第10話

「ほらバンザイしろ」


 言われるがままにバンザイをする滝沢の方をみないようにしながら、雨で肌にピタピタにくっついてしまったTシャツを一気にめくり上げた。


 見ないようにしていても、どうしても雪のように白い肌が視界の端に捉えられてしまう。


 できるだけ意識をしないようにしても、思わず鼻息が荒くなってしまう。


 顔中傷だらけで、髪はボサボサ、少しおかしなやつだったとしても滝沢が美少女である事には変わりないのだ。


 しかし、今この場で変に意識をしてしまっているのは俺だけだ。滝沢は俺の事を微塵もなんとも思ってはいない。


 衣服を脱がすのを手伝うように頼まれた事が、俺の予想が確信に変わった瞬間だった。


「さっさと風呂に入ってこいよ。頼むから下着は自分で外してくれ」


「うん」


 やはり、なんの意識もしていないのだろう。滝沢は這うようにして、お風呂場へと向かっていった。本当に目に毒だ。見ないようにしていても自然と目が追おうとしてしまう。


 滝沢からしてみれば、俺は同性のような物なのだ。


 秋斗が置いていった本を読んで俺は確信した。


 滝沢は矢野さんを口説き落とす為に嫌がらせを繰り返していたのだ。


 まるで中学生男子みたいな話だが、実際の所、おそらくそうなのだ。


 恋愛心理戦──恋愛心理学を制す者は青春を制す──に載っていた恋愛心理学を間違った方向に解釈をして、さらに人付きあいが苦手な滝沢が実践した結果がそれなのだ。


 滝沢が風呂場に完全に入ったのを確認してから風呂場と部屋を隔てる扉に寄りかかり声をかけた。


「おい、滝沢。ちょっと聞いてもいいか」


「§£¢€√!?」


 唐突に声をかけられた事でかなり驚いたのか、日本語とは到底思えない言語で返答が返ってきた。


 しかし、これもなんとなくわかった。焦って咄嗟に口をついた言葉がデタラメなだけで、おそらく頭が回っていないのだ。


「急に声をかけて悪かった。嫌ならあっち行くよ」


 なるべく落ち着いた声色でそう聞くと、少し焦った様子ではあったけれど、『だ、大丈夫だよ』と返ってきたから質問を続ける事にした。


「滝沢が矢野さんに花を贈ったのは、第二章の『異性と仲良くなるには』に書かれていた、返報性の原理を利用しようとしたんだろ?」


 人間には無意識下に働く、心理と言うものがあり、抗うことはできない。


 あくまでも無意識に、誰もが同じような行動を取ってしまうそれが心理だ。


 それらを纏めた物がとして認知され、その一部がとして利用される。心理学を使いこなす者のように、滝沢も矢野さんに使用しようとした訳だ。


 返報性の原理。


 人間が誰かに何かをしてもらった時、お返しをしなくてはならないんじゃないかと思ってしまう心理。


 つまり、滝沢は花を送ることにより、矢野さんから何かしらのお返し、見返りを求めた訳だ。


「……そ、そう、だけど?」


 少し躊躇うような返事。何かおかしな所はあったのかと俺に問いかけるように語尾は不自然に上がっていた。


「お前、連れて行かれる時『どうして』って言っていたよな?なんで怒られたのか。なにが問題になったのかわかってないだろ」


「……うん」


 やっぱりか。こいつは不器用な上にどうしようもないくらいアホだ。


「そもそもの話しをするとだな、仲良くもない奴に花を送られても喜ぶやつはいない。迷惑だ。しかも新学期そうそう机の上に置いておくなんて愚の骨頂だ」


「……」


 しばらく沈黙が続いて、少し言い過ぎたかなと思ってフォローの言葉を考えていると滝沢が口を開いた。


「で、で、でも、お手紙書いたり、お休みの日に外で会ったり、廊下でコミュニケーションとったりしてたから、そんなに仲良くないなんて事はないと思うよ」


 コミュ障特有の早口だった。俺じゃなかったら聞き逃しちゃうね。


「それをもし、相手が迷惑だと思っていたら?」


 風呂場の中からザバっと水が溢れるような音が聞こえてきた。おそらく滝沢が勢いよく立ち上がったのだろう。


「めめめめめめ、迷惑に思われているの!?」


 オブラートに包んで言うべきか、少し悩んでから口を開いた。


「思われているな。さっきも陽川に相談されていた所だ」


 実際相談を受けていたのは吉岡で、そのおまけとしてあの場に居ただけだけど。


「……そ、そうなんだ」


 迷惑だと思われていたのが余程ショックだったのだろう、今にも消え入りそうな声色だった。


 なんか少し可愛そうになってきた。少し接してみて、おかしなやつではあるけれど、決して悪いやつではないのではないか思ってきてしまっている俺がいた。


「でもさ、やり方を変えれば仲良くなれるんじゃないか?」


 フォローするためにそうは言ってみたけれど、実際のところはかなり難しいだろう。


 なんせ現状はストーカー扱いなのだから。


「そうかな?」


「ああきっとな」


 無責任な事を言っているなと自分でも理解している。でも、これ以上扉の向こうにいる傷心不器用少女を傷つける事は俺にはできなかった。


「き、桐生君なら、上手くできる?」


 どうだろうな。滝沢程下手をこくことはないだろけれど、そんなに友達が多いとは言えない俺に上手くできるのだろうか。


 ……できない、気がするけど、できないとは言えない雰囲気。


「……多分、できるんじゃないか」


「そ、そうなんだ。す、凄いね」


 心から尊敬するように、気持ちのこもった言葉だった。なんか、心が痛いよ。これ以上傷を負わない為に、話しをそらす為に、何か話題を探す


「……というか、なんで滝沢は矢野さんにこだわるんだ?」


「そ、それは────」


 滝沢が答えようとした瞬間だった。


 今日聞いた中でも一番大きな雷鳴が轟いた。

 

 ドゴォォン!!


 その直後、唐突に照明が消えた。辺り一面が暗闇に包まれた。


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