第3話 入学式で毛先は巻くな
そんな想いを胸中に抱きながらも、新しい学び舎での自己紹介は何事もなく終わった。
私が「以上です」と言って席に座ると、拍手がまばらに響く。この光陽高校に入学して初めての授業は、担任の
最初は各自、自己紹介をしようということで、席順で回していくことになった。席は右からあいうえお順で並べられており、名字が「
高校生になった私の目標はまず一つ、それなりにクラスに溶け込むことだ。私は
だからといって、自己紹介で「私は良い子です!」と言うわけにもいかないだろう。とりわけ、溶け込むというのは、平坦であるということだ。出る杭となって、打たれないようにだけ気をつける。
そんな私の自己紹介は、シミュレーション通り滞りなく終わった。誰にでも当てはまる趣味嗜好に、小さい頃ピアノを習っていたことを付け加えて、最近の流行の曲なんかも口にしてみた。これでカラオケなどにも誘われやすくなるだろう。
これで第一目標は達成した。あとはゆっくりと、クラスの輪に入っていけば問題ないはずだ。
私の番が終わったので、次は後ろの席の人が自己紹介をする番だ。しかし、なかなか話し始めないどころか、椅子を引く音も聞こえない。クラスの人たちも異変を感じて視線を私の後ろに投げていた。
おそるおそる、私も振り返ってみる。そして驚いた。
「
倉石と名乗る子は、なんと足を机の上にあげていた。背にもたれながら、ポケットに手を突っ込んでいる。そしてなによりも私の目を引いたのが、その子の髪だった。
赤みがかったその髪は、毛先にいくにつれてゆるやかにウェーブしている。
つまり、巻いているのだ。入学式早々。
倉石さんがそれ以上喋らなかったので、次の人が起立して自己紹介を始めたが、明らかに動揺していた。この人の後じゃ、そうなるだろう。
若干揺らぎつつあった空気だったが、しばらくするとなんとか落ち着きを取り戻して、各自の自己紹介もつつがなく進んでいった。
一番後ろの
私は、最初はアルバイトをして少しでも沙希さんの助けになればと思っていたが、なんとなく、沙希さんはそれを許さない気がしている。沙希さんは学生時代バドミントン部に所属していて、県大会まで進んだこともあったらしい。そのときの経験はかけがえのないもので、今も人生の役に立っていると、よく熱弁していた。
帰ったら、沙希さんにアルバイトをしていいか聞いてみるつもりでいるが、部活に入るというのもまた、選択肢の一つではある気がする。
血の繋がっていない母親との二人暮らしでも、こうしてのびのびと自分のやりたいことをやっていますということを周りに見せつけるほうが、私と沙希さんの幸せの証明になるかもしれない。
私を虐めていた、親戚の次女の顔を、今でも思い出して胸が苦しくなる。せめてあの親戚一同に、私は幸せですと見せつけたい。
自分の分の入部届を取って、残りを後ろに回そうと振り返る。
顔より先に、つま先が視界に入った。後ろの席の倉石さんは、相変わらず足を机に乗せている。よく見たらルーズソックスを履いていた。今どき珍しい。平成ギャル、というものに該当する外見なのかもしれないが、私からしたらただのヤンキーにしか見えなかった。
今朝の沙希さんとの会話を思い出す。倉石さんももしかしたら、このあと上級生に呼び出されて焼きを入れられたりするのだろうか。
「あの、入部届」
受け取る様子がないので声をかける。正直、それだけでも緊張した。まるで爆弾処理でもしているような気分になる。
倉石さんは、ガン! っと音を鳴らして足を机から下ろすと、私からの入部届を両手で受け取った。ひったくられるかと思っていたから、その丁寧な受け取り方に驚く。
倉石さんは一目散にペンを走らせ、部活動名のところに『合唱部』と書き殴った。焦げたもやしみたいな、汚い字だった。
後ろの人が「あのー、入部届」と消え入りそうな声で言うと、倉石さんは前を向いたまま入部届を後ろに放り投げた。投げられた当人は泣きそうな顔でひらひらと落ちていく入部届をキャッチしていた。なんだか見ていると可哀想になってくる。
「ピアノ、得意なんだ」
ふと、倉石さんが私を見て言った。急に話しかけられて、私は固まってしまった。
猫みたいなつり目に、蛇のように開いた瞳孔。バラのトゲのように鋭いまつげ。そのすべてが、私に向いている。
得意なんて、言ってないんだけど。
反論しようとしたが、周りから見られていることに気付いて、無視して前を向いた。良い子で学校生活を送る上で、倉石さんと仲良くするのはハッキリ言ってナシだ。
そのあとは、放課後行われる入部体験の話や、明日必要な教材の説明、保護者に向けてのプリントの配布という順を追って、一限のレクリエーションは終了した。
その間、後ろからずっと、綺麗な鼻歌が聞こえていた。
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