やはりというべきか何というか、ノアが一人で村長の家に向かうと、村長の奥さんはノアを大層歓迎した。ノアは昼食の弁当を受け取るだけのつもりだったのだが、どうやらそういうわけにもいかなさそうだ。


「セヴランちゃんが来るまで休んでいきなさいな。何なら、昼も二人ここで食べていくといいわ。デザートもあるわよ」

「いえ、そんな。ご迷惑をおかけするには」

「ノアお姉さん、わたし、頑張ってデザート作るのをお手伝いしたのよ! 食べて食べて!」

「……ええと」


 玄関先で村長の奥さんと、その娘のヴァレリーに捕まってしまっては、彼女たちを邪険にできないノアは促されるまま家にお邪魔するしかない。

 恐る恐るノアが玄関口をくぐると、ヴァレリーが嬉しそうにノアの手を引いた。そしてそのままダイニングテーブルの席まで案内して、「ノアお姉さんの席はここ!」と、六席のうちの一つに座らせた。


「ノアお姉さんは、わたしの席の隣ね!」

「あら。わたし、ヴァレリーの隣に座ることができるのね。嬉しいわ」

「ふふ〜ん! セヴランの席はそっち、ノアの正面よ。セヴランは最近ずっと、ノアお姉さんの話ばっかりしてるから、一緒にご飯を食べれたらとっても喜ぶと思う!」

「その情報はいらなかったわね……」


 本当にいらなかった。


「まあ、ノアちゃんにとってはそういう反応になるわよね」


 台所に立った村長の奥さんが、色々と察した様子で苦笑する。


「でもノアちゃんが良い子なおかげで、本当に助かったのよ。ここ数日間のセヴランちゃん、本当に楽しそうに毎日の出来事を報告してくれるのだもの」

「……?」


 村長の奥さんの言い方に引っ掛かりを覚えて、ノアは目を瞬かせる。けれど奥さんの表情が穏やかであること、声色から敵意が見えないことから、気のせいだろうとノアは思い、違和感を思考の隅に追いやった。


「ね、ね、ノアお姉さん」


 ノアの隣の席に座ったヴァレリーが、ノアの袖を掴んで気を引いた。頬を紅潮させて目を輝かせる彼女は、内緒話でもしたいのか、こそこそと小さくノアに語り掛けてくる。

 ヴァレリーの可愛らしい仕草に、ノアは自分の頬が緩むのを感じた。なあに、と穏やかな声で返事をして彼女に耳を寄せると、ヴァレリーは「あのね」とより一層目を輝かせる。


「ノアお姉さんは、セヴランのどこがすきなの?」

「……」


 ノアの頬がスンと落ちた。


「ごめんなさい、ヴァレリー。わたしとセヴランの間に、そのような関係はないわ」

「……どうして?」

「どうしてと言われても……」


 ないものはない。

 ふとノアは皇都に住まう令嬢の友人たちを思い出した。彼女たちも十歳の頃には既にこうして恋バナに花を咲かせていた気がする。身分や土地関係なく、この年代の娘は恋愛話が好きなのだろう。ノアには全く、その面白さが理解できなかったし、今も恋という感情をよく理解できずにいるのだが。

 だが、そのような経験のおかげで、ノアはこういった話題に対する上手い流し方も身に付けられているのだ。彼女は苦笑して、今度はヴァレリーに内緒話を持ち掛けるようにして、話しかける。


「わたし、自分の話をするよりも、ヴァレリーの話を聞きたいわ。あなたには好きな人、いるの?」

「…………」


 話題を持ち掛けられた途端に、ヴァレリーは顔を真っ赤にして固まった。その様子がまた可愛らしくて、ノアはくすくすと笑う。


「誰にも言わないわ。わたしにこっそりと教えてくださらない?」

「あ、あう……」

「あらやだ、ノアちゃん。ヴァレリーをからかわないでやって。ヴァレリーも、ノアちゃんは辺境伯令嬢……領主様の娘さんなのだから、あまり失礼なことを言ってはだめよ」


 村長の奥さんからの静止が入る。


「ごめんなさいね、ノアちゃん。ノアちゃんにはきっと既に婚約者がいるでしょうに。セヴランちゃんにも、言い寄るのは勝手だけれど変な噂にはならないよう、きつく言い聞かせてあるのよ? 本当よ?」

