第14話
ハートがひとりで向かった先は、学園教室棟の1年生教室だった。
「きゃー! 雁夜くーん!」
黄色い声援が飛び交う中、ハートは女子生徒たちに向かってウインクをした。
「みんな、こんにちは。いきなりで申し訳ないんだけど、僕のマジックに協力してくれないかな?」
まるで王子様のような優しい声色に、女子生徒たちは一斉にハートの元へと駆け寄る。
「もちろん! 何をすればいいの!」
「私が先よ!」
「何言ってるの!? 私だから!」
「みんな落ち着いて。今回のマジックは、みんなに協力してもらわないといけないんだ」
手袋をしたハートが右手に持ったのは、黄色い風船だった。
「この風船、不思議なことに、クラスメイト全員が順番通りに触らないと割れない仕掛けになってるだよね」
「ええ!? そんなことあるの?」
「気になるでしょ? だから早速出席番号の早い人から触って欲しいんだ。絶対に順番通り触ってね。じゃないと本当に割れないからさ」
その言葉の通りに、教室にいた生徒が順番にどんどん風船に触っていく。
「割れないかどうか確かるために、ぎゅっと握ってね」
「ん! 本当に割れない! なんで!?」
この手品のトリックは非常に簡単である。
ハートが用意した風船は、特殊な強化ゴムでできているため、人の力程度では割れないという話なのだ。
後は割りたいタイミングで、ハートが左手首に隠していたナイフで穴を開けるだけ。
こうして出席番号が、最後の生徒が触れた瞬間、風船はタイミングよくパンと破裂したのであった。
「すごい! ちゃんと割れた!?」
風船が割れた瞬間、教室は拍手に包まれた。ハートのマジックは成功だった。
「みんな協力ありがとう! でもまだまだ練習中だから、他のクラスでも協力をお願いしてみるね!」
拍手や歓声の中、ハートは割れた風船を回収する。
(さて、これで1年A組分は完了だね)
この風船こそ、ハートが最も欲しかったもの。
クラスの人間が順番に触っていったので、指紋が出席番号順についている、大事な証拠品である。
ハートは大事にビニールケースに入れて、円卓ルームへと送り届ける。
「ちゃんと照合できるんだよね?」
「もちろんですわ! 岩上院の名にかけて、照合の正確性は保証しますわ!」
円卓ルームでは、ダイヤが自身の発明品に、割れた風船を入れて、どんどんKとの指紋に照合していく。
「さあ、ここまできたら時間の問題ですわ! コードネームK! 覚悟!」
指紋が一致すれば、その生徒がKであると分かる。
あとはその時が来るのを待つだけであった。
「エクスカリバー・ブック――――展示ガラスに内側からロックをかけて!」
一方のニチカは、ハートとダイヤが指紋照合を進めている間、学園内を歩き回っていた。
ニチカがいるのは円卓学園美術館。貴重な美術品などがいくつも飾られている、学園内で一番大きな資料館である。ちなみに、美術品の保全活動や、アトリエでの芸術活動もここで実施しているらしい。
この館内のセキュリティも、もちろんエクスカリバー・ブックによって管理されている。
「よし。ロックは完璧だね」
美術品は、自動制御で厳重に保管されているのだが、今回の騒動をふまえ、ニチカが密かにロックを強固なものにしていた。
ファントムピクシーが盗む前に、盗めないような状況にすればいい。ニチカはそう考えたのであった。
もちろん、このことは、誰にも知られずに行わなければならない。
美術館に、ニチカ以外の人はいない。
閉館時間が過ぎており、ニチカはエクスカリバー・ブックで密かに入り込んでいるのである。
アトリエで部活をしている美術部も、清掃の影響で午後以降入れないらしい。入り口の紙にそう書いてあったのをニチカは確認していた。
ボーンボーンと遠くで振り子時計が時刻を知らせてくる。好きなだけ学園内を行き来できるニチカだが、誰もいない場所にひとりでいるのはさすがに心細かった。
「……あれ?」
ニチカがふと気づいたのは、とある展示棚。ガラスケースの中に、何も入っていないケースがあったのだ。
展示説明には「オニキス・ペンシル」と書かれており、『かつての大海賊キャプテンキッドが大切に持っていた黒色の宝石オニキス。そのオニキスを使用して製造された100年前のペン。世界一頑丈なペンとしてマニアの間では有名で、10億円の価値がついたこともある』と書かれている。
だがそこに、ペンの姿はない。
