第2話

 新学期。


 久々に会う友人達と夏の思い出話をしたり、提出物の作成がまだ終わっていない生徒が慌てて作業をしたりしているはずの教室へ向かうと、教室内は異様な雰囲気に包まれていた。


 教室の後ろ側の扉から教室へ入ると、みなが同じ方向を見ていたのだ。


 つられて俺もそちらに目を向けると、まだ誰も座っていない空席に植木鉢に植えられたカラフルな花が置かれていた。


 俺の少ない知識でも知っている。あれはパンジーって花だ。

 花言葉の意味なんかは知らないけれど、花が机の上に置かれている意味はわかる。


 嫌な予想が脳裏をよぎる。


 あの席はたしか、矢野さんの席だったはずだ。


 まさか、矢野さん……


 教室の異様な雰囲気の正体を知り、俺は膝から崩れ落ちそうになった。


 クラス、いや学年のマドンナと言ってもいい矢野さん。上級生が矢野さんを見物に来るためだけやってくる事もあるくらいの美貌の持ち主。


 かくいう俺も終業式の日に告白をして振られたのだけど。


 ……まさかそのせいじゃないよな。


 自分のせいかもしれないと、膝がガクガクと震え始めると同時に。唐突に後ろから肩を叩かれた。


「桐生君、おはよう。どうしたの?そんな所で崩れ落ちちゃって」


 迦陵頻伽かりんびょうが。まるで秋の空のように透き通った声だった。


 終業式の日に『ごめんなさい』と断られた声と瓜二つ。


 知っている声に恐る恐る振り返ると、そこにはまごうことなき矢野エマの姿があった。

 すぐ後ろには、いつも一緒に行動をしている陽川姫ようかわひめの姿。


 新学期早々、遭遇してはならないものに遭遇してしまったのかと何も答えられずにいると、陽川が「じゃま」と俺の横を通り過ぎていく。


 その時、陽川のスカートの裾がふわりと肩の辺りに触れた。


「ちょっとごめんね」


 その後に続いて通っていく矢野さんのスカートの裾も俺の肩を掠めていく。


 間違いなく彼女には実体がある。


 一体どういう事だろうかと思案していると、教室前方で悲鳴が上がる。


 透き通った悲鳴だった。


 悲鳴のした方に視線を向けると、声を上げているのは矢野さんで、しばらくオロオロと周囲を見回したあと、気絶するように倒れてしまった。


 陽川が倒れる矢野さんを支えながら、机の上に置かれている物を払い除けた。払い除けられた植木鉢は、地面と接触するとガシャンと音を立てた。


「ちょっとこれ。どういう事!?冗談じゃすまされないよ!」


 矢野さんの肩を優しく支えながら、陽川はクラス中を見渡すようにして言った。


 誰も無言を貫き答えない。視線もそらす。そらそうだ。俺も視線をそらした。


 その中で一人だけ視線を逸らしていない人物がいた。ちょうど俺が目を逸らした先にその人物はいた。

 滝沢凛たきざわりん。かなりの美貌の持ち主で、入学当初は矢野さんと肩を並べる程に男子から支持を得ていた女子生徒だ。


 ……まあ、それは過去の話だけどね。今このクラスで、いや、この学校に通う者で彼女に進んで話しかける猛者はいない。


 俺が十五年かけて作り上げてきた物差しは彼女の前では全くの無意味だった。


俺以外の周りから聴こえてくる評価も、わかり合えない。意味不明。奇行が目立つ。誰も彼女の一挙手一投足を理解する事が出来なかったのだ。

 やる事なす事全てが迷惑を被る。



「滝沢凛。……また、あなたなの?」


 陽川の発言に、クラス中の視線が滝沢に降り注ぐ。


 陽川の発言を受けて、滝沢は不器用な笑顔を浮かべながら言った。


「そ、そそそそうだよ。よ、喜んでくれたかな」


 その肯定の言葉を聞いた瞬間、陽川の顔色がみるみる変わっていく。


「いい加減にして!あなたのそういう行動のせいで、エマは大変な思いをしているの!もう嫌がらせはやめてちょうだいって言ったわよね!?」


 怒気のこもった叫び声がクラス中に反響を伴って響き渡る。


 廊下を通りかかった他のクラスの生徒達も、恐る恐るといった様子でこちらを覗いてくるほどだ。


「えっ、めめめ、迷惑になるなんて……喜んで貰えたらって……」


 滝沢は悪びれる様子もなくそう答える。まるで自分が良いことをしたのになんで怒られなければならないのか?そういう態度に見えた。


「……またそれ?先生には言うから覚悟しときなさいよ」


 陽川が怒りに震えているのは、遠くから見ている俺からもわかった。


 陽川は滝沢から視線を外し、クラス全体に呼びかけるように言った。


「ちょっと私、これからエマを保健室に連れて行ってくるから、滝沢さんが証拠隠滅をしないように見張っておいてくれる」


 クラスのどこからか、わかったと返事が返ってくるのを確認すると、「エマ歩ける?」と労わりの声をかけながら陽川は教室から出ていった。


 そこからは教室全体が滝沢を見張る、異様な緊張感に包まれた。


 俺も座り込んでいても仕方がないと立ち上がると、自らの席に向かう。


 俺の席は、あいにく滝沢凛の横の席だ。


 入学当初は美少女の隣の席でラッキー!『俺のカラフルスクールデイズが始まったぜ!』と歓喜していた頃が懐かしく思える。


 今では日本史史上、最悪の席だと思う。


 自らの席につくと、滝沢の席の隣と言う事もあって、クラス中の視線がこちらへ向いていた。


 まるで俺が見張られているような錯覚すら覚える。


 居心地の悪さを感じながらも席につき、鞄を机にかけてからは窓の外をしばらく眺めていた。そうすればクラスの連中の視線から逃れられる気がした。別に俺が見張られてるわけでもないんだけどな。


 しばらくして担任の横島先生がやってきて、滝沢を連行していった。


 その時に滝沢はポツリと独り言を言ったんだ。


「どうして」と

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