第28話 メンタルショック

「ふぁー」

 面白かった。

 千色は、映画に没頭ぼっとうした後の心地良い満足感と疲労感にひたりながら、シアター外の廊下を歩く。足元に広がる毛足の長い絨毯じゅうたんは、このまま寝転がってしまいたいほどに柔らかくて、温かそうで。


「ゾンビさんのおつゆ、おいしそうだったねぇ」

 今なら乙盗の奇妙な感想も全然にならない。

 海外制作の映画だが、コメディのノリについていけたし、映像もストーリーもダイナミックで、そして何より、ゾンビ討伐軍の制服やゾンビの特殊メイクのクオリティが――。


「ああ、良かったなぁ」

 千色の、ほとんど独り言のつもりの感想に、乙盗の「うん!」という元気な返事は返ってきたが――。


「あれ? 龍は?」

 てっきり千色は、三人横並よこならびで歩いているものと思っていたのだが、龍郎の姿だけが見えない。


「ここにいる」

「んぎゃーーーーーーーーーーーーー!」

 背後を振り返り、自分と乙盗の段違だんちがいの肩越かたごしに覗いた顔を見た千色は、漫画並みに分かりやすい悲鳴を上げて退く。


「りゅ、龍……」

 ずっと後ろからついてきていたらしい龍郎の顔は――ゾンビ色をしている。

「酔った⁉」

 焦る千色をよそに、乙盗は「そうなのよぉ」とへらへら笑っているし、何故かとうの龍郎も、「酔った」と言いながら胸を張っている。


「酔いやすいなら先に言えよ! そしたら、普通の2Dツーディー上映にしたのに!」

 だが、千色が『はみ出る3D!』上映に誘ったとき、もっとも乗り気だったのは龍郎なのだ。


「あらあら、ちい君」

 困惑する千色に、乙盗が何故か偉そうな奥様口調で口を挟む。

「りゅーりゅーが酔ったのは、3D映像と『はみ出る3D!』だけじゃないのよ」

 うふふんと笑う乙盗に続いて、龍郎は、「大画面で動く映像とホラーもダメだ。それと、映画館の独特の匂い、閉鎖的な空間、人の多さ、甘みの強い飲み物、スナック菓子の油分も酔いを加速させる」と、やはり何故か胸を張って言う。


「映画館に不向きすぎる!」

 千色は再び、頭を抱える。

 ――今度は、龍郎に対してだけでなく、自分のいたらなさに対してもだ。

 龍郎は今日の映画を楽しみにしていてくれたのだと思っていたが、無理をして千色に合わせていただけだったのか――。


「ごめんな、龍……」

 龍郎はド田舎出身の、パッションでスマートフォンを使うようなスーパー天然素材人間なのだ。いきなり都会の映画館に連れ出されて平気でいられると思う方がおかしかった。


「なぜ謝る」

 龍郎の手が千色の肩に置かれるが、その手はあせでじんわりと湿っているし、小刻こきざみに震えているし、顔はやはりゾンビ色だし、両目は吐き気にうるみきっている。それなのに何故か龍郎は、プロの舞台役者かの如く堂々と歩きながら、話し続ける。

「実際の現場では、もっと揺れの激しい乗り物に搭乗とうじょうする。要救助者が大怪我をしていたり、ご遺体が傷ついていたりするかもしれない。要救助者が映画館にいるかもしれない。行動中に手に入る食糧しょくりょうがコーラとポップコーンしかないかもしれない」


 ――そういえば。

 龍郎が千色についてきた理由、って――。

「……映画鑑賞を訓練にしないで⁉」

 そう、龍郎は「いい訓練になりそうだ」などと言って、この映画館にやって来た。それを千色は、いつもの龍郎の脳筋発言だと思って――というか実際に脳筋発言ではあるのだが――スルーしてしまったのだ。

「あと、要救助者が映画館にいるかもしれない、ってとこまではまだしも、行動中に手に入る食糧がコーラとポップコーンしかないってことはまずないと思うけど⁉ んでドラゴンならどこの生水なまみずでも雑草でも食えるだろ⁉」


 しかし龍郎はゾンビ顔のまま、やれやれと首を振る。

 ――ゾンビフェイスの分際ぶんざいで何がやれやれだ。

「魔法防衛部隊隊員が人質ひとじちとして捕まった時には、泥水も雑草もない部屋で、吐き気をもよおすほどの量のコーラとポップコーンしか与えられないかもしれない」

「んな太りそうな方面で不健康な人質がいてたまるか!」

 人質を取った側の人間たちが、人質のためにせっせとコーラを買い出しに行き、大量のコーンをぱちぽこ言わせながらポップコーンにして丁寧に塩を振っているとしたら、それはもう新手の拷問か、もしくは栄養面の知識だけが欠如けつじょした平和な世界だ。


「それに、ドラゴンは納嶋の白菜はくさいとりんごが好きだ」

「地元を愛するのは結構だけど行動中にドラゴンがごのみしないで⁉」

 ――しかし、この天然素材と言い合っていても仕方ない。


 ということで、千色たちは、映画館と同じ最上階にあるカフェのテラス席で休憩を取ることにしたが、休憩になったのは、『さっぱりアイスピーチティー』を気に入った龍郎と、『三種の桃ポンチ』がおいしかった乙盗だけで、二人の自由人を引率いんそつする千色は『夏の白桃シャーベット』をちびちび削りながら、余計に疲労を重ねていた。




 おまけ:第12話で龍郎が瀬界楓君に送ったテキストメッセージ


『あぁたたたたてmo らあふらたなあぞはひなたたあ』

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