「嬢ちゃん、見かけによらず腕っぷしが強ぇな! その調子でそっちも掘り返してくれ!」

「ばか! こっちはまだ水抜いてねえ区域だっつの! 泥で水門を詰まらせる気か!」

「うわあ。見て、ここの石橋の影のとこ。デカタニシの卵があるよ。気付いてよかったねえ」

「狭くて手が届かねえな。こりゃあ削って潰すのは無理だ……おうい、ノア嬢! 手が空いてたらこっち来てくれ!」


 呼び声に応えて、ノアは今いる用水路から足を上げた。

 用水路の底の土を掘り返して出てきたデカタニシの数は未だ片手で数えられる程度だが、これが数か月後にはとんでもない数になっていると言うのだから驚きだ。処分後の貝殻は肥料になるからと、その出てきたデカタニシをノアは片っ端から燃やし尽くすように頼まれていた。生きているところを殺すのは申し訳ないが、これも健康な田地の維持のためだ。ノアは心の中で謝罪しながら遠慮なく魔法を行使していた。

 呼ばれてノアの向かった先は、広い用水路を跨ぐようにしてあぜ道同士を繋いでいる石の橋だった。その下ですっかり顔馴染みとなった村人の男二人がノアを手招きしている。


「ノア嬢~、こっちこっち」

「ええ、今行くわ」


 ざぶざぶと躊躇わずノアは水に足を突っ込んで、小さな石橋の下を覗いた。彼らの要望はすぐに理解した。


「……気持ち悪いわね」


 石橋の柱に鮮やかな赤い塊がくっついている。草木の中にあればまだ果実として見紛うこともできたであろうに、この殺風景な石柱に張り付いていては要らぬ嫌悪感を駆り立てるだけだ。

 村人の彼ら曰く、これはデカタニシの卵なのだそうだ。普段ならば削って潰して捨てるのだそうだが、この石橋の柱の狭い隙間に産みつけられてしまっては、手持ちの道具では手が届かないとのこと。


「ああ、そうだ。このデカタニシの卵は毒があるから気をつけろよ」

「聞けば聞くほど害虫ね……」


 この巻貝の原産地はどんな修羅の国なのだろう。ノアは顔を顰め、心の中でごめんなさいと呟いてから、デカタニシの卵を跡形もなく燃やした。魔法を生で見てはしゃぐ村人のお礼に、ノアは簡素にどういたしましてと返事をして持ち場に戻る。

 セヴランの説明を聞いた時は気のせいだと思って流したが、この目でデカタニシの卵を見て確信した。デカタニシはやはり俗称で、本当のタニシではない。本物のタニシは卵を産まない。


「……より正確に被害対策を知るためにも、まずは正式名称を知る必要があるわね。村長さんなら知っているかしら」


「うむ。知っているぞ」


 知っているらしい。

 用水路の泥をひっくり返す作業を中断した昼休憩時。ノアのもとに弁当を届けに来たセヴランの隣にいたのは、デカタニシの発生を聞きつけて視察に来たマチアスだった。

 ノアがセヴランから弁当を受け取る傍ら、先程の疑問を口にすると、マチアスは迷うことなく頷いた。


「デカタニシの正式名称をスクミリンゴガイという。ノア嬢の言う通り、タニシとは別物だ」

「スクミ……リンゴ?」

「そう。竦み林檎だ。謂れの由来は知らん!」


 悪いな、とマチアスが軽快に笑う。

 ノアは頭の中で熟れたリンゴとスクミリンゴガイの貝殻を並べて、密かに首をひねった。リンゴと巻貝の形状は似ても似つかず、たしかに語源がわからない。


「え~。何その知識。おれも知っておきたかったな。そしたらノアに説明できたのに?」

「図鑑にはより詳細な事柄まで書いてある。書斎に置いてあるはずだから、気になるなら好きに読みなさい」

「えっ読む」


 以前ならば「ね~、おれが文字読めないの知ってて言ってるよね?」とでも返していたであろう提案だ。しかしここ数日間でセヴランは劇的な成長を遂げ、高水準の文字の読み書きをマスターしている。労力はかかるかもしれないが、今では学術的な図鑑も読めるようになっているはずだ。勉学を教えているノアも驚くくらいにセヴランは知識の吸収に貪欲になっているから、そのうち図鑑の内容も全て彼の頭に入ってしまう日が来るかもしれない。

