第2話 森の奥に棲む悲しき怪物の話
母を病気で亡くし、父を事故で亡くした私はおそらく呪われていたのだと思う。
幸せになることを許されない人間というのはこの世に少なからず存在していて、私もその中の一人だったのだ。
母が亡くなったときは頭が痛くなるまで泣いたものだが、父の葬式では涙は出なかった。
だんだん痩せ細っていく母とは違い、父の死はあまりにも突然だった。気持ちの整理が追いつかなくて呆然としていた、というほうが正しいかもしれない。
そしてなにより、火葬場に運ばれていく父を目の当たりにして、喚くように号泣していた
少しやんちゃで、何事も軽く捕らえがちな沙希さんは、あまり物事を深刻化しない。大切にしていたという髪飾りを私が踏んづけて壊してしまったときも、沙希さんは「やっと新しいの買える」と言ってゴミ箱に放り投げた。
そんな人が、父の入った棺を抱いて、壊れるくらい泣いている。そんな姿を見ていたら、私の涙はいっそう引っ込んでいった。
私まで泣いてしまったら、何もかもが崩れてしまうと思って、意識的に泣くのを我慢していたというのもあるかもしれない。
沙希さんと父は結婚をする予定ではあったが、まだ籍を入れていなかった。あとから聞いた話なのだが、籍は私の誕生日に入れる予定だったのだという。それが私へのプレゼントとなると、父は自慢気に話していたのだそうだ。しかし、父は私の誕生日を前にして、事故にあってしまった。
両親を亡くした私は、親戚の家に引き取られることとなった。しかし、親戚の家にはすでに三人の子供がいて、私を渋々引き取った親戚は、あからさまな嫌がらせをしてきた。
ご飯の量も私だけ明らかに少なかったし、脱いだ服も洗濯してもらえなかった。家族で旅行に行くとき、私だけ一週間ほど家に取り残されたこともある。私の一つ上の次女はひどく私を嫌っていて、大事にしていたゲーム機や筆箱を壊されたりもした。高校生だった長女だけは私の身を案じてくれたが、それも最初のうちだけだった。
陰湿な差別に耐えきれなくなった私は、荷物を持って親戚の家を飛び出した。
まだ中学生だった私に、行く当ては一つしかなかった。沙希さんの元だった。
なけなしのお金で電車に乗り、30分かけて前に住んでいたアパートに着いた。部屋の鍵は閉まっていて、私はドアの前に座って沙希さんの帰りを待った。
沙希さんが帰ってきたのは夜になってからだった。
私を見た沙希さんは驚いていたが、事情を話すと部屋の中に入れてくれた。沙希さんは私を静かに抱きしめると、頭を撫でて「大丈夫だよ」と言ってくれた。
翌日、私と沙希さんは親戚の家に行った。沙希さんが私を引き取ると言うと、親戚はなんのためらいもなく承諾した。今思えば、親戚のおじさんとおばさんは最初から私を邪魔にしか思っていなかったのだろう。
いつか私の意思で家を出て行ってくれることを願っていたのだ。私は大人たちの手のひらの上で上手い具合に転がされていた。親戚のおじさんとおばさんから見たら、私も、そして当時まだ二十一歳だった沙希さんも子供でしかなかっただろう。
その日の帰り道、車内で私はずっと泣いていた。ずっと張り詰めていたものが、解けたせいだろう。沙希さんはそんな私を見て「私でもいい?」と自信なさげに言った。「本当は沙希さんと一緒がよかった」と返すと、沙希さんは涙ぐんだ声で「自慢のお母さんになるからね」と元気よく言い放った。
恩を感じている。
感謝をしている。
だから、私のすべきことは、沙希さんのために、利口な子供でいること。私たちの家庭環境を悪く言ったり、非難する人は少なからずいる。だから沙希さんのために、私は誰よりも良い子に育つ。それが精一杯の恩返しであり、私と沙希さんを白い目で見る人たちへの復讐なのだ。
血は繋がっていないけど、私たちは充分幸せです。そう見せつけることが、私のやるべきことなのだ。
しかし、私はそんな人間味に溢れた感性を持ってるのかどうか。最近になって、分からなくなってきた。
私の中で、沙希さんへの気持ちが強くなっていくのを感じる。これだけ助けてもらっておきながら、私は家族愛ではない、自己中心的な絆を育もうとしている。
それが沙希さんに対して、恩を仇で返すものだと分かっているのに。
幸せを手に入れられない、呪われた存在は、いずれ人間ではなく怪物になる。絵本でもありがちな終末に、私は向かっている。
そのたびに、沙希さんの「自慢のお母さんになるからね」という言葉を思い出す。
そして、火葬場で見た、壊れるほど泣きわめいていた沙希さんの姿。
怪物に、なってはいけない。
そう考えるようになってから、私のするべきことは決まった。
私は、この想いを殺さなければならない。
沙希さんの出会いと、これからの未来を、家族愛という美談で終わらせなければならない。
そうしなければ私は、いずれ過ちを犯し。
この幸せな家庭は、破滅へと向かうだろう。
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