第5話

 マスドからの一人寂しい帰り道。


 季節は秋の始まり、九月の初頭、肌に当たる風は少し冷たくなったような気はするが、まだまだ日差しは強い。


 多少汗をかきながら住宅街を進んでいくと、不可解な服装の人物と行き当たった。


 その人物は黒いキャップを深めに被り、目元はサングラス、口元は大きめのマスクで覆われていて、素顔は完全に見えない。



 まだ気温は三十度はあるというのにも関わらず、足元まですっぽりと隠すカーキ色のコートを羽織って、電信柱の影から周囲を気にしながら矢野さんの家の様子を伺っているようだった。


 完全に不審者だ。


 身長は俺よりは低く、少し華奢に見えた。


 ……どこかで見たことがある背格好だった。


 つい先程、陽川から聞いた話と照らし合わせれば不審者の正体には心当たりは簡単についた。


 なぜ、彼女がこんな事をしているのか、俺に理解することはできないが……


「はあ」


 思わずため息が漏れた。この場にいる以上、俺だってストーカーだと言われてしまえばそれまでだ。


 振られた相手の家の近くをふらついていただけだと言い訳をしたところで、百人中、何人が信じてくれるだろうか。


 まして、学校から見てここは俺の家とは正反対方向なのだ。


 何ができるわけてまもないけれど、矢野さんの様子が気になってここまで来てしまったのも事実ではある。


 ストーカーの現場を目撃してしまった以上、声を掛けない訳には行かないだろう。


 気が付かれないようにゆっくりと背後に近づく。


 不審者の正体がおかしいやつだと知っているからこそ、右手を肩に伸ばしかけて躊躇した。けれど、意を決して肩に手を置くと声をかけた。


「滝沢だよな。こんな所で何をしているんだ」


 俺が手を置いた瞬間にビクッと肩が大きく跳ねる。そこで不審者は擬態するナナフシのように動きを完全に止めた。


 一切振り返るような素振りも見せず、しばらくの間俺と不審者の時間は硬直していた。


 時間にして三十秒程の時間。


 まさかこれで、本当に擬態しているつもりなんじゃないよな?

 一応、念の為に声をかける。


「いや、無理だからな。誤魔化せないからね。もう俺、お前のこと滝沢だって認識しちゃってるからね」


 すると次第に不審者はプルプルと小刻みに震えだし、唐突に明後日の方向に走り出した。


「おいっ!ちょっと待て!」


 不意を突かれたのと、思ったより足が速く、後ろ姿があっという間に遠くなっていく。


 慌てて追いかけようと俺も走り出すが、その直後、不審者は日ごろの運動不足が祟っのか、足がもつれて派手に転んだ。


 それはまるで子供の運動会で張り切って転ぶお父さんのようだった。小学生時代のお父さんの姿が重なる。父さん…



 顔面からアスファルトに突っ込んで、シャチホコのようなポーズで三秒ほど静止してからバッテリーが切れたロボットのように受け身を取ることなく地面に完全に倒れ込んだ。


 幸いにもサングラスは前方に投げ出されていた。


 それにしても思わず目を背けたくなるような光景。かなり痛そうだ。


「おい大丈夫か!?」


 慌てて駆け寄りながら声を掛けるが反応がない。ピクリとも動かない。


「い、生きてるよな」


 肩をツンツンとつつくとピクリと生体反応があった。


 良かった。俺のせいで大事に至る事は無かったようだ。


「きゅ、救急車呼ぶか?」


 救急車って言葉に反応したのか、凄い勢いで不審者は起き上がると、こちらに振り返った。


「だだだだだだ、大丈夫、大丈夫ですから、呼ばないでください」


「……本当に大丈夫か?」


 不審者、滝沢の姿を見た瞬間、言葉に詰まってしまった。


 被っていた帽子は脱げ、中で纏めていたのだろう、長い黒髪がボサボサの状態であらわになり、なによりマスクが真っ赤に染まっていた。


 滝沢はケホケホと咳をしながら「苦しい」と小声で呟いた。


「とりあえずマスク外せ」


「は、はい」


 滝沢がマスクを外すと、豪快に鼻から出血をしていた。

 俗に言う鼻血ってやつだ。


 あれ、こんな時どうしたら良いんだっけ?たしか上を向くのはダメなんだよな。

 あーわからん。


「ねえ、お母さん見て、お兄さんがお姉さんの事いじめてるよ」


 背後からそう聞こえた。

 偶然通りかかったのか、騒ぎを聞きつけてやってきたのか、そこには親子連れの姿があった。


「どうしたのなんかあったの?」


 その後ろには今、家からちょうど出てきて声をかけてきたおじいさんの姿もあった。


 この場で騒ぎになるのはまずい。矢野さんにバレる!


 ……たしか、近くに公園があったな。


「大丈夫です。本当に大丈夫なんで!」


 慌てて滝沢の腕を引いて公園に向かい走り出した。






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