「そう……」


 色々と気を利かせてくれているところ申し訳ないが、成人前から辺境伯の右腕として鍛えられてきたノアには、婚約者なぞいない。父から宮廷魔術師との見合いを打診されることは何度かあったが、面倒だったために全て断ってきた過去を持つ。

 だが、村長の奥さんがセヴランにきつく言い聞かせてくれているのなら、その勘違いを訂正する理由もない。ノアは曖昧に笑って誤魔化した。

 ヴァレリーが面白くなさそうに、腕をテーブルの上に投げ出した。


「あ~あ、セヴラン、フラれちゃった」

「なになに? 何の話? おれの話?」

「あら、セヴランちゃん。来てたのね」


 村長の奥さんが顔を上げたので、つられるようにしてノアも顔を上げた。セヴランは田地で別れた時よりも、一つくくりの細かい赤髪がぐちゃぐちゃに乱れている。僅かに牧草がついているあたり、牛小屋までの道中だけでなく、牛小屋内でも、大層牛に可愛がられてきたのだろう。

 その様子を想像してノアがふっと微笑む様子を見て、セヴランは不思議そうに首を傾げたものの、すぐにぱっと笑顔になって「ごめん、待たせたね」と自然とノアの正面に座った。


「で、おれが誰に振られたって? ヴァレリー」

「あ~ら。乙女の会話を盗み聞き?」


 ヴァレリーは皇都のご令嬢に憧れて、少し気取った話し方をしたい年頃らしい。村長の奥さんがこっそりと小声で注釈を入れてくれた。


「盗み聞きって、人聞きが悪いなあ。たまたま聞こえてきたんだから仕方ないでしょ。で? おれが誰に振られたって?」

「ふん。ノアお姉さんに決まってるでしょ。他に誰がいるの?」

「何言ってるんだ、ヴァレリー。おれはノアに見向きもされていないだけで、まだ振られたわけじゃない」

「それは振られているのと同義なのではないかしら……」


 たしかにセヴランの口説き文句を面白がって放置している節があるのは事実だが。

 ノアは嘆息するが、セヴランは聞こえていないふりを決め込んだ。煩わし気に彼は一つくくりの赤髪を解き、頭を掻く。


「ああ、そうだ、おばさん」


 髪紐を口で咥え、両手で髪をまとめ直しながら、セヴランが村長の奥さんに声をかける。


「あの裏の畑の新しい堆肥入れだけどさ、ちょっと場所が悪いかも。あのままだと雨期に腐臭で酷いことになるよ」

「おばさんではなくモルガーヌ義姉さんとお呼び。教えてくれたのはありがとう、明日にでも場所を移しておくわね」

「うん、それと、このあとノアと調べ物するから、家の書室を貸して欲しいな」

「はいはい、好きにお使いなさい」

「だって、ノア。良かったね」

「……そうね」


 あまりに鮮やかなセヴランの手腕に、ノアは頷くことしかできない。

 改めてノアが村長の奥さんに礼を告げると、彼女は「いいのよお」と朗らかに笑った。


「でもその前に、昼食はきちんと取っていきなさいね」


 そう言って奥さんは、ノアとセヴランの前に昼食を並べた。弁当として準備したものを、わざわざお皿に移し替えてくれたらしい。手間をかけさせてしまった、とノアがまた恐縮しながら礼を告げると、奥さんはいよいよ困ったように笑う。


「本当に良いのよ、これくらい。むしろわたしこそ、皇都のお料理と比べたら粗末なものばかりで、ごめんなさいね」

「そんな……それこそ杞憂よ。奥さんの弁当は本当に美味しいもの」

「あらやだ。奥さんだなんて他人行儀な呼び方はやめて。モルガーヌと呼んでくれていいのよ」

「……モルガーヌさんの料理は本当に美味しいわ。毎日これを食べられるひとが羨ましいくらい」

「まあ! ノアちゃんたら口がお上手ね!」


 モルガーヌは乙女のように頬を染めて、きゃあきゃあと歓喜の声を上げる。

 その様子を静かに見ていたセヴランが、「なるほど、勉強になるね?」と口を開いた。


「ノアもおれに手料理を披露する気はない? そしたらおれ、スマートにきみを口説く口実を得られるんだけど」

「そう打診している時点でスマートではないわね」


 それに今は、隣にヴァレリーが座っている。子供の教育に悪いからヴァレリーの前では下手に口説いてこないでほしい。セヴランの口説き文句はいつもいまいち格好がつかないから、余計に。

