カンファーロの地図と被害報告書からノアが得たかったのは、今晩の害獣被害がどの辺りに現れるか、ということだった。いかに無差別な災害といえども、それが生じるには何らかの原因や過程がある。ある程度の規則性や傾向はあるだろうというのがノアの考えだ。

 

「うん、ノアの言う通りだ。例えば猪や鹿の被害は、森のそばや川沿いの区画に多い。そこから野生動物が侵入してくるからだね」

「しかし今回の害獣被害は、村の中心部にも現れているだろう。これはどう説明するつもりだ?」

「……」


 ノアたちが借りたのは村長の家の書室なのだから、この書室に村長がいたっておかしくはない。おかしくはないのだが、ノアには何故この場に村長もいるのかがわからなかった。

 決して広くはない書室のこじんまりしたテーブルを、ノアと、セヴランと、セヴランより一回り大きく体格のいい巨男が囲っている。この書室よりも兵士の訓練所の方が似合いそうなこの巨男こそ、ノアが懇意にしている此度の依頼人にしてカンファーロの村長なのであった。


「……村長さんは、その、ご自身のお仕事はいいのですか?」

「何を言う! 村長さんなどというよそよそしい呼び方はやめて、マチアス兄さんと呼ぶといい。敬語もいらん。きみの方が立場は上だ!」


 セヴランとはまた違った癖の強い人物だ。その熱血で暑苦しい印象とは裏腹に、この村で唯一セントラル神聖国の高等学校を卒業しており、学に秀でているというのだから驚きだ。確かに彼の話し方は、官僚や将校のそれに似ている。


「……マチアスさん。ご自身の仕事はいいのですか?」

「マチアス。敬語もなしだ」

「……マチアス兄さん。ご自身の仕事はいいのかしら」

「ああ。気遣いは有り難いが、心配には及ばない」


 真面目な顔でマチアスが答える。


「今日の分は既に終わらせたからな!」

「……そう」


 彼の体育会系な顔立ちのせいで何故だか不思議と全く信用する気になれないのだが、本人が良いというのなら、良いのだろう。マチアスの隣でセヴランも遠い目をしていた。


「それよりも、問題は害獣被害の方だ。被害は一貫して猪の跡に似ていると皆は言うが、ただの猪にしては不可解な点が多いだろう? 僕はこの件が魔法に関連するとみて辺境伯に連絡を入れたわけだが、やはり魔法が関わっていたか?」

「ちょい待ち。それ、初耳なんだけど? 魔法が関わってるって、義兄さんは知ってたわけ?」

「……その様子だと、やはり魔法が関係するか。何とも厄介な……」

「ね~、義兄さん? 相手を無視して勝手に話を進めないでって、いつも言ってるよね?」


 苛立ちを露わにするセヴランは中々珍しい。ノアとの会話では絶対にしないであろう刺々しい物言いが彼の口から発せられている。


「てかさ、義兄さんはノアに呼ばれてないよね? ノアが頼りにしたのはおれなんだから、義兄さんはどっか行ってよ」

「そういう訳にもいかん。害獣被害は早急に解決すべき問題のひとつだ。解決に割く頭脳は多い方が良かろう」

「……それは、そうだけどさあ……」


 がっくりとセヴランが大袈裟に項垂れる。現状このカンファーロで最も世情に詳しい村長のマチアスが調査に参加したら、一介の農民であるセヴランには立つ瀬がなくなってしまうのは明らかだった。


「……あ~あ。ノアに格好いいとこ見せたかったのにな」

「何を言う、セヴラン! きみは十分に優れた容姿の持ち主だ。それはきみも重々自覚しているのではなかったか!」

「それはそうだけど、そういう問題じゃなくてさあ!」


 義兄さんの分からず屋、とセヴランが声を上げて、テーブルに突っ伏した。

 セヴランが若干繊細で面倒な性格をしているのは察していたが、マチアスはマチアスで、誠実で現実的、責任感ある性格が災いして、こと色恋沙汰に関しては乙女心の通じない堅物になってしまっている。プライベートにおいての彼らはさながら水と油のようであろう。何とも面倒な空間に放り込まれてしまった。ノアは大きく息を吐いた。


「マチアスさん……マチアス兄さんの仰るとおり、魔法が関わっているのは確かね。被害の真相に関して仮説はいくらかあるけれど、そのどれもが、魔法なしには語れないもの」

「うむ、だろうな。僕は魔法に明るくないが、こういった奇怪な現象は魔法に起因するのが世の常だ。して、魔法の出処に見当はついているか? 魔獣か? それとも、人か?」

「……現時点で断定はできないわ。少なくとも皇国の差し金ではない、と今はお答えしておくわね」


 不用意な発言は混乱を招く。カンファーロは政治上重要な土地で、ノアはその領主であるレイゼル辺境伯の娘であるから、尚更発言には気をつけなければならない。

 どうか殺伐とした話し合いの場にはならないでほしい、とノアが内心で祈っていると、その想いを察したのかマチアスは「そうか」と頷くだけで、話を深掘りしてくることはなかった。先程まで見え隠れしていた探るような眼差しも消えたため、強引な印象を受ける彼は存外、相手の心がわかる人なのかもしれなかった。


