第37話 英才教育

「E18の30、E18の30……」

 千色は母親から聞いた席番を繰り返し呟きながら、龍郎と乙盗を引き連れて、弁当や屋台料理の香りがにぎやかな客席を練り歩く。

 ――防魔高校にも、一学年で体育祭ができる程度の運動場はある。それにもかかわらず、わざわざ外部のスタジアムを借りている理由は、防魔高校の体育祭には毎年、多くの観客が訪れるからだ。


 防魔高校の体育祭はあくまでも学校内部のイベントであるため、一般公開はしておらず、メディアによる取材も基本的には受け付けていない。しかし、国内一見応みごたえがあると言われるこの体育祭には、体育祭に出場する学年の生徒たちの保護者だけでなく、その保護者の紹介を受けた親戚や知人も集まるし、別の学年の在校生や卒業生たちも好んで観戦に来る。

 もともと生徒数の多い防魔高校の生徒たちと観客を全員収容するには、この規模のスタジアムが必要なのである。


「お、いたいた」

 千色が手を振ると、数メートル先の席できょろきょろしていた母・緋南ひなみも気付いて、手を振り返してくる。

 千色は、目配めくばせと身振り手振りで緋南と示し合わせると、乙盗と龍郎を連れて、競技場と客席をへだてるフェンスのそば、広い通路まで下りる。千色の案内で、緋南と乙盗と龍郎が、手を伸ばせばれるほどの距離に近付くと――。


「うちの千色がお世話になってますー」

「こちらこそぉ」

「お世話になっています」

 ぺこぺこと頭を下げて挨拶を始める。


 数か月ぶりに会った母の前で少しもぞもぞしつつ、千色は、家族以外に向けられた彼女の顔を横目で見る――。

「ええと、背が高くてムキムキで仏頂面ぶっちょうづらほうが龍郎君で、背が低くてまるっこくて眼鏡の方が乙盗君ね」

 緋南は、龍郎と乙盗に順番に笑いかけながら、指差し確認をする。


 ――確かにそう伝えはしたが。

 いつ何時なんどきでも変わらずぼけっとしている母に、千色は文字通り頭を抱える。

 ――千色が実家を離れて寮生活を始めた理由の一つは、母の突っ込み役からのがれられると思ったからだ。それなのに、新たなボケが二人もひっついてきて――。


「うちの千色、ちゃんとやってる? お野菜のこしてない? 夜更よふかししてない?」

『ちゃんとやってる』の基準が『野菜を残さない』と『夜更かしをしない』って、小学生かよ。――そう思ったが、その程度のことでいちいち突っ込んでいてはきりがないことを、千色はよく、よーく知っている。

 龍、おとちん、悪いが、適当に付き合ってやってくれ。

 ――という意味を込めて二人に送った視線は、龍郎の右こめかみから乙盗の左こめかみへ抜けて、青と白の虚空こくうへ散った。


 乙盗と龍郎は気を付けをして立ち、緋南の目をぐに見て、発表する。

「ちい君は、いつもニンジンを残して、ぼくたちに押し付けます」

「千色は毎日、深夜一時まで、スマホでメッセージを送ってきます」

 そして、目配せと頷きと小声で「「せーの」」と息を合わせて。

「「メーワクです」」


「絶妙にリアリティのあるうそくな!」

 千色は確かにニンジン、特に大きなかたまりで加熱してあるものが苦手だが、食べられないほどではないし、深夜の一時まで起きていることもあるが、それは毎週土曜日の夜、龍郎と乙盗と三人でゲームをする日だけと決めている。


 しかし、緋南は何を勘違かんちがいしたか、心底愉快ゆかいそうに腹を抱えて笑う。

「はあ、面白い! あっはっは!」

 そしてそれが何故か、乙盗と龍郎にも伝播でんぱする。

「あっはっはぁ!」

「はっはっは!」

 ――龍、こええから無表情で笑うな。


 そこへ、アナウンスの開始を知らせるチャイムが、円形のスタジアム内にゆっくりと反響し始め、千色は安堵あんどする。

 救世主だ。

『――現在の時刻は、十二時五十分です。十三時から午後の競技が開始となりますので、出場する生徒の皆さんは自席に戻り、各クラスの体育祭運営委員は点呼をしてください。そのかかりの皆さんは、受け持ちの場所についてください。保護者・関係者の皆様も客席に戻り、応援の準備をお願いします――』


「じゃあお母さん、俺たち準備があるから戻るよ!」

 緋南たちはまだ大声で笑っているので、千色がそれを上回る大声で言うと、緋南は笑いすぎてにじんだ涙を拭いて、ひいひい言いながら千色に向き直る。


 ――マジで何がそんなに面白いんだ。

 と思いきや、緋南はきゅっと眉をハの字にして、心配顔をする。

 ――何だよ。寂しいから帰ってきてほしいだの、私を置いていかないでだの、感情的なのはやめてくれよ。

 千色は内心で祈ってしまったが、それは全く見当違いの祈りであった。


「ねえ、次は『バラデスラング流血騒ぎ』なんでしょ。だから、はい、これ」

 千色は、母親が差し出してきた小さな紙を受け取り、折り畳んであったそれを開く。


 119


 眩しいほどに白いその紙には、黄色の細いボールペンで小さくそう書いてあった。


「これはね、危ないときに、みんなを助けてくれる魔法の呪文なの」

 緋南は紙を指差しながら、穏やかに微笑む。

「大丈夫よ。魔法が苦手な千色でも、電話のボタンでこの数字を押せば、助けてもらえるから」

 …………。

「わざわざ、しかも高校の体育祭で流血騒ぎなんかするわけないでしょ⁉ んで特別なお守りみたいな感じで渡してきたけど、これ魔法でも呪文でもなくて、救急車呼ぶ電話番号だから! 魔法防衛学科なんだしそんくらい知ってるから! で怪我を心配する相手に渡しても、救急車呼ぶくらいの怪我してたら自分で電話するの難しいと思うけど⁉ しかも白い紙に黄色のほっそいボールペンでこんなちっさく書いてあっても見づらいから! あと『魔法が苦手な千色』って、おれ防魔高校かってるし、少なくとも一般的には『苦手』な方ではないんだ!」


 我慢しかねて全て言ってしまった後で、千色は後悔する。何故なら――。

「あっはっは! まあ、大丈夫よ! じゃあ頑張ってね!」

 緋南はまた爆笑しながら千色の背中をべちんべちんと叩き、来賓席らいひんせきの方へと送り出す。

 ――ほら、意味ない。


 昼休憩が始まる前の何倍も疲れた千色は、まだ緋南と一緒に笑っている乙盗と龍郎の首根っこを掴み、自分たちのクラスの席へと向かう。

 何はともあれ――。

 試合、開始だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る