第38話 小さきものたち

「楽しかったねぇ」

 マデスリングの一回戦を終え、席に戻った乙盗が、樹脂製の背もたれに寄りかかって、はぁっ、と満足そうな溜息を吐く。

「あー、そうだなー」

 千色は適当に返事をしつつ、泥塗どろまみれで椅子にくっついている乙盗を引っぺがし、教え子たちのクリーニングとドライを行っている森野と水川のもとへ押していく。


「たのちかった、たのちかった」

「はいはい」

 乙盗が勝手に幼児化してふらふら遊びに行こうとするので、千色は乙盗を引っ張る格好になりながら、客席の階段を上がる。――重い。

 しかし、乙盗を泥塗れのままで放置などしておけば、しっかりと悪意を持って、汚してはいけない所を汚すに違いないので、仕方ない。


 ――ちなみに、千色はこの一回戦に関して、楽しいとは思わなかったが、らくではあったと感じた。

 トーナメント一回戦の対戦相手は、芸術専攻科クラスの一年オー組だった。

 ――そのO組が、試合開始と同時に光と音と香りのショーを始め、一滴も水を運ぼうとしなかったので、C組は誰にも邪魔されず、魔法や道具を使って水を運び、浄化していくだけだった。――いや、わざわざ泥水を浄化して高得点を狙う必要もなかった。


 O組のショーの中で、ただプレーしているだけのC組が勝手に『働きバチ』の役にさせられていたことはむかつくが、勝ちは勝ちだ。

 それに、一回戦で魔法防衛学科クラスと当たるとなれば、無謀むぼうな戦いに挑むよりも、自分たちの得意なことを精一杯やる方が良いと思う考えも理解できる。体育祭を盛り上げてくれたO組のためにも、二回戦以降、無様ぶざまな姿を見せるわけにはいかない。


 ――その二回戦は、魔法防衛学科や総合研究学科にぐ強敵とされる、医療スポーツ学科のイー組との対戦だ。

 医療スポーツ学科クラスは、医療や魔法医療の道を目指す生徒と、スポーツ選手を目指す生徒で構成されるクラスである。クラスの全員が、知力、魔力、体力のいずれかまたは全てにおいて、プロを目指しているクラスだけあって、やはり強敵である。

 E組は、一回戦で当たった国際言語学科クラスのエム組――派手な魔法を使う者が多いそのクラスを、冷静な策略と確実な力によってこてんぱんにしていた。魔法防衛学科ではないからといって、決して舐めてかかってはいけない相手だ。


 千色は森野に服と身体を綺麗きれいにしてもらったあと、男子用の簡易個室から出ながら、始まったばかりの二回戦の様子をうかがう。

 いま戦っているのは、一年生でトップを争う実力を持つと言われる二クラス、魔法防衛学科のエー組と、総合研究学科のピー組だ。


 より座学の多いP組の方が、わずかに火力が弱い――かと思いきやそんなこともなく、A組とP組は、決勝戦レベルの激戦を見せている。

 トーナメントの組み合わせにより、C組がA組またはP組と戦うとすれば、その舞台は決勝戦となる。C組は、そこまで辿たどけるのか――。

 そんな千色の思考は、予告のない事件によってさえぎられた。


 どっ。


 ちっぽけな人間を嘲笑あざわらい、転がす大震動。

 少し遅れて、大量の悲鳴と歓声が半分ずつじり合う。

 二つの劇音げきおんは、スタジアムをまずは下から、次に上から、力加減を知らない無邪気むじゃきな巨人の子供が、巨大な木槌きづちで思い切り打ったときのそれのようであった。


 ――千色は。

 魔法防衛部隊員を目指す千色は、声を上げることも、動くこともできなかった。

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