第15話

 横島先生は、かなり驚いた様子で目を見開き、俺を凝視した。


 後ろ姿の為、滝沢の表情を見ることはできない。しかし、昨日電信柱の後ろから声をかけた時のように肩を大きくビクつかせている。


「ど、どうした桐生。もう、ホームルームが始まっている時間だろう?」


 つい先程、扉の向こうで『お姉ちゃん』と言っていた声ととても似た声だ。

 いや、全く同じだと言ってもいいだろう。


 毎日、朝のホームルームから帰りのホームルームまで余すことなく聞いていた声だ。


 聞き間違うはずがない。

 それに、狭い生徒指導室内を見回して見ても滝沢と横島先生以外に姿はないし、人が隠れられるような場所だってなければ、死角もない。


 ガタイが良く、端正な顔立ちで、女子生徒からの人気も高く、女子贔屓じょしびいきすることもない為、男子生徒からも慕われている。


 そんな先生の秘密を知ってしまったようで、複雑な気分である事は否定のしようがない。


 ……いや待てよ。もしかしたら、口を割らない滝沢の為にそういうキャラを演じていたという線がまだ残るな。


 目撃してしまった。盗み聞きしてしまった事が信じられなくて、念の為、確認の為に口を開いた。


「先生ってオネエ系なんですか?いや、そんなはずないですよね。ハハハ。すいません変な事聞いちゃって」


 言いながら普段の横島先生の凛々しい姿を思い出して、『そんなはずはない』。自ら心の中でそう否定した。


 だけど、俺が後頭部をポリポリと掻いて誤魔化そうとしていると、横島先生は表情を強張らせて、無言で俺の方に向かって迫ってきた。


 目の前まで来ると185センチは大迫力だ。しかも胸板も厚い。

 完全に視界を遮られたまま、生徒指導室内に引っ張り込まれると背後でピシャリと扉の閉まる音がした。


 そして、右手で俺の口を塞ぐと、ギロリと睨みを効かせてこう聞いてきた。

 正直、言うとビビって膝はガクガクと震えていた。


「桐生、どこから聞いていた?先生怒らないから正直に答えろ」


 口を塞がれて喋れない俺は、首を横にふるふると振ることしかできない。


「お、お姉ちゃん。桐生君が驚いているからやめてあげて」


 パタパタと走り寄ってくる足跡は聞こえたけれど、のせいでその姿は見えない。


「他人がいる時はその呼び方はやめなさいって、いつも言ってるでしょ」


 急激な言葉づかいの変化に脳内には大量のクエスチョンマークが浮かぶ。

 恐怖を覚えながらも、力の弱まった右手を振り払い、少し距離を取った。


「だ、大丈夫?桐生君」

 

 近寄ってきた滝沢は、俺を気遣うように横島先生と俺の間に体を入れた。


 昨日転んで怪我を負ってしまった顔が、昨日より腫れてしまっていて、かなり痛々しい。


「いや、滝沢こそ大丈夫かよ。その顔」


 滝沢は俺の問に返事をしないまま、横島先生と俺の間で両手を広げ言った。


「き、桐生君は無関係だから。おね……横島先生はお、怒らないでください」


 滝沢の様子を見て、横島先生はバツが悪そうに少しおしゃれパーマのかかった頭をポリポリと掻いた。そして、一つため息のを吐き出してから口を開いた。


「桐生。今日、ここで見聞きした事を他言しないと約束できるか?」


 俺は黙って何度も頷く。


「もし、誰かに少しでも話したらどうなるか、わかっているよな?」


 任侠映画に出てくる役者のような迫力だった。

 もちろん俺は頷く事しかできない。


「……」


 無言のまま、ジロリとした目つきで俺の事をひとしきり見回したあと、踵を返すと元いた椅子に座った。

 そして、俺にも滝沢が先程まで座っていた椅子につくように促した。

 滝沢も小さく頷いていたからそれにならって席についた。



「どうして、生徒指導室に来た?なぜ盗み聞きをした?」


 先程までとは違い、かなり落ち着いた、穏やかな声色だった。

 いつも通りの横島先生。そう表現するのが一番しっくりと来たけれど、オネエ口調を聞いてしまった後だとどうしても違和感がまさってしまう。


 俺は少し動揺しながらも、なぜここにやってきたのかを答えた。


「クラスで妙な噂を聞いたので、止めに来ました」


 当初俺がここにやってきた目的は、滝沢が退学になるなんて話が出ていたからだ。

 大柄な横島先生に迫られたら、滝沢はきっと抗えない。そう思っての行動だった。


 横島先生は整えられた眉毛を片方だけピクリと動かし、不服そうな表情で続けて言った。


「……その妙な噂、と言うのは俺に関係している事か?」


「いえ、違います。滝沢についての噂です」


 今度は反対の眉毛をピクリと動かし、横島先生は再度質問を重ねる。


「……それはどんな?」


「滝沢が退学になるのではないかと聞きまして、それを止めに来たんです」


 俺の答えを聞いた横島先生は両方の眉毛を、器用にも左右で違う方向、上下に動かして、俺を疑うように目を細めた。


「なんで、桐生が?り……滝沢とはそんなに仲良くはないだろう?」


 それはごもっともな意見だ。担任なら、俺と滝沢の関係性はわかっているはずだ。ただ隣の席なだけで、会話なんてしている所を見たことはないはずだ。


 入学当初は滝沢のキレイな横顔を盗み見るようにしていたが、変人だと発覚した日以降は意図的に見ないようにしていた。


 毎日、教室の前から見渡していたなら、気がついていて当然の事だ。


「約束したんです。協力するって」


「協力?なんだそれは」


 俺の背後に立ち尽くしている滝沢の方に振り返り、目配せをすると彼女は言葉は発さずに一つ頷いた。


 話して良いと勝手に解釈をして、昨日あった出来事を全て洗いざらい話した。


 すると、横島先生は陸に打ち上げられたタコのようにグニャリと机の上に崩れ落ちた。


「それは、り……滝沢が迷惑をかけたわね」


 オネエと普段の横島先生の中間の言葉づかい。どちらが本当の姿なのか、俺にはもうよくわからなかった。


 しばらくその姿を見守っていると、何かに思い至ったのか、唐突に起き上がると、顔前三センチ程まで迫ってきて、睨んだかと思えば、耳元に口を寄せた。


「部屋まで上がりこんだんだよな……まさか、凛にオイタはしてないだろうね?」


「いえいえいえいえ!一切、何もしておりません!」


 何をされるかわかったもんじゃないから、大慌てで否定した。


「本当かあ?」


「は、ハイッ!」


 まるで、婚前交渉をしていないかと交際相手の父親に問われて、後ろめたい気持ちがありながら否定している彼氏のような気分だった。

 実際、滝沢の裸は見てしまっているわけだし。多少はね。


「……そうか。でも凛をキズモノにしたのは桐生。お前なわけだな」


「は、はい。自分が直接手を出した訳では無いですけど……そういう事になってしまいますかね」


「だったら、責任を────」


「お、お姉ちゃん。もうやめて!わ、悪いのは私、なんだあら」


 滝沢が遠慮がちに、プリプリと怒っていた。大切な所で噛んだのは、怒り慣れてないせいだろうな。


「……凛がそう言うなら、いいのだけど」


 滝沢に怒られた事で、横島先生の怒りは急激に収まったようだった。


 場が静まり返って冷静になってふと疑問が浮かぶ。この二人、いったいどんな関係性なんだ?




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