窮屈、露骨な創作、表現

なんだか、最近の創作や、表現は窮屈で、露骨な気がする。

全てをこと細やかに描写する。果たしてそれは本当に正しいことなのか?

例えば辛いという気持ちを表現する時だ。

ただ単に鬱。という言葉を乗っけるだけでは全く美しくない。

かといって、なぜ辛い。辛いからこのような行動をした。天気も曇り空。まぁ上げたらキリがないのだが、このように全ての心情、情景、行動を描写するのはちょっと窮屈だ。

読み手に対して自分で考える余地を与えていない。

文での表現の良い面は、イラストや映画のようなのと違い、描写されていない心情、情景を考え、楽しむことにある。

それを無くすことはお門違いである。

と、私は考える。


逆に私が理想とする表現を気になった人もいるかもしれない。

私が理想とする表現。

ジーンと辛い時、無性に人間は何かをしてしまう。

それを描写してみるというのはどうだろうか?

例えば、


「はぁ、と深く息を吐けば、抜き続けていた筈の顎鬚も、綺麗になくなっていた。」


こういうのはどうだろうか。

まぁ一部にしか過ぎないから、こうだ、というのはなかなか言いづらいと思うが。


私自身、なんだかここで泣け!みたいな表現があると萎えてしまう。

簡単に人が死ぬなど。

人が死ぬのは当たり前である。

遅かれ早かれ人は死ぬ。

それが少し早くなっただけでは泣かせようとしてくるのは少し陳腐だと思ってしまう。

露骨すぎる。


私は多くは語らないことを美学にしたい。

なぜなら私達には立派な脳があるのだから。

小説や絵や映画などの創作物を完全に楽しめるのは人間しかいない。はっきりと考え、共感することができる脳を持った私達にしかできない。

だからこそ、大衆向けのような露骨な表現や、窮屈な創作は、窮屈で陳腐だと感じてしまう。

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山田将樹 ヤマノカジ @yAMaDied

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