第25話 祈りよ届け

「……はあ」

 目を開けた千色は、溜息をひとつくと、とぼとぼと自分の部屋に戻る。

 ――そう、ここには、千色の部屋がある。


 乙盗がぶっぱなしたミックス魔力増幅カオティック光線の中には、彼が授業で盗み慣れている治島直の修復魔法や、我内われない壁春かべはるの防護壁魔法、雨盛日照の雨降あめふり魔法も混ざっていたためか、寮はほどよく古びたいつもの状態のままで、火も消えている。


 そして、千色にも怪我はない。

 また、彼の変身解除魔法が光線の中に混ざって発射されていたので、ピンクのふりふりネグリジェも、ウサちゃんスリッパも、三つ編みの長髪もなくなり、千色はいつもの部屋着姿に戻っている。

 寮の外の通路で転げ回っていた乙盗も、龍郎の魔力を使い切って人間に戻った後で、寮生たちの飛行の魔力か何かを使ってベッドに入ったらしい。


 ――まだ一年生の一学期なのに、このような寝魔法暴走事件は既に十二回目だ。明日の朝には寮母りょうぼ三頓みとん芙代子ふよこや副担任の水川みずかわ湖織こおりに叱られることが決定しているが、それももう慣れたものだ。


よ……」

 窓を閉めた千色は、そのままベッドに飛び込んで目を閉じる。一晩ひとばん寝れば、奪われた魔力はほぼ回復するし、明日も早い。

 照明のスイッチの下に落ちていたはずの目覚まし時計は、ヘッドボードの上に戻っていた。恐らく、同じクラスの引寄ひきよせ夜火丸よびまるの移動魔法も、さっきの光線で発射されていたおかげだろう。


 引寄――?

 何となく違和感を覚えた千色は、ベッドに仰向あおむけになったまま目を開ける。

 見えるのは、光の当たらない場所で真っ黒に染まっている天井だけだが――。


 どん、ごとっ。ぼごごっ。


 寮生全員の魔力が吸い尽くされたはずの寮で、千色の上の引寄の部屋だけが、騒がしい。


 どがっ。ごんっ。ばんばんばんっ。


 何か物が当たるような音に加えて、床を叩いているような音まで聞こえてくる。


 ――客でも呼んで、騒いでいるのか?

 引寄は陽気な少年なので、そう考えられないこともないが、これまでに千色は、引寄が夜更よふかしをしているのを見たことがない。それに、そもそも、日中に頭と身体と魔力を使いまくる防魔高校魔法防衛学科の生徒には、夜に眠らず起きていることなど不可能だ。


 それなのに、上の部屋の騒ぎは収まらない。

 それどころか、音は大きく、激しくなっていく。


 がつんっ!

 がらがらがらがら!

 ばんっ! ばんっ!

 がりがりがりがりっ!


 ――ここでの生活に慣れた千色でも、流石さすがにこれでは眠れない。

 それに、引寄の部屋から聞こえる音には、何か冷たいものが背筋せすじをなぞるような響きが含まれているような気もする。


 ――あいつ、もしかして――。

 不意に嫌な予感が脳裏のうりよぎった千色は、急いでヘッドボードのスマートフォンを手に取って、引寄に電話をかけるが――。


 ――引寄が何か危ない目にっているとしたら、連絡を取ろうとするのは逆効果かもしれない。

 着信音を鳴らしてしまってからそのことに気付いた千色は、慌てて電話を切ろうとするが、受話口じゅわぐちを耳から離したその瞬間、『はいはぁーい?』という、眠たそうな引寄の声が、いつもよりざらついた音声となって千色の耳に届く。


 ――ひとまず危険な状態にはなさそうなので、千色はほっと胸を撫で下ろしつつ、スマートフォンを耳に当て直して、取り敢えず深夜に電話をかけたことを謝っておく。

「マジでごめん、夜火丸。寝てた、のか?」

 最初の応答の声からして寝起ねおきだろうとは思っていたが、引寄は『うん、寝てたぁ』と、引き続き眠そうな声で答える。


『なんかあったの? 千色君』

 それから少し目が覚めてきたらしい引寄は、きょとんとした調子で千色にたずねてくる。さっきの寝魔法暴走騒動には気付いていなかったようだ。しかし――。

『千色君?』


 どんどんどんっ!

 ずずずずず……!


 引寄は起きているはずなのに、上の部屋から聞こえる音が鳴り止まない。

「夜火丸、お前、移動魔法の練習でもしてんのか……?」

 そうであってくれ。頼む。千色はそう、誰かに祈るが――。

『ううん、してないよ』

 あっさりと、その祈りは横からぷたつに折られる。


『なんで? うるさかった?』

 引寄は他愛たわいない話でもしているかのような調子で言うが、その間にも謎の音は、千色の部屋の天井からも、そして受話口からも鳴り続けている。


 ざりっ、ざりっ!

 ごおおおおおおおお……!


「『うるさかった』じゃなくて、今『うるさい』んだよ。誰か客でも来てんのか?」

 今度こそそうであってくれ。頼む。

 千色はまた、誰かに祈るが――。


『ううん。一人だよ』

「じゃあ、何だよ……!」

 千色は通話をしながら、もう、部屋の出口まで後退あとずさりしている。


『あ、たぶんだけど、分かったよ!』

 電話の向こうで、引寄がぽんと膝を打つ。

 頼む。どうか、何でもない平和な答えであってくれ――。

『僕さ、引き寄せ魔法が得意だからか分かんないけど、霊とかもよく引き寄せちゃうみたいなんだよね。だから、霊障れいしょうとかだと思う』

 最悪の選択肢を正解として発表された千色は、その場にくずおれる。


 霊とかだった!

 怖い音は霊障とかだったよ!


 しかし、絶望する千色をよそに、引寄は気楽そうに喋り続ける。

『うん、確かに、今日はちょっと騒がしいねえ』

 って、じゃあ、今まで上の部屋から聞こえてた音の中には、ずっと霊障の音も混ざってたってことだよね!

 もう一段階深く絶望する千色を放置して、引寄はなんと、電話の向こうで千色の知らない誰かと喋り出す。


『ねえきみ、うん、そこの綺麗なお姉さん。どこから来たの? あ、あの廃村はいそんね! ねえ千色君』

 誰かと喋っていた引寄は急に、また千色に話しかけてくる。


『僕さ、考えてみれば先週末、友達と心霊スポットの廃村に行ってきたの! みんな、そこから来た霊みたい!』

 そう言われても。

『でも、大丈夫! 霊はいるだけだから! ほら、インターネットの住民みたいなさ! 優しい霊も、やいのやいの言いたがる霊もいるけど、基本的にはいるだけだから!』

 そう言われても。


 ――防魔高校での狂った生活だけでなく、級友が連れてきた霊との生活にも慣れなければならなくなった千色は、涙を流しながらベッドに戻るのであった。




 おまけ ~翌朝の教室にて~


 千色 :「夜火丸、お前さあ、遊び感覚で心霊スポットなんか行くんじゃねえよ」

 夜火丸:「え? 僕が心霊スポットに行ったこと、なんで千色君が知ってるの?」

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