第27話 テクノロジーショック

「龍のやつ、どこ行った……」

 映画の上映開始前に三人でトイレに行った千色たちだが、龍郎だけが、待ち合わせ場所のロビーのベンチに戻ってこない。


 千色たちは誰も個室に入っていないし、千色は三人ともほぼ同じタイミングで用を済ませたと思っていたのだが、一瞬はなした隙に、龍郎が単独行動を始めたらしい。気付けば龍郎は、トイレにも、トイレの外にもいなかった。

 三人が使ったのは規模の大きい映画館内のトイレなので、男子トイレと女子トイレそれぞれに出入口が二つあった。龍郎は恐らく、間違った出口から出てしまったのだと思われたが――。


「出ねえなあ……」

 何度電話をかけても、龍郎は出ない。自分がはぐれたと思ったら、スマートフォンを気にするのが当然だと千色は思うが――。

「りゅーりゅー、スマホデビュー三か月めだからね」

 千色の隣に座る乙盗が、ピースをするかのごとく、短い指を三本立てる。


「あ、やっぱり……」

 千色も、薄々どころか、特濃で感じていたが。

 龍郎は全くもって、スマートフォンを使いこなせていない。

 スマートフォンは高校生から、というのは、家庭によってはおかしいことでも何でもないが――。


「でも、それにしても、だろ」

 千色の言葉に、乙盗は「そうだねえ」などと適当に答えながら、ベンチに手をついて高い天井をあおぐ。――お前も龍郎と連絡を取る努力をしろ。


 ――しかし、龍郎のスマートフォンスキルについては、それにしても、なのだ。

 この間など、龍郎が、千色にテキストチャットを送ってきたかと思えば。


『ななかとかかかつしあしやあかか、のじの、と』


 それに対し、困惑した千色が『何?』と返信すると。


『あささたかいまおのあした』


 必死に考えた千色が『明日の朝? 宿題の確認?』と返信すると。


『ままままままさたまえも』


 結局そこでは解読できず、千色が次に龍郎に会ったときにいてみると、「『ノート、靴下、シャーペンの芯』、『明日買うもの』、『メモした』と送った」との答えが返ってきた。

 ――フリック入力も変換も削除もできないくせにチャットを買い物メモにする高度なやつをやるな。


 そして千色は、龍郎がスマートフォンで電話を受信した場面を目撃したこともあるが、そのさい龍郎は、画面上の、発信者の名前ではなく、応答のマークと拒否のマークをじっと見つめながら、着信音が鳴り止むまで硬直していた。

 龍郎はまだ、電話の応答マークと拒否マークの意味も分かっていないのだ。


 ――これに関して何が一番こまるかというと、龍郎に、自分がスマートフォンを使いこなせていない自覚がないことだ。

 本人に自覚があれば、使い方を誰かに教わるなり、自分で色々と触りながら練習するなりするはずなのだが、龍郎は、いかにも現代っ子ですよという顔でましておきながら、中身は先述せんじゅつの通りなのである。


 普通の学校生活や寮生活では、いつでも顔を合わせて話せることもあってか、今までは恐らく奇跡的に、大した問題が発生していなかった。しかし、こうして慣れない場所に来てみると、非常に困る。


「どこだよクソドラ……」

 千色はさっきから、電話だけでなくテキストチャットも繰り返し送っているが、既読きどくの一つすら付かない。――それもそう。龍郎はこの三か月間で合計五回も、「勝手に連絡先が消えた」と言って、千色や乙盗の連絡先を登録し直しているのだ。もちろん千色と乙盗のサポート付きで。

 今だって、千色の送ったものが龍郎に届いている保証などない。


「ったく……」

 千色は待ちすぎてしびれた腰を上げ、ベンチから立ち上がる。龍郎のマイペースぶりには慣れてきたつもりだが、映画の上映時間が迫っている。

 千色たちと同じようにロビーで待機し、談笑していた他の客たちの一部は、少しずつシアターの方へと流れ始めている。

 走り回って探して、それでも見付からなければ、迷子センターにでもすがろうか――。


「テレパシー魔法を試してみようか?」

 そう言ったのは、乙盗である。

 その乙盗は立ち上がりもせず、千色の方を見もせず、天井を眺めている。

「マジ? おとちんできんの?」

 できるなら最初からやれよ、と千色は思ったが――。

「ちい君のテレパシー魔力の量と質次第しだいだね」

 ――だよな。


「はい、チューチューするよー」

 乙盗は呑気のんきに歌いながら魔力盗み魔法を発動し、既に諦めかけている千色のテレパシー魔力を全て吸い上げるが――。

 千色には、手の小指の爪をちょっと切った、程度の喪失感しかない。

 千色は日頃から、授業や個人でテレパシー魔法のトレーニングをしているが、やはり、素質そしつのあるシエラ・テレーパのようにはいかないのだ。


「まったく、量も少ないし、質も悪いねぇ……。それに比べてシエラちゃんは……」

 乙盗はぶつぶつ文句を言ったうえ、シエラ・テレーパと千色を比べながら、体内でテレパシーの魔力を増幅させ――。


「んガフ」

 立派なゲップをしてから、黙って引き続き天井を眺め続ける。

「……で?」

 他人の力に頼った千色であるが、たっぷり文句も言われたので、多少は期待させてほしい。

 乙盗は、くるんと千色の方を向いて――。


「ちい君のテレパシー魔力はぜんぶゲップになったよ」

「あ、そう……」

 乙盗が魔力を盗んで上手く使うには、盗まれる対象の魔力の量や熟練度が十分であることに加え、乙盗がその相手の、特定の魔力を使い慣れていることも必要となる。そのいずれもが欠けていた今回、上手くいかなかったのは当然のことである。