「私が来る前からペンは無かったから、どこかへ移動したってことだと思うけど……」
なんだか嫌な予感がしてしまう。
その時ピリリとスマホの着信が入った。相手はハートであった。ちなみに、ニチカの連絡先を知っている相手は両親とハート、そしてダイヤだけである。
「ニチカ、岩上院の指紋認証機が壊れちゃったみたいなんだ。修理に半日はかかるみたいだから、今日の捜査は打ち切りにしよう」
「ええ!? 壊れちゃったの!?」
「指紋認証したデータを抱え込みすぎて、システムがフリーズしてしまったみたいなんだ。なんでこんな低スペックな機械なんだよってツッコミはしないであげてね。もう僕がきつく言っておいたから」
「きい! 寝ないですぐにアップグレードしてやりますわ! ニチカ様! 申し訳ございませんが、しばしお待ちを!」
ハートの電話口からダイヤの悲鳴のような声が聞こえた。
「無理しないでねって伝えておいてね」
「寝ないで頑張ってねって伝えておく」
「だめ。意地悪しない。じゃあ、また明日以降だね」
円卓ルームに戻る理由がなくなってしまったので、ニチカはそのまま家に帰ろうと考えた。
「ニチカ、何かあったら連絡してね。協力してKを探そう」
「うん。分かってるよ」
ニチカはそう言うと電話を切った。
美術館の外は、雨が降っていた。
「何も起きないといいな……」
不安に思いつつ、ニチカはその場を後にしたのだった。
次の日、日中は普段通りの授業を受け、放課後になるとニチカが向かった先は、美術館であった。
普段と変わらない学園の雰囲気に、特に何か事件が起きているような気はしなかったのだが、昨日のペンの行方だけは、どうしても気になってしまったのだ。
美術館の入り口に入った瞬間、ドンっと何かにぶつかった。
「椎名先生!」
相手は、担任の椎名先生であった。
ぶつかった拍子に、椎名先生が手に持っていたプリントが床に散らばってしまった。
「すいません。今拾いますね」
ニチカが拾うのを手伝おうとしゃがむ。
だがいつの間にか、プリントが床からなくなっていた。
「大丈夫よ〜もう拾い終わったから〜」
ニチカが気づかないうちに、プリントを拾い終わっていたらしい。
椎名先生が見た目によらず素早いことに、ニチカはびっくりした。
なんとなくあっけに取られていたニチカに、同じ目線の高さから、椎名先生は優しい声色で問いかけてきた。
椎名先生は、とても小柄なのだ。
「何かあったの〜? 今日は元気なさそうね〜?」
「えっ、いえ、その、考え事をしていたんです……」
「どんなこと考えていたのかしら〜? 困り事なら〜先生でよかったら聞かせてね〜」
椎名先生は、優しくニチカにささやいた。
「あの……美術館に黒い宝石のペンってありますよね? あれは展示されていないんですか?」
ニチカは、椎名先生に確認する。椎名先生が美術部の顧問であるため、聞くのが手っ取り早いと思ったのだ。
「ああ〜あれね〜修繕作業をしているの〜だから〜裏の作業室の金庫に入っているのよ〜展示ケースがあるのは〜もう少しで展示室に戻る予定だから〜その準備のためね〜」
椎名先生は、ニチカの疑問を解決してしまったのだった。
「そうだったんですね。よかったぁ……」
ニチカはホッと胸を撫で下ろしたのだった。
「よく分からないけど〜不安が無くなったのなら〜よかったわ〜もし時間があるなら〜今度は先生のお願い聞いてもらえるかしら〜?」
「いいですよ! なんでしょうか?」
展示品の鍵をかけ終わったニチカは、指紋照合を待つだけの身である。ニチカには時間があった。
「実は〜私が顧問をしている〜美術部の生徒が〜今日学校を〜お休みをしたみたいなの〜彼にプリントを届けて欲しいのよ〜2年C組の彩洲リュウセイさんよ〜」
「……彩洲先輩!」
「旭さんも知ってるのね〜本当なら〜私がいかなきゃいけないんだけど〜これからアトリエで〜新年度始めの大掃除があるから〜時間が取れないのよ〜」
ニチカの脳裏に、リュウセイの屈託のない笑顔が浮かんだ。
リュウセイのためなら、喜んで行きたいとニチカは思った。
「わかりました! 今から行ってきます!」
「ありがとう〜気をつけてね〜」
そう言って、ニチカは、椎名先生に聞いたリュウセイのマンションへ向かった。
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