第19話 純白の城
「
助手席から、沙希さんの肩を叩く。沙希さんはスマホの画面をじっと見たまま動かない。
私と沙希さんは、はちみつティーを飲んだあと、フレンチトーストを食べて、洗濯物をすませて、買い物に出かけた。
夏物の服を買ってからゲームセンターでクレーンゲームをやった。後部座席には景品のキャラクタークッションが置かれている。
私はこのあと、
ゲームセンターの駐車場で止まったままの車内で、私は奇妙な不安に駆られていた。ここ最近、沙希さんはスマホを見ている時間が増えた。友達と連絡しているのならいいのだけど、なんだか表情が優れないので、つい目で追ってしまう。余計なお世話かもしれないけれど。
「うん、行こっか。友達と約束があるんだもんね」
しばらくして沙希さんは、何事もなかったかのように車を発進させた。聞こえてはいたのだろう。聞こえていなかったのなら、説明が付くのだけれど。
「友達って、あの足上げちゃん?」
おそらく、入学式の日、机に足を上げていた子がいたという話をしたのを、沙希さんは覚えているのだろう。そんな子と友達だと思われているのは、どういう意味なんだろう。沙希さんから見た私は、どういうイメージなんだろう。聞きたかったけど、今はやめた。
沙希さんはスマホを車のマグネットホルダーに取り付けていて、音楽をかけていた。ときおりメッセージが来たことを知らせる通知が表示されていたけど、その内容までは読めなかった。
校門に付くと、すでに倉石さんの姿が見えた。肩を出した白のトップスにセンタープレスのガウチョパンツというコーディネートの倉石さんは、私と同い年とは思えないほど大人に見えた。
簡素な自分のワンピースを眺めていたら、沙希さんが車を近くに停めてくれた。
「一応晩ご飯は作っておくけど、食べてくるようだったら明日食べればいいからね」
それは遠慮せず、楽しんできなさいということなのだろう。私は頷いて、車を降りた。
倉石さんもこちらに気付いていたようで、手を降ると小さく頷く。それから、視線を私の後ろに移動させる。もう一度、今度は私のときよりも深く会釈をした。
振り返ると沙希さんも倉石さんに向かって手を降っていた。
沙希さんの車が交差点を曲がっていくのを見送って、倉石さんと合流する。倉石さんに手荷物はなく、挨拶もなしに「付いてきて」と言って歩き出した。
倉石さんの歩くスピードは速く、ゆるめのローファーを履いていた私は付いて行くのに苦労した。
「買い物?」
早足で隣に着くと、倉石さんが横目で私を見る。
「で、デート」
言い換えたのは、遠回しに気付いてほしかったからだ。おどければ冗談にもなるし、察してくれたら、沙希さんに自分の気持ちを伝えたという話に自然に移行できる。
なんで、うしろめたい気持ちになるんだろう。理由は分からなかった。
「伝えたの?」
倉石さんは察してくれたようだった。私は「うん」と返事をして、目を伏せた。
そうだ。倉石さんは私と同じで、自分の父親が好きなんだ。好き、だったんだ。想いは通じず、今は別の好きを抱くことでやりすごしていると、前に言っていた。
そんな倉石さんに、私の今の現状を伝えるのは、よくない気がした。なんだか自分が、悪い人間に見えてくる。だからうしろめたかったのだと、今更気付いた。
「よかったね」
しかし、倉石さんは表情を変えずに、肯定してくれた。
「あたしみたいにならなくて」
ぎく、と心臓が跳ねる。さっきのよかったね、とは、皮肉の意味だったのだ。
「ご、ごめんね。そういうつもりで言ったんじゃないの。私、倉石さんの言葉があったから自分の気持ちを伝えようって思えたの。だから、お礼が言いたくて」
「お礼を言うなら、ブラームスに言うべき。あたしがしたのは、あたしの話じゃなくて、ブラームスの話だから」
ありがとうを言う暇もなく、倉石さんは私の負い目を遮断する。なんというか、付けいる隙がないとはこのことだろうか。小さな気遣いは、倉石さんと離す上で邪魔になる。そんな気がした。
「今日はあたしの家に行く」
「倉石さんの家? いつも反対方向に帰るよね。ここから近いの?」
「電車で二時間かかる」
私はぴたっと足を止める。こ、ここから二時間? そしたら往復で、四時間かかることになる。今は四時だから、倉石さんの家に一時間お邪魔したとしても、帰るのは九時だ。
というか、電車賃持ってないし。
倉石さんは振り返ると、足を止めた私を見て、風で靡いた後ろ髪を手で押さえた。
「冗談」
「じょ、冗談」
「歩いて十五分くらい」
分かりづらい、非常に。
倉石さんとの会話はそれ以降途絶えてしまった。時々気まずい沈黙が訪れて、耐えきれなかった私はなんとか会話を探したけど、倉石さんは気にしていないように前を見続けていた。