「これはぜんぶ、ちい君がちゃんとテレパシー魔法を練習してなかったせいだよ」

 乙盗は千色をぐに見上げたまま、全てを千色のせいにする。

「るせえ!」

 せっかく、今回は仕方ないと思っていたのに、こいつは余計なことを。

 だが今は、怒っている暇などない。龍郎を探さなければ――。


 それなのに乙盗が、歩き出そうとした千色のシャツをむんずと掴んで止める。

「大丈夫だよぉ」

 ぶちぶちと、糸が数本れる音がする。――この場面でその握力は絶対にいらねえだろ。

「りゅーりゅーはさ、約束はちゃんと守る子だもん」

 まともに連絡を取ろうともしなかったくせに、一仕事ひとしごと終えたかのように伸びをしてベンチに寝転がる乙盗に、千色は殺意すら覚える。

 本当にこいつは、無責任にべらべら喋るだけで――。


「そろそろ行くか」

 その声は。

「ドラゴン!!」

 いつの間にか背後に立っていた龍郎に掴みかかる千色をよそに、乙盗はベンチに寝転がったまま、「ちい君はりゅーりゅーが大好きなんだねぇ」などとほざいている。

 龍郎も龍郎で、千色に耳を引っ張られ、頬を潰されながらも「何だ、急に甘えて。寂しかったのか」などとのたまっている。


ちげえよ! お前が待ち合わせ場所に来ねえからだよ! 何百回も連絡したのに!」

 千色は龍郎のむなぐらを掴んでさぶるが、龍郎の体幹たいかんが強すぎて、逆に千色が揺さぶられる。


「映画館では携帯電話の電源を切るのがマナーだろ」

 目の前で揺れる千色を目で追いながら、龍郎は当然だと言わんばかりの顔をする。

「上映中だけでいいんだよ!」

 電話の取り方は知らないくせに、なんで電源の切り方は知ってんだよ!

「待ち合わせ場所かってたんならさっさと来い!」

「上映開始時間はまだだろ。さっさとする必要はない」

「トイレ出たらここ集合っつったろ! 連絡も取れないくせにフラフラどっか行くんじゃねえ!」

 ――それからも散々鬱憤うっぷんをぶちまけてすっきりした千色は、目を回しつつ、ベンチにどっかりと腰を下ろす。


「……どこ行ってたんだよ」

 重たい匂いのするカーペットに向かって呟く千色の横で、乙盗が「ちい君、りゅーりゅーのこと心配してたんだって」と余計な補足ほそくをする。

 してねえし! と言いたいところだが、噛み付く時間も体力も無駄だ。今は龍郎の話を聞きたい。


「トイレを出ようとしたら、おじいさんが、スマホの使い方が分からずに困っているようだったから、声をかけて教えていた」

 お前程度ていどのスマホスキルの者が、訊かれてもいないのにスマホの使い方を他人に教えるな。おじいさん可哀かわいそうだぞ。


「メッセージは心を込めて送れば伝わるし、届いたものは言語解読魔法を使えば大体の意味が分かると言っておいた」

 精神論で片付けちゃったよ。

 ――そして、確かに龍郎は言語解読魔法の実技授業で、言ノ葉ことのはほつるぐ好成績を残していたが、携帯電話というのはそもそも、テレパシーや言語解読などのコミュニケーション系の魔法が苦手な人でも、簡単に他人と連絡が取れるようになれば、という思いのもとに開発されたものだ。


「そうしたら、一緒に来ている老人会のみんなにも教えてほしいと言われたから、教えに行っていた」

 たった今、可哀そうなおじいさんとおばあさんが量産されたよ。


「とても感謝された」

 運悪く間違ったまま上手くいっちゃったよ。


「うちの孫を嫁にどうかと言われた」

 若くて純粋な龍郎がおじいさんとおばあさんたちに気に入られるのには納得できてしまうんだよ。


 本日何度目か分からないが頭を抱えた千色に、龍郎は「もちろん結婚の話は断った。俺はまだ婚姻できる年齢に達していない」と、論点がずれているどころか、論点が銀河の果てに飛んでいった話をしている。


 ――もう、いいや。

「……二人とも、映画、行くぞ……」

 映画の内容はわりと強烈そうだったし、今回は『はみ出る3D!』の上映だ。観れば色々なことを忘れられるに違いない。

 ふらふらと入場ゲートへ向かう千色の後ろで、乙盗と龍郎は「おじいちゃんおばあちゃん、喜んでくれてよかったねぇ」、「ああ」と、仲良くのんびり呑気のんきに喋っていた。

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