10.バス・ファイト(全2話)

第29話 悪質ないたずら

 防魔高校の学生寮には、各館にあるシャワー室の他に、四館ほどの寮生たちが共同で利用する大浴場がある。

 大浴場は、ハードな授業や部活動で疲れ切った、そして実家を離れて少し寂しい寮生たちの、いこいの場である。

 千色、龍郎、乙盗の三人も、忙しいときはシャワーで済ませることもあるが、時にはわいわいと大浴場へ行って、ゆっくりと風呂にかるのであった。


「見てぇ」

 脱衣所に入ったときには既に全裸になっていた乙盗が、両手を広げて千色と龍郎の前にふさがる。

「見ねえよ。脱いだ服片付かたづけろ」

 千色は速度を緩めず、乙盗が床に脱ぎ捨てた服をまたぎ、乙盗の腕の下をくぐって、脱衣所の壁や中央にてつけられた棚に、いている脱衣かごを探しにいく――。


「おい、ここ空いてんぞ」

 大浴場は複数の館の寮生たちが集まるほか、各館のシャワー室とは違って、夕方の五時から深夜の〇時までという利用時間制限があるので、今日も混んでいる。千色はやっと見つけた縦並び三つの脱衣かごに、腕時計やら手提てさぶくろやらを投げ込んでキープしながら、龍郎と乙盗を呼ぶが――。


「……何してんだ」

 龍郎はさっきの場所で直立し、乙盗の全裸を鑑賞している。

 変わった生徒が多い――というか変わった生徒しかいないこの学校では珍しい光景ではないので、外と脱衣所を出入りする他の男子生徒たちは見向きもせずに通り過ぎるか、「おう龍郎」とか「おう乙盗」とかフレンドリーな挨拶までして通っていく。

 ――しかし、やはり通行の邪魔じゃまにはなっている。


「龍! おとちん! 後でやれ! 来い!」

 千色が簡潔に命令すると、龍郎は素直に、乙盗は渋々しぶしぶ、こちらに歩いてくるが――。

「服も一緒に来い!」

 怒られた乙盗は、さも千色の方がおかしいかのように大きな溜息ためいきき、千色をにらんで、どすどすと足を踏み鳴らしながら、脱衣所の出入り口に放置してきた服を取りに戻る。

 まったく、まだ浴室にも入っていないのに、騒がしいことである。

 ――つまり、浴室に入れば、更に騒がしいのである。


「ねえねえ、ちい君」

 下を向いて髪を洗う千色の肩を、誰かの指がつんつんとつつく。

「……何だよ」

 千色は、片目を開けて横を見る。

 ――千色の左のシャワーで身体を洗っているはずの乙盗は、風呂椅子に座っているだけで何故か一滴も水に濡れておらず、そして何故か、この大浴場の備品のシャンプーのボトルを手に持ち、細い裸眼でそれをじっと観察している。


「このボトルさ、中が見えないじゃん」

 乙盗の言う通り、備品のシャンプーやボディソープのボトルは不透明で、中身は見えない。

「……だから何だよ」

 千色はシャワーヘッドを取りつつ、悔しいが乙盗の話が気になるので、まだ湯は出さずに静かにしておく。

「中にシャンプーじゃないものが混ざってても、誰も気付かないよね」

「やめろよ⁉」

 今時、過激な迷惑行為など流行はやりもしない。

 ――しかし、千色はいつも、自分の気に入っているシャンプーを持ち込んで使っている。乙盗が備品のシャンプーに何をしようが、被害者にはならないだろう。


 千色はやれやれとあきれた溜息を吐いて、頭のシャンプーを流し始める。

「ぼくさ、この前、ドクミ君と一緒に魔法薬学の実験したの」

 千色は頭を流しつつ、お前も早く洗えよと思いながら、「ふーん」と返事をしておく。

「ほら、ぼく、今度の実技小テストで、ドクミ君とペアだからさ」

 ――千色は正直、魔法薬学が得意なヤクとペアを組めた乙盗がうらやましい。

 一方で千色のペアとなったのは、温戸おんとれいである。彼女も科学系の授業は得意だし、千色は女子とでも気兼きがねなく話せるタイプだが、彼はどうしたって、男子高校生なのだ。女子と二人きりという状況には緊張する。


 ……待てよ?

 千色は頭を流しながら、内心で首を傾げる。

 乙盗は何故、今、魔法薬学の実験の話をしたんだ……?


「ねえ、ちい君」

 その声に、千色はシャワーを出したまま、硬直する。

「この一週間の間に、自分のシャンプーセットから目を離した時間があったよね」

 ――ある。

 貴重品でもないのだから身近に置いている時間の方が少ないし、げんに今、千色は下を向いて頭を洗っているせいで、自前のシャンプーやボディソープを見ることができていない。

 ――まさか。


「お前……!」

 千色は泡と湯の混ざった水滴を縦に振り飛ばしながら、顔を上げる。

「乙盗、貴様……!」

 しかし乙盗は、眠り猫のような笑顔で、千色のシャンプーボトルに手を伸ばし――。

「ちい君のシャンプー、ちょっとちょうだぁい。ありがとぉう」

 千色はうんと言っていないのに、乙盗は勝手に千色のシャンプーを適量てきりょう手に取ると、それを鼻に持っていってすんすんと匂いをぎ、「ちい君のにおい、いいにおーい」と、勝手に喜んでいたかと思いきや、千色が洗顔用にと洗面器にめておいた湯に、まだ濡らしてもいなかった癖毛くせげの頭をダイブさせ、それから、盗んだシャンプーでわしわしと頭を洗い始める。


「ったくよ……」

 防魔高校での一日を過ごして疲れている千色は更に疲れて、シャワーを再開する。

 本当に、乙盗という奴は。静かに過ごしている龍郎を見習ってほし

「冷たぁ⁉」

 不意に右側から襲った鋭い冷感に、千色は反射的に退きながら、冷たいものが飛んできた方にシャワーを向ける。


「あっつ⁉」

 聞いたこともない声に、千色がわれかえると――。

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