「さて、ノア嬢は今晩の害獣被害の区域の予想を知りたいと言っていたな! 実は貴女が来る前にも、僕は仲間内と被害区域の予想を立てようとしたことがあったのだが」

「え~? なにそれ。そんなことしてたの? おれ、それ知らないんだけど」

「ああ。今初めて口外したからな」


 あっけらかんと答えるマチアスに、セヴランは僅かに傷付く表情を見せる。だがそれもすぐに取り繕って、彼は軽薄に笑った。


「も〜、義兄さんってば、そういうとこあるよね。おれにだけはこっそり教えてくれても良かったのに?」

「そういう訳にもいかん。仲間内では早々に『ただの害獣被害にしては無秩序で、それが返って作為的だ』という結論に至ったのだ。人為的な魔法である可能性を不用意に口にして村に広まれば、真っ先に争いの火中に放り込まれるのは、赤髪のきみだ」


 さもありなん。彩度の低い髪色を持つカンファーロやノースノヴァ皇国の民に対して、セヴランが持つのは鈍い光沢のある赤髪だ。異国の面影ある顔立ちも考慮するに、彼の両親か片親は、セントラル神聖国の南部か、神聖国以南の者なのだろう。

 セントラル神聖国とノースノヴァ皇国は、今でこそ十五年前の和平条約で交流が続いているが、歴史的には非情に仲が悪い。今後カンファーロに戦争の影が迫った時、明らかにセントラル神聖国民の血を濃く引き継いでいるセヴランは、両国に挟まれたこの地でどういった扱いを受けるのか。ノアは考えたくもなかった。


「……でも、おれだってもう、子供じゃないのに」


 セヴランの小さな呟きが届いたのか届いていないのか、マチアスは俯いてしまったセヴランの頭をゆるりと撫でてから、ノアに向き直る。


「当時……と言っても辺境伯に報告をする数日前の出来事だが。当時の僕たちは規則性を推測できず調査を断念した。だが魔術師のノア嬢ならば、僕たちとは異なる視点から被害区域の法則を見つけられるかもしれない。当時の僕たちがまとめた資料があるから、必要であれば自由に使いなさい」

「ありがとう、助かるわ。その資料というのは?」

「カンファーロの地形分布図に、被害状況を書き込んだものだ」


 それは朗報だった。ノアは今回、報告書を基に、カンファーロ全土の被害区域をまとめる作業を視野に入れていたからだ。

 早速ノアはマチアスの差し出した資料の束の結びを解き、並べる。資料の裏や端に書かれた数字に従い繋げていくと、カンファーロの田地の区画が詳細に書き込まれた地形図が浮かび上がり、その上に被害報告のあった日付と状態を記したメモが無数に張り出されていった。想像以上の出来だった。流石はセントラル神聖国の高等学校を卒業しただけのことはある。

 一方で顔を上げたセヴランは、それを目の当たりにして心中穏やかでない。彼はカンファーロの地理をノアに教えるつもりで彼女の隣に座っていたから、マチアスの持ち込んだ詳細な地図、それも難解文字の平然と書かれたメモ付きの資料を目の前に、頭を殴られたかのような心地でさえいた。


「……なんか、必要なかったみたいだね、おれ」

「待て、セヴラン!」


 ふらりと力なく立ち上がって田地の仕事に戻ろうとするセヴランを、マチアスが腕を強く掴んで引き留めた。


「きみ、勝手にどこへ行くつもりだ。議論は複数人が参加せねば成り立たない。それに、この三人の中で最も田地を実際に見ているのはきみだろう。きみの意見も聞かせてくれ」

「……どうかな。おれみたいな子供の意見なんて、聞いても無駄じゃない?」

「何を言う。きみは成人だ。さあ、座りなさい」

「……ほんと、そういうところさあ」


 セヴランが自嘲気味に悪態をついた。


「ま、どうでもいいけどね。この様子だと、ノアは議論を必要とはしていないみたいだし」

「なにっ! それは本当か、ノア嬢!」

「そうね……」


 目の前に広がる地図を眺め、そこに貼り付けられた資料をひとつひとつ指で確認しながら、ノアは呟いた。


「マチアスさんの言葉は正しかったわ」

「マチアス、だ。ノア嬢」

「……」


 このような時にまで、面倒な男だ。この義兄にしてこの義弟あり、といったところか。育て親の顔が見てみたいものだ。

 気を取り直して、ノアは静かに口を開いた。


「マチアス兄さんの仰っていたことは、正しかったわね。これは魔法を学んだ魔術師にしか気が付けない」


 昨晩の些細な違和感――大気中の魔力濃度の揺れは、気のせいではなかったのだ。


「うん……でも、より確かな証拠が欲しいわね。わたしがカンファーロに来てからの被害報告もまとめてみましょう。わたしの推測が正しければ、被害区域の分布は、わたしが手伝いをする前後で大きく変化をしているはずだわ」

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