第9話

「あら、降参ですの?」

 隠れていた自転車置き場から、ニチカは一歩出た。目の前には、勝ち誇った顔の、岩上院ダイヤが立っていた。

「いつのまに髪をまとめましたの? いつもより凛々しい雰囲気ですわね」

 ダイヤはニチカを褒めるように煽る。ニチカは冷静な口調でダイヤに向き直る。

「……本を渡すつもりはありません。この本を失ったら、私は退学になってしまうという約束ですので」

「そうなのですか? それは申し訳ございません。ですが、わたくしにも事情がありますの! 覚悟!」

「エクスカリバー・ブック――――!」

 するとニチカはエクスカリバー・ブックに何かを書き込む。その瞬間ニチカとダイヤが立つ地面から壁が現われ、周囲を覆っていく。そして、密閉されたドームに二人は閉じ込められた。

 照明がつき、二人を照らす。

「あら、わたくしを閉じ込める気ですの?」

「誰にも邪魔されずに、決着をつけたいんです」

「それは好都合ですわ!」

 ダイヤはニチカへ手を伸ばす。ダイヤがつけた手袋には、マジックハンドが装備されており、びょーんと機械仕掛けの手がエクスカリバー・ブックの元へ飛び込んだ。

「岩上院印のマジックハンド! 特殊素材で出来た粘着テープのおかげで、もうこの本からマジックハンドを剥がすことはできなくなりましたわ! さあ、旭ニチカ! エクスカリバー・ブックを手放すことを宣言しなさい!」

 エクスカリバー・ブックは、ニチカ以外の人間は触れることができるが、本を開くことはできない。それに奪うこともできない。

 だが、ニチカから本が離れれば、ニチカは本を使うことができなくなる。そうなったら、圧倒的にニチカは不利となってしまう。だからこそ、ニチカは絶対に本を手放してはいけないのだ。

「甘いですわ! 至近距離に入ったら、ここにある、"なんでもテコ"があれば、あなたの腕から本を落とすことなんて、簡単ですわ!」

 ダイヤは手に持った細長い棒を持って、ニチカの胸元の隙間に突き刺そうとする。テコの力でニチカの腕を攻撃しようとしたのだ。

 ダイヤは、勝ちを確信した。

 ――――フッ!

「え?」

 だが、棒は空を切った。目の前にニチカの姿が無くなっていた。

「き、消えた!?」

 ダイヤが周りを振り返ると、背後にいつの間にかニチカが立っていた。

 不思議なことに、いつのまにか、マジックハンドが本から剥がれており、ニチカは自由の身になっていた。

「そのマジックハンド、ある角度で力を入れると、粘着が外れやすくなっているみたいですね。それに、岩上院さんは重心が左にわずかに傾いているので、右下にわずかに死角が発生するようですね。こうやって、回避することができました」

「……何を言ってますの? でたらめは結構。この短時間で、そんな判断ができるはずないですわ」

 ダイヤは、ニチカが言っていることをハッタリだと決めつけた。

 だが、ダイヤは、目の前のニチカの雰囲気が変わっていることは分かっていた。

 ニチカは、落ち着いた表情でダイヤを睨む。

 その表情は勇敢で、文字通り女王のように凛々しいものだった。

「ニチカ! 大丈夫か!」

 ドームの外からハートの声が届く。ニチカはエクスカリバー・ブックに書き込み、ハートをドームの中へ招き入れる。

「ってその姿、いいのかい!?」

 ハートは、ニチカの髪型に驚いているようだった。

 一方ダイヤは、邪魔が入ったことに顔をしかめた。

「雁夜君! あなた、時間が経つごとに収縮していく、あの拘束ロープから抜け出してきたのですか!?」

「マジシャンにとって、脱出はオハコだからね。それより、岩上院。騒ぎを聞きつけて、風紀委員がこっちに向かってきている。これ以上騒ぎを起こすと、停学とか、下手すれば退学になるかもしれない。もうこれ以上のことはやめた方がいい」

 ハートは静かな口調で、ダイヤを止めようとする。

「ええいうるさいですわね! あともう少しですの!」

「いや、もう無理だ。ニチカを本気にさせたら、捕まえることはできない。あの左目を見たら、ニチカの正体が分かるだろう?」

「どういうことですの?」

 ダイヤは、よく分かっていないようであった。

「まさか、"ルビーの女王"を知らないのか? テレビとか、動画サイトとか見ないのか?」

「テレビや動画サイトなんて、我が家では、小学校まで禁止ですわ!」

 ダイヤはなんのことかと反論した時、ニチカの左目がルビーのように紅色に輝いていることに気づいた。

「紅色の瞳……そういえば、ちょっと前に空港のロビーにあったテレビで、紅色の瞳の少女が、世界中を冒険していると放送されていましたわね……」

 うっすらとした記憶を、ダイヤは呼び起こす。

「確か、最年少での南極点到達。ピラミッドの隠し財宝の発見。紛争地帯での弾丸を避けての平和活動。わずか十二歳の少女が数々の偉業を、怪我や病気も無く成し遂げるという、超人的な活躍で伝説の存在になっている。その少女は、名前を伏せているので、輝く左目からルビーの女王という異名で呼ばれている……まさか!」

 そのまさかであった。

 ダイヤの目の前にいるのは、世界中でその名を轟かせる超人少女――――ルビーの女王こと、旭ニチカであった。

(ああ、口が軽そうな子にバレちゃったよ……)

 ニチカは、幼少期から、破天荒な冒険家の両親の仕事に連れて行かれる日々を送っていた。それは大人でも苦しい冒険に身を置いていたということである。子供のニチカが、その冒険の日々を乗り切るためにたどり着いたのは、周囲の状況を正確に確認し、生き残るための最適な行動を選択するというものだった。

 元々ニチカの左目は、右目よりも何倍も良く見えた。練習の結果、左目に意識を向けることで、まるでコンピューターのように物事を解析できるようになったのだ。

 そのおかげで、子供でありながら、極めて優秀な観察力を使って冒険を乗り越え、世界中で称賛されるような活躍を成し遂げることができたのだ。

 しかし、ニチカはこれを良いことだと思ってなかった。

「あなた! ルビーの女王でしたの!? なぜその左目を隠しているのですか!?」

「……この瞳がバレると、また冒険に行くように言われちゃうからですよ!」

 ニチカは胸の内を、まるでせき止められていた水が溢れるかのようにダイヤへとぶつける。

「私は子供の頃から冒険に連れ回されてましたが、本当はこんなことしたくなかったんです! いつ怪我してもおかしくない、暑くて寒い環境に、好き好んで行きたいとは思わなかったんですよ! だから私は生きて帰ることを目的にして必死でこの左目を使いました! その結果、生き残った私は、余計に冒険に連れ回されることになってしまったんです! テレビでは連日私や両親のことを報道するし、ネットニュースやSNSでは色々なことに挑戦してほしいって期待されるようになっちゃったんです! 私が学業に専念して冒険活動を休業するとという話になった時も、すぐにネットニュースで事件扱いされました! 世界中で、早く戻ってきてほしいとか、引退しないでとか色々言われちゃってるんです! だから私は皆さんをがっかりさせないために、過去の自分を捨てて、円卓学園のひとりの生徒としてひっそり生きていくことにしたんですよ! 全然ひっそりと生活できてないですけどね!」

 ニチカはガトリング銃を撃ち放つように、一気に言い切った。

 そしてハートは、ダイヤに改めて忠告を行う。

「本気のニチカは、その左目で、ほとんどのことを見通すことができるんだ。文字通り弾丸を避けることだってできる。どんなことをしても、ニチカから本を奪うことはできない。諦めて降参するんだ」

「う、うるさいですわ! 沢山事情があるのは分かりました。ですが、わたくしは、それでも、その本が欲しいんですの!」

 ダイヤは、苦しそうな表情で自分の意思を押し通そうとする。

 ニチカはゆっくりと、手を伸ばすダイヤの顔へ視線を移す。そして左目に集中して、ダイヤを見た。

 必死な顔でニチカを睨んでいる、でも、ニチカを見つめるその目線は、どこか苦しそうにも思えた。

 ニチカは、ダイヤが何か複雑な事情があって、このエクスカリバー・ブックを狙っていることを察した。

(……岩上院さんを、これ以上傷つけるわけにはいかないよ)

 ニチカはそう思った。

 ダイヤの両手に、ニチカは左手をそっと置いたのだった。

「!? 何ですの!?」

 攻撃をされると思ったのか、ダイヤは、びくんと体を硬直させた。

「落ち着いてください」

 すっと、ニチカの口から言葉が出た。

 その時、ドームの外から、いくつもの足音が聞こえてきた。

 ニチカは、正体を隠すためにカチュームを解き、そしてドームの壁を消したのだった。

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