9月2日
昨日の日記を書いていて、外界の認識が変わったなと思いました。言葉の認識から視界の認識に変わったと思いました。
小説は文字や文章を重ねて物語を書いています。そこには意味しかなく、自分の五感も言葉で表します。人間は視覚の情報が八割を占めていると言っても、それ以外の感覚もあります。小説では忘れがちですが、音や匂いを少し書くだけでその世界の情報量が厚みを増し、読者の没入感を高めることができるので、おすすめです。
そういった感じで、自分の感覚を言語化してみたとき、あまりにも視覚の情報が細分化されていて、自分でも驚きました。
言葉は意味しか持たず、共通認識で小説は表現されています。「赤」という言葉が、色の名前であることがわかることが前提にある表現です。
今思い浮かべた赤色、何色でしたか?
よくわからないですよね。赤は赤であって、それ以外の何にもなれないのですから。ですが、赤色にも微妙な違いがあり、オレンジに近いものから紫に近い色まであります。日本語でいうと朱色や梅色、茜色、
私の視界が細分化したことによって、執筆に影響が出るのかと言われればそうではありません。小説の描写も実は絵を描くこととさほど変わらないと思います。
中学生くらいのときに西洋絵画を見て、なんで人の描写が適当なのに遠くで見ると人に見えるのか、すごく不思議だったことを覚えています。用は見せたいものがその街の風景そのものであった場合、人というのは単なる装飾品であり、細かい描写をする必要はない。ということなのかな、と今は思います。イラストとかで背景までびっしり線画描いてる人を見ると、もうちょっと手抜きにしてもいいのに、と思います。割とバレないし、そっちの方がキャラクターがよく見える場合があります。空気遠近法を使えば、割と何やってもまとまります。
絵の技法の話は置いておいて、見せたいものを見せるためには、見せたくないものを見せない努力が必要になります。イラストで背景の物をぼかす。風景画で人物をぼかす。主役じゃないけれど雰囲気には必要なものは、ありますよ程度で大丈夫なのです。
小説の描写でも、見せたいものしか見せません。よく小説の描写は感情を書かずに表現することが大事と言われれますが、私もその通りだと思います。
公園に来て子供が遊んでいる。その様子を細かく描写すれば、何か考えたくないことがある暗示になります。暗示にはなりますが、わかりにくいので主人公の心情を一文添えるといい感じになります。感情そのものや、主人公の声を描写するよりも私はこの方が好みです。
小説を執筆していると、ついつい文字数に目がいって文章のそのものの表現が一辺倒になることが多いです。私も執筆していてなんか違うと思ったときには、そういった状態になっていました。確かに心の声はあるけれど、それ以外に無意識的に見ている物、聞こえた音、感覚、匂いなどから主人公を表現することが大切になります。
見ている世界というものは人によって微妙に違いがあり、今日の日記の冒頭で書いたように、私は視覚が細分化されたと認識しました。それはそれで、執筆はアニメの絵コンテや漫画のネームのような考え方です。主人公に必要のある描写だけをしっかり描写する。これだけで、執筆が楽しくなります。みなさんもぜひ試してみてくださいね。
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