丸めた沙希さんの肩を揺する。
「沙希さん、沙希さん」
「んー? なぁに
「小林さんは帰りました。明日お礼言っておいたほうがいいですよ。それと、パジャマに着替えてください。せっかくの服なのに、シワになっちゃいます」
「えぇー? なんだか
沙希さんが私の膝に頬をすり寄せてきて、ヒッと声が出る。
「どうしたの? 白亜ちゃん」
とろんとした目の沙希さんは、まだ酔っているのか頬が赤い。
すごく、かわいい。かわいいのはいつものことなんだけど、でも、なんだか蠱惑的で、誘惑するような、妖しい空気が部屋に充満している。
「あ、あの、沙希さん」
「なぁに白亜ちゃん」
「は、離れてください。布団、用意しますので」
「えー、やだ。白亜ちゃんのそばにいたい」
「でも……それじゃ床で寝ることになっちゃいますよ」
「いいよ。もう、なんでも」
沙希さんの口調は、小林さんに運ばれてきたときよりもハッキリとしてきている。だけどどこか、諦めたような、放り出すような、淡々とした声色だった。
「背中とかカチコチになっちゃいますよ」
「いいもん」
「ほっぺたに変な跡付いちゃっても知りませんよ」
「そしたら仕事休む」
「えっと、そんなわけにはいかないじゃないですか。沙希さん、やっぱり布団で寝ましょう」
こうなったら布団をさっさと敷いてしまって、沙希さんを無理矢理放り込むしかない。
そう考えて立ち上がろうとすると、沙希さんが私の腰に手を回して抱きついてくる。
微かなアルコールの香りが混ざった吐息が、お腹に当たって心臓が跳ねる。
「なら、布団か床か、選んでください。布団がいいんですか、床がいいんですか」
動悸を落ち着けて、なんとか冷静に喋ることに成功する。沙希さんは今、私のお腹に顔を埋めてこちらを見ていない。今、私の顔を見られたら、酔っているとはいえ絶対に悟られてしまう。
――そういうことを、考えてるって。
「選べないもん」
「なら、絶対布団の方がいいですってば」
「そういうんじゃないよ」
「はい?」
「そういうんじゃないんだってば」
「沙希さん、でも、もう寝る時間です。いい加減、選んでください」
「だから選べないんだってば!」
沙希さんの大きな声に、私は呆気にとられてしまった。
こんな叫び声、初めて聞いた。
子供がワガママを言いながら泣きわめくような、金切り声。
呆然としていた私は、沙希さんに両手首を掴まれ、床に押し倒されていることにようやく気付く。
「あ、あの、沙希さん」
「聞いてたよ。さっきの、梢との話」
「え?」
「そうだよ、わたし、
私の手首に、沙希さんの体重が乗る。
「い、痛いです。沙希さん」
「ねぇ、白亜ちゃん、言ったよね。わたしのこと好きなんだって。そういう目で、見てるんだって」
眼前に、沙希さんの顔が迫ってくる。鼻の先に、沙希さんの顔がある。
呼吸すら、ためらわれた。口を開けたら、今すぐにでも塞がれてしまう、そんな予感があった。
「じゃあ、する?」
その意味が、沙希さんの言葉のパズルが、私の欲望にピッタリとハマってしまう。
「いいよね」
途端に、身体から力が抜けてしまう。喉から口元にかけて、麻酔でもかけられたかのように感覚がない。呼吸が細かく、荒くなる。
沙希さんの膝が、私の太ももを押してくる。その力に、次第に足が開いていく。開いた足の間に、沙希さんが収まる。
「さ、沙希さん」
「大丈夫、力抜いて」
沙希さんの手が、私の頬を、首筋を撫でていく。私が力を抜くと、沙希さんは「いい子だね」と言いながら、私の頭を撫でてくる。
その慣れた手つきが、私を無性に切なくさせた。
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