倉石さんの家は住宅街から離れた場所にあった。周りは田んぼと川に囲まれているが、建物自体はかなり新しめに見える。そしてなにより、大きい。見ただけでお金持ちの家だということが分かる。家よりも広い庭が目の前に広がっていて、真っ黒い柵で仕切られている。
「お、おじゃまします」
おそるおそる足を踏み入れる。庭には池があって、大きな錦鯉が五匹ほど遊泳している。当たりは木々や花々で囲まれていて、ところどころにランタンが設置されて庭を照らしている。電気代とかどうなってるんだろう……。
家の玄関近くにはガーデニングチェアが置いてある。倉石さんも、あそこで優雅に紅茶を飲んだりするのだろうか、と妄想しながら彼女の横顔を盗み見る。
あそこでも足をあげて紅茶を一気飲みしてたら、ちょっと面白いけど。
玄関の扉も大きくて、私が棲んでいるアパートの三倍くらいの大きさだ。馬車くらいならそのまま通れてしまいそう。そんなお城みたいな扉を開けて中に入る。
石段で出来た玄関で靴を脱ぎ、赤い絨毯を踏んで大広間に出ると、シャンデリアの照らす淡い光が視界を明瞭にしてくれる。そんなシャンデリアだったが、ランプが一本、割れている。
「あれはあたしが小さい頃、野球ボールを当てて壊した」
私の視線に気付いた倉石さんが、至極真面目な表情で、バッティングのポーズをする。
「おてんばお嬢様なんだね」
「お嬢様?」
「だってすごい、お金持ちみたいだし。すごいね、この家。お城みたい」
「すごいのは家。金持ちなのは親。あたしはその子供ってだけ」
こういう家には、実は小さい頃何度か入ったことがある。私はよく母の会合に付いていって、母の知り合いはプロの音楽家さんが多かった。そういう人たちの自宅はみんなこんな感じで、綺麗で、優雅だった。
もちろん家だけでなく、人となりも大人っぽく、エレガント、という表現がとても似合う人たちばかりだった。
そういう人たちと比べると、倉石さんにはエレガントという雰囲気がない。ズカズカ歩くし、全部なぎ倒すみたいに教室を通り抜ける様子は、エレガントというより、エレファントだなぁ、と心の中で微笑む。もちろん、悪い意味じゃない。
「ここ、食堂なんだけど、もう誰も使ってないから客間になってる。そこ座ってて」
通されたのは広い食堂。十メートルほどある長い机の周りに、豪華な椅子が八つほど並べられている。一番奥の椅子に座って、カバンを下ろす。こんなすごいところに来るなら、もうちょっと綺麗な服を着てくればよかった。
倉石さんはお茶を取りに食堂の裏に通じる扉に入っていった。
待っている間、食堂の中をぐるっと見渡してみる。
白い床に、白い天井。そして白い壁。白に埋め尽くされたこの部屋では、色づいた世間話も、ドス黒い感情も、すべて反映されしまいそうな雰囲気がある。
ふと、壁に肖像画が二つ掛けられているのが見えた。
どちらも男性だった。
右の肖像画に描かれている男性は、長めの髪を後ろに撫で付け、憂いを帯びた青い瞳でどこか遠くを見つめていた。
左の肖像画は髭をたくわえた肉付きのいい男性だ。威厳があるが、しかしその目元からは穏やかな印象を受ける。
「どっちもブラームス」
戻って来た倉石さんはコップと、ペットボトルのお茶を持っていた。私のコップにお茶を注ぐと、残りのお茶を倉石さんはラッパ飲みした。
「うちのママがブラームス愛好家で、あれはドイツに行ったとき有名な画家に描いてもらったものなんだって」
「そうなんだ。だから倉石さんはブラームスを知ってたんだね。音楽をやってないと、作曲家の名前ってあんまり出てこないはずだからと思ってたんだ」
「音楽は、やってた。それで知ってるっていうのもある」
「そうなの? あ、合唱か」
「いや、ピアノ」
倉石さんは私の向かいに座ると、やはりと言うべきか、足をテーブルにあげた。
切れ目の瞳と、白いソックスが、私に向いている。なんとも言えない状況のなか、私は口火を切る。
「それで、話って」
今日、私が倉石さんに呼ばれたのは遊びが目的ではない。何か、話があるからだ。
「
倉石さんはもったいぶるということをしない。最初から、目的を提示してくる。それは助かるときもあるけれど、心構えができていないときドキッとさせられることもある。
「うちのママ、交響楽団で指揮者やってて、海外を拠点に活動してるんだけど、昨日こっちに戻って来たんだ。喜美のこと話したら、是非呼んでほしいって言われて、今日は呼んだ」
「私のことを話したって言われても、その人、私を知ってるの?」
たかが娘の同級生の話なんか聞いて、じゃあ後日家に呼んでくれなんてなるだろうか。
倉石さんはやはり、率直に、答えてくれる。
「うちのママは
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