 逸材ね、とノアは微笑んだ。それを見て、つられてセヴランもにこにこと笑い出す。


「どったの、ノア。なんだかご機嫌だね?」

「ええ、そうね」


 誰だって隣人が成長していたら嬉しいものだろう。それに、ご機嫌なのはノアだけではない。セヴランを本当の弟のように慕うマチアスもまた、セヴランの返事に満足げに目を細めている。

 ノアは昼食の弁当を抱え直して、くすりとまた笑った。兄弟間の仲が良いのはいいことだ。


 さて、午後の時間いっぱいをデカタニシもといスクミリンゴガイ狩りに費やしたノアと村人たちは、村長の家のそばの小さな広場で焚火を催していた。とはいっても、大層なものではない。単に彼らが捕獲した巻貝を、ノアが魔法の炎で脆くなるまで炙っているだけだ。暮れゆく空に舞い上がる火の粉をつまみに、一仕事を終えた村人たちが集って談笑している。

 ぱちぱちと音を鳴らす炎の中心。生命の燃える臭いの中で、ノアは今日一日で集めたスクミリンゴガイの貝殻をじっと見つめる。その数、実に十五匹。この後彼らは貝殻肥料として有効活用されるのだとしても、今こうして魔法を行使していると、十五の命を火にくべているのは自分なのだと思わされてしまう。


「……いけない、このままだと嫌な記憶も蘇ってきそうだわ。もっと違うことを考えるべきね」


 例えば、スクミリンゴガイはどうやって村の中心部付近まで来たのだろう、とか。

 捕獲したスクミリンゴガイの分布や、村人たちの手慣れた掘り起しの作業から考えるに、厄介な巻貝は予め用水路に潜んでいたのだとノアは思っていた。だが用水路に実際に足を踏み入れてみて、ノアはあることに気が付いた。スクミリンゴガイはみな例外なく地表近くに身を潜めていたのだ。やつらには土壌奥深くに身を潜める能力がないのかもしれない。


「カンファーロの冬の環境はスクミリンゴガイの生存には適していない。春には死滅していることがほとんどだという証言からも、用水路の泥中に潜んだ程度では越冬できるはずもないわ」


 だとしたら、スクミリンゴガイはこの春に別の場所から流れ着いた可能性が高い。カンファーロのどこかにスクミリンゴガイの越冬に適した温暖な場所があるのだろう。そこを潰せば、カンファーロのスクミリンゴガイ被害は消滅するのではなかろうか。


「……望み薄ではあるけれど、調べてみる価値はありそうね」

「おっ、なんだなんだ。嬢ちゃん、何か調べ物でもすんのか?」

「へえ〜。害獣被害は落ち着いたってのに熱心なもんだナ。協力できることはあるか?」


 ノアの独り言を拾って、周囲に居た農民たちがわらわらと集まってくる。前々からノアが近隣の村人たちに歓迎されているのは知っていたが、今日一日で随分と彼らとの仲が縮まったような気がする。力仕事を得意とする老若の男達に囲まれて、ノアは心做しか熱気がこもったのを感じつつ、いつものように曖昧に笑った。


「そうね。スクミリンゴガイ……デカタニシについて、少し考えていたの。害虫駆除は、私の仕事の管轄内だから」

「あんた、良い奴だな」

「え?」


 皺の深い男にそう言われて、ノアは予想外の言葉に目を丸くした。ノアからすれば、ノアはただ貴族の責務にも等しい仕事を遂行しているだけだ。彼女は困惑の視線を目の前の男たちに向けるが、彼らはそれに気付いているのかいないのか、良い奴だ、全くだと頷くばかりである。


「だいたいこんな小柄なお嬢様がよ、一人でこんな僻地に仕事にしに来るってのが偉いよな」

「お前んとこの娘とほとんど歳が変わらねえんじゃねえのか」

「遊んでばかりのあの馬鹿息子にノア嬢の爪の垢を煎じて飲ませてやりてえよ俺は」

「嬢ちゃん、手伝って欲しいことがあったら何でも言えよ。ここらのやつらは、み〜んな嬢ちゃんの味方だからな」

「そう、ありがとう。嬉しいわ」


 これだけの信頼を得られたのであれば、稲作を手伝ってきた甲斐があったというものだ。ノアがふっと微笑むと、彼らも満足そうに笑い返してくれた。


「そうね……それじゃあ、協力していただいてもいいかしら。デカタニシが越冬できるような温暖な箇所について、情報が欲しいの」


 とはいえ、すぐに有力な情報が得られるとは思っていない。農民たちが既にデカタニシの溜まり場を見つけているのなら、彼らの手によってとっくに害虫は駆除されているはずだからだ。

 だが、そのノアの想定に反して、村人たちはノアの言葉を聞くなり顔を見合わせ、ある一つの心当たりを共有したようだった。


「それについてなら、セヴランの方が詳しいだろうな」

「えっなになに? おれがどったの?」


 噂をすれば何とやら。男たちの輪に鮮やかな赤髪が加わった。セヴランのぱっちりとした灰色の瞳と目が合って、ノアは丁度いいところに来たと顔を綻ばせる。喜色を乗せた声色でノアはセヴランの名を呼ぶが、彼にとってはあまりいいタイミングではなかったようだ。セヴランはいつも一つにまとめている赤髪を、今はボサボサにして垂らしていた。


「うわ、わわ、うわぁ〜っ!」


 ノアと目が合うなりバッとセヴランが身を翻して、彼の隣にいた背丈の高い農夫の背に隠れてしまった。


「ちょーっと待って! 今のなし、今のなし! ノアもいるなんて聞いてないよ!」

「わたしがいたらいけないの?」

「そんなわけないでしょ、ノアにはずっとそばにいて欲しいよ! でも今のおれ、すっごく格好悪いから! 見ないで!」


 姿を見せないままセヴランが悲痛な声を上げる。その際、農夫の背後で見え隠れする彼の特徴的な赤髪に、見覚えのある乾草が絡まっているのがノアの目に留まった。なるほど、セヴランは役牛に髪で遊ばれてきたらしい。ボサボサのそれをくくり直す素振りがないのは、牛小屋で髪留めを壊されてしまったからだろうか。

 だが、その程度のことで――格好つけたいセヴランには重大なのだが、少なくともノアにとっては今までに魔法を行使した回数くらいどうでもよいことで――セヴランに逃げられてしまうわけにはいかなかった。ノアは彼から、スクミリンゴガイの温床について聞き出す必要があった。


「セヴラン。そのまま隠れていていいから、ひとつ教えて欲しいことがあるの」

「えっ、な、何?」


 上擦った声で返事したセヴランに、ノアは僅かに首を傾げつつ、先の疑問を口にした。


「スクミリンゴガイ……デカタニシが越冬できるような温暖な場所を知っているかしら」

「……デカタニシが越冬できるような温暖な場所……?」

「アレだろ、アレ。冬場の」


 考え込んだ様子のセヴランに、農夫のひとりが助け舟を出した。するとすぐにセヴランは合点がいったようで、ああなるほどと明るい相槌を返す。


「確かにあそこなら、デカタニシが越冬できてもおかしくないね! さっすがノア! 次の冬にでも確認して、駆除しておくよ」

「……? 今からそこへ案内してくれるのではないの?」


 越冬できるほど温暖な箇所があるのなら、そこがスクミリンゴガイが温床になっている可能性は高い。今のうちにノアの炎でまとめて焼き払ってしまえば、全体数が減って被害の軽減に繋がるはずだ。

 そうノアは考えたのだが、セヴランの声色は芳しくなかった。


「う〜ん、今の時期は案内が難しいかなあ。ノアの言う温暖な場所っていうのは、冬の森に現れる小さな雪解け区域のことだと思うんだけど……」

「雪解け区域には上質な獣が集まりやすいんだ。だからそれを見つけるのが得意なセヴランは、冬の狩猟で引っ張りだこってわけだな」

「うん。今が冬なら、ノアにもおれの格好良いところを見せられたんだけどね。冬場じゃないと、探すのは難しいなあ。毎年現れる場所が異なるし、おれも獣の痕跡を見て探してるから、そもそも動物が雪解け区域で休んでくれる時期じゃないといけないし……」

「そう。残念ね」


 話を聞く限り、彼らの言う雪解け区域とは、地中や大気中の魔力属性の均衡状態が崩れることで現れる『魔力異常区域』のことだろう。魔力異常区域は深刻な災害を引き起こすこともあるが、対策を要しない小規模な異常は往々にしてよくあることだ。

 魔術師のノアならば魔力の均衡の崩れを感知しての探索も可能であろうが、その魔力異常区域が山中で出現と消滅を繰り返しているのならば、スクミリンゴガイが一定箇所に留まり続けている可能性は低い。魔術師が対処すべき大規模災害を及ぼしているでもなし、ノアが森の中を虱潰しに調べてまで探すほどの重要性は感じられなかった。


「わかったわ。それなら、冬になったらあなたに案内してもらうことにするわね」

「えっ」

「私も狩猟は得意なの。足手まといにはならないから、安心して」

「え、あ、えっと」


 何かを言い淀むセヴランに、ノアは首を傾げる。セヴランが農夫の背後に隠れているのもあって、彼が何を伝えたいのか余計に推測がつかない。

 すると今まで静観していた男たちのうちの一人が、ニヤニヤと口を挟んだ。


「あ〜あ、セヴラン。嬢ちゃんは狩猟が得意なんだってよ。手柄を全部取られちまうかもな?」

「う、うるさいなあ! なぁんでノアの前でそう格好悪いこと言うの!?」

「なんでって、お前さんの狩猟の腕は良くも悪くも普通だからなあ。昨年も小動物の捕獲と引き換えに泥だらけになって……」

「だからそれは帰りに泥濘ぬかるみで足を滑らせただけって言ってんじゃん! ねえ、お願いだから黙ってて!」


 まんまと挑発に乗ったセヴランが、ぐっと農夫を押しのけて輪の中に躍り出た。だがその中心にはノアがいて、彼は先程の自分が人の背中に隠れた理由をすぐに思い出した。今のセヴランは田植え帰りで足元は泥色、牛に遊ばれ髪も乱れ、色男が台無しな状態である。はっと目を見開いたのち、彼は恥ずかしそうに首元に手を添え、そっぽを向いた。

 とはいえ直前に「黙っていて」と周囲に声を荒らげた手前、セヴランは次に何か言葉を紡がねばならない。彼は悔しそうな顔でアーだとかウーだとか言い淀み、たっぷりと思案する時間を作ってから、気まづそうにノアに目をやり、もそもそと口を動かした。


「……つ、次の冬……楽しみにしてる……から」


 そしてノアが返事をするより先に、セヴランが「も〜むり!」と真っ赤な顔で叫んで走り去っていってしまった。

 今のは一体何だったのだろう。冬に共に狩猟をすることに、何か意味があるのだろうか。困惑の表情でノアが周囲に助けを求めると、周囲の男たちはドッと笑いだした。


「へたれのセヴランにしちゃあ上出来だな!」

「嬢ちゃん、次の冬も害虫駆除に村に来てくれんのか?」

「セヴランのやつ、顔が緩みまくってたぞ」

「ノア嬢は辺境伯の娘だから忙しいかもしれないけどよ、もし冬にも来てくれるんなら俺たち皆で歓迎するぜ」


 そのようなことを口々に言われて、確かにとノアは目を瞬かせる。カンファーロはついこの間に雪解けたばかりだというのに、ノアはもう冬の狩猟の約束をしてしまっていた。その頃には既にノアもこの地での仕事を終え、カンファーロを離れているだろうに。

 たった少しの間過ごしただけで、随分と心がこの地に馴染んでしまったものだ。ノアは嘆息した。


「……そうね。約束したからには、冬になったらまたカンファーロに来るつもりでいるわ」


 口約束とはいえ、それを反故にするつもりはない。しかしこの約束の仕方ではまるで、セヴランに会いにこの地に戻ってくるかのようではないか。その疑念が頭に浮かんで、ノアはぐうと喉奥で唸った。発言や事柄に対して色恋に偏った解釈をするセヴランの悪い癖が、ノアに伝染しているかのようだった。やけに重い疲労がノアを襲った。

 とりあえず、冬のことは冬が近付いた時に考えよう。

 愉快そうに言葉を交わす農夫たちを背に、ノアは再び火に向き直って、ぱちぱちとスクミリンゴガイの貝殻を灰にするのだった。

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辺境伯令嬢、稲を刈る 芋羊羹 @kuriyo-kan

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