第7話 魔法の使い方

『まり子ちゃんの表皮に寄生しとるクオデラ線虫ちゃんたちの一部が、未熟な鍵開け魔法に当たったことでガラッと姿を変えとる!』

 本間の言葉で、クラスメイトたちの意識が一斉に千色に向けられる。

 ――今日の昼休み、ナナホシガエルのケージの鍵を手に入れられなかった千色は、職員室にマスターキーを借りにいく面倒を惜しみ、先週『防衛魔法』の授業で習ったばかりの鍵開け・鍵閉め魔法を使って南京錠なんきんじょうを開け、カエルの世話をしたのだった。


 千色の得意な変身魔法でも、鍵を開けられないことはない。

 しかし、例えば南京錠をマシュマロに変身させ、扉の金具に食い込んだマシュマロをちぎって扉を開けた場合、その後で『ちぎれたマシュマロ』に変身解除魔法をかけても、『ちぎれた南京錠』にしかならない。

 また、変身魔法は修復魔法とは違って、基本的には効果が永続しない。『ちぎれた南京錠』を『ちぎれていない南京錠』に変身させても、時間の経過によって、いずれは『ちぎれた南京錠』に戻ってしまう。

 そして千色は、修復魔法は苦手だ。

 だから千色は、何となくでも成功した経験のある鍵開け魔法を使ってしまったのだ。


「ごめん、みんな……」

 このような事態になった責任は、全て千色にある。素直にマスターキーを借りにいっていれば――。

『謝罪はいいの!』

 言ったのは言ノ葉であるが、千色から見えるクラスメイトたちも皆、怒ってはいない。――今は、この事態を収めることが最優先だからに違いない。

『無裏君がね、「変身解除魔法で寄生虫を元に戻せ」って!』

「そんな……」

 その表皮に寄生する形でナナホシガエルと片利共生へんりきょうせいしているクオデラ線虫は、普通、顕微鏡を使わなければ見ることができない。

 そして千色はまだ、目に見えないものを変身・変身解除させられたことがない。クオデラ線虫がまり子と共に巨大化していてくれれば良かったのだが、千色の下手な鍵開け魔法はクオデラ線虫の大きさではなく、姿だけを変えてしまったらしい。

 それに、クオデラ線虫の形だけでなく遺伝子までが変わってしまっているとなれば、尚更なおさら千色の手には負えない。


「のんびり話し合ってる暇はねえぞー!」

 防護壁の内側に反響した西空の肉声に、千色は慌ててまり子と龍郎の攻防に視線を戻す。

 再びの水蒸気爆発。

 そして、見たこともないドラゴンに追い詰められ、何度も炎でおどかされてパニックにおちいったらしいまり子が、身体のわりに細い後ろ脚をバネにして、跳び