第9話

「ここ」


 滝沢が指差したのは、公園から歩いて十分程の場所にあるボロボロの二階建てのアパートだった。


 照明は所々切れているし、鉄の階段はかなり錆びていて、今にも底が抜けそうだ。


「何階だ?家の人は?」


「二階。一番奥の部屋。誰もいない」


 この時間は出かけている、と言う事か。


 恐る恐る階段を登り、部屋の前で立ち止まると、滝沢は玄関横にあるガスメーターを指さした。


「鍵。そこにある」


 一度、滝沢を降ろしてガスメーターの下を覗き込むと、隙間に差し込むようにしてディスクシリンダー式の鍵が収められていた。


「不用心だな。ったく。鍵開けるぞ」


 滝沢はコクリと頷いた。


 鍵を差し込み、捻ると簡単に解錠する事ができた。本当に不用心だな。


 扉を開くと当然のことながら無人の部屋は暗闇に包まれていた。


「電気のスイッチは?」


 滝沢は無言で立ち上がろうとしたから、支えて立ち上がらせてやる。


 玄関で靴を脱がせてやり、俺も靴を脱ぐ。

 濡れたカッパを着たまま上がり込むのはまずいと思い、脱いで廊下へと放り投げた。


 手探りならぬ、足で周囲の様子を探りながら進んでいくと顔に紐のような物が当たった。


「紐、ないかな?」


 かなり弱った声で滝沢がそう聞いてきた。


「ちょうど、俺の顔に当たってるな」


「それ、引いて」


 恐る恐る手を伸ばし、ゆっくりと紐を引くと、カチャリと音がして、何度かまたたいてから周囲は照らし出された。


 ばあちゃんの家でしか見たことがないタイプの照明器具だった。


 あまり人の家の中はジロジロ見るものではないとは思うけれど、狭いワンルームだったものだから、嫌でも目に入ってしまっう。


 右の壁際に飾り気のない黒いパイプベッドが配置されていて、部屋の真ん中には小さな黄色いテーブル。


 あとは冷蔵庫と、本が収められたカラーボックス、衣類が収められているのだろうか、プラスチック製の収納BOXが置かれているくらいだった。



 正面には窓があって、俺達二人の姿が映し出されていた。

 窓に反射した滝沢の姿はかなり体調が悪そうだった。


「とりあえずコートは脱いだ方が良い」


「うん」


 慌ててベッタリとシミがついてしまったびしょ濡れのコートを脱がせる。


「どこに置けば良い?」


「お風呂場に……」


 そう言いながら、玄関横の扉を指さす。

 指定された扉を開くと、脱衣所はなく、ピカピカと光るタイル張りのお風呂場だった。


 なるべく端の方に寄せて置き、戻ろうとするがある事に思い至る


「ついでに、お湯も入れるか?」


「うん。お願いします」


「早く体温めないといけないもんな」


 とは言ったものの、見たことない機械が浴槽の横に置かれているだけで、スイッチのような物は見当たらない。


 どうやってお湯出すんだ……これ?


「口火に合わせてクルクル回すの。ハンドル」


「ハンドル?」


 謎の機械には確かに点火レバーと表記されたハンドルの様なものががついていた。上の方にもツマミのような物があり、口火と書かれたメモリがある。


「先に上のツマミを回すのか?」


「うん」


「わかった」


 ツマミを口火に合わせてゆっくりとレバーを回すと。カチカチカチと壁を硬いもので叩いた様な音が鳴った。


「もう少し早く」


「このハンドルを?」


「うん」


 言われるがままに早く回すと、カチカチカチと高速で壁を叩くような音が鳴り、小さな窓の先に火がついたのが見えた。



「おう。ついたついた」


 なるほど。これで給湯に回せば良いわけか。

 蛇口を浴槽に向けて、栓をしっかり閉めてからお湯を出した。


「どれくらいで貯まるんだ?」


「十分くらい」


「そうか。ていうか、本当に救急車呼ばなくて大丈夫か?かなり顔色が悪いみたいだ」


 照明の下で見た滝沢の顔色は長時間プールに入っていた時のもののようだった。

 肌は青白く、唇は紫色になっていた。


「わ、私、低血圧で、体温低いから、たまにこうなっちゃうの。お風呂で温まれば大丈夫だから」


「そうか、これから服脱いだりするだろ?俺もう帰るからさ」


 この部屋には脱衣所が存在しない。つまり、俺がいる限り滝沢は服を脱げない事になる。


「待って」


「待ってて言われても、俺も帰らないといけないし」


 滝沢は俺から目を逸らしがら言った。


「服、一人じゃ脱げない」


「はっ?」





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