 それはモルガーヌも同様に考えたようで、セヴランの名前を威圧的に呼んだ。軽く叱られたセヴランは道化っぽく肩を竦めてから、黙って食事を再開した。


 艶々の白米に、野菜と肉の串焼き。炒め物。素朴ながらも食材の繊細な味が楽しめる毎日の弁当。今日はそれに加えて、デザートがあるというのだから、何という贅沢な暮らしだろうとノアは思う。

 ヴァレリーも手伝ったという例のデザートの正体は、どうやら饅頭のようなものだった。


「……大きいわね」


 拳ほどの大きさの白くて丸い物体が、何らかの葉にくるまれて、小皿の上に鎮座している。皇都や辺境伯邸では見たことのない菓子だが、目の前に座るセヴランが「やった、おれこれ好き!」と喜んでいるあたり、カンファーロでは定番の甘味なのだろう。

 ヴァレリーの感想を期待する眼差しを尻目に、ノアもセヴランに倣って恐る恐るそれに齧りついた。

 生地は米粉。饅頭というよりは餅の感触に近い。中には仄かに甘い餡子が入っている。だが餡子から小豆の味はしなかった。この風味はソラマメだろうか。何とも形容しがたい独特な味だが、食べ進めるほど不思議とクセになる。面白い食べ物だ。

 気がつけばノアは、これをぺろりと平らげていた。一つ欠点を挙げるとすれば、材料が材料だけに腹持ちが良く、とてもではないがデザートと呼べるような可愛い代物ではなかったことだろうか。


「沢山作ったから、好きなだけ食べてね、ノアお姉さん!」

「……また次の食事の時にね」


 これ以上は胃が限界だ。ノアが申し訳なさそうに断る傍らで、その向かいでセヴランが嬉々とした顔で二つ目の餅に手を伸ばした。いつもは弁当を食べる姿しか見ていなかったから知らなかったが、彼の食欲は無尽蔵のようだ。人目を気にせず大口を開けて食べている様子は、不思議と不快感がなく、むしろ見ている方まで満足感が得られるほどだ。

 ノアが彼の食事を眺めているうちに、セヴランはなんと三つ目の餅を手に取った。よくその細身の体に、それだけの量が入るものだ。ノアが感心して引き続きその様子を眺めていると、半分くらいを三口程度で食したあとで、セヴランがようやくノアの視線に気が付き、気まずそうにそっぽを向いた。


「……さすがのおれも、見つめられていると食べづらいんだけど」

「あら、ごめんなさい。あなたの食べっぷりに感心していたの」

「へえ?」


 気まずそうな表情から一転、セヴランは嬉しそうにノアに向き直った。言葉こそ紡がないものの何かを雄弁に訴える彼の視線に、ノアは先の自分の迂闊な発言を後悔した。

 今ここにヴァレリーがいなければ、セヴランは今頃「それって、おれに見惚れてたってこと?」「いっぱい食べる男、きみも好きでしょ?」等と軽口を叩いていたに違いない。その様子が鮮明に脳裏に思い描かれて、ノアは自分の想像力の豊かさを恨んだ。


「……セヴラン、あなた、黙っていてもうるさいのね」

「ひどい⁉」


 ノアの嘆息にヴァレリーも同意するように頷く。それにセヴランが反応してダイニングが賑やかになる。

 その様子を背景に、モルガーヌは台所で穏やかに微笑んだ。黙っていてもうるさいなんて、結構なことではないか。彼女は皿の汚れを水で落としながら、遠い過去を回顧する。

 鈍い赤髪を持つ少年が、ダイニングテーブルの席に物静かに座っている。彼の食事はまるで意味のない単調作業のようだった。暗い灰色の瞳には仄かな諦念が浮かんでいる……

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