第12話

「お、おまたせしました」


 扉が開き、少し顔色の良くなった滝沢が顔を出した。


「おう」


 先程のような事故が起こりかねないと判断して、風呂から上がり、服を着てから呼んでくれと声をかけて雨ざらしの廊下で待っていたのだ。


 もう帰っても良かったのだけど、しっかりやらなければならないことがまだ残っていた。


 再度部屋に上がり込み、滝沢に促されるままにテーブルの前に置かれている座布団に腰を下ろした。


「……む、麦茶で良い?紅茶もあるけど……」


「なんか悪いな。滝沢が楽な方で良いよ」


 滝沢がもう大丈夫そうなら長居するつもりはなかったのだけれど、善意を無下にするのも悪い気がしてそう答えた。


「……うん」


 コクリと頷きながら返事をしたあと、スラスラとした足取りで玄関横の台所へ向かっていった。


 足取りをみる限り、もう体調は大丈夫そうだな。


 あまりジロジロ見るのも良くないと思いつつも、部屋の中を見回して見ると、不思議な事に気がついた。


 この部屋には、滝沢の物と思われる物しか存在しなかった。他の物、たとえば、家族の物と思われる荷物が一切存在していなかった。


 トテトテとした足取りで戻ってきた滝沢は、俺の前に猫をモチーフにした可愛らしい赤いマグカップを置いた。


 そしてもう一つ、青い猫モチーフのマグカップを自身の前にも置いた。


 質素、地味と思えるこの部屋の中で、唯一女の子らしいなと思える物だった。


 俺の対面に座った滝沢の服装もかなり質素、色味のないグレーのスエット姿だ。頭にはターバンみたいにタオルが巻かれている。


「可愛いマグカップだな」


「あ、うん。や、矢野さんが、遊びに来てくれた時用に買ったんだ」


 そう言うと、少し不気味にも映る笑みを浮かべた。


「そ、そうか」


 愛が重すぎる。どう返せば良いのかわからなかった。矢野さんが聞いたらどう思うのだろうか。良くてヘタレ込み、最悪気絶してしまうような気がする。


 気まずさをごまかす為に、淹れてくれた麦茶に手を伸ばして一気に飲み干した。


「おかわ────」


 滝沢が何か言いかけていたけれど、そのセリフを遮って俺は頭を下げた。下げすぎてゴチンとテーブルに頭をぶつけてしまった。


「すいませんでした。俺のせいで女の子の顔、怪我させちゃって、余計な事まで言って、体調まで悪くさせちゃって、謝ればそれで済むって事でもないと思ってる。お詫びってわけじゃないけどさ、俺が出来ることなら何でもするから、それでどうか許してほしい」


「い、いいよ、別に。わ、私、気にしてないから。あ、頭あげて」


 言われるがままに頭を上げると、困ったようにパタパタと手を振っていた。


「そういう訳にはいかない」


 怪我を負わせてしまった事と、体調を崩させてしまった事の原因に滝沢にも否はあれど、俺がとやかく言う事じゃなかった。


 流れで陽川からストーカーの話は聞かされてはいた。だがしかし、矢野さん本人からなんの相談を受けていた訳ではない。


 俺が滝沢に直接手を下す必要もなければ、そんな資格もなかった。なんせ、俺も矢野さんに振られた側の人間なのだから。


 俺だって滝沢と同じように矢野さんの家の前まで行ってそこで滝沢と遭遇した。いわば俺だってストーカーたいなものなのだ。


 勝手に守った気になって、相手の立場になって考えればありがた迷惑でしかないだろう。


 もしかしたら、今だって滝沢にとってとても迷惑な事を言っているのかもしれない。後になったら思い出して、とても後悔をするのかもしれない。

 でも言わずにはいられなかった。


「俺はどうしたら良い?」


 滝沢は少し困ったように、唇を噛み締めながら首を左右に何度か振ってから口を開いた。


「た、たまに、お家に遊びに来てくれたら嬉しい」


「……それは本心から思っている事?」


 今までとは違い、少し口元を綻ばせる笑みを見せながら滝沢は頷いた。

 顔の傷が痛々しいが、とても可愛らしい笑顔だった。


「……わかった。たまに遊びに来るよ」


 少し小っ恥ずかしく感じて滝沢から目を逸らした、もとより滝沢があまり目を合わせないから元から目が合っていた訳ではないけど。


「……」


「……」


 しばらく無言の時間が続いた。さすがに気まずいな。

 なんでもいいから話題を振らなくちゃ。


「そ、そうだ。何で滝沢は矢野さんにそんなに執着するんだ?」


「えっ?」


 聞いてしまってから聞かない方が良い話題だったなと気がついた。理由がどうであれ俺が聞くべき事ではない事だ。


「いや、別に答えたくないなら答えなくていいから」


「あ、あのね、私、この辺の出身じゃなくてね、入学した時は、知り合いが一人もいなかったの」


「え、あ、ああ」


「は、初めて声をかけてくれたのが、矢野さんだったの。嬉しかったなあ」


 そんな事で?と口から出かけた。

 だけど、それと同時に、遥か昔、小学校入学当時の事を思い出して口に出さずにすんだ。


 幼い頃の俺は、人見知りで、自分から誰かに声をかけるなんて到底できるやつじゃなかった。


 最初の一ヶ月は誰とつるむ事もなく、ただ家と学校を往復するだけの退屈な日々を過ごしていた。


 周囲のみんなは、遊びに行く約束をしていたり、放課後何をして遊ぶだの相談をしていたけれど、その輪に加わる事は一切なかった。周囲の人間が怖かった。

 強い疎外感を感じて、学校に通うのも嫌になりかかっていた。


 だけど、ある日、秋斗が俺に声をかけてきた。


『サッカーやるんだけど、人数足りないからいっしょにやろう!』って。


 かなり強引だった。俺の意見なんて関係ないって感じで、秋斗は俺の手を引いてグランドに連れ出して、そして、一緒に遊んだ。


 サッカーなんてやったことも無かったし、全く上手くできなかったけれど、秋斗も、周りのみんなも俺のことを責める事は無かった。


 それからだったな。秋斗とつるんで遊ぶようになったのは。あいつのおかげで周囲の人間が怖くないって事も知った。


 もしかしたら、滝沢も俺と同じように周囲に馴染めず、変人扱いされて、疎外感を感じでいたのかもしれない。


 そう思った瞬間に、絶対に後に後悔するであろう言葉が口をついて出ていた。

 おそらく、心理学で言うところの、アンダードッグ効果と、返報性の原理が働いた結果だろう。


「俺が、俺が、滝沢と矢野さんが仲良くなれるように協力するよ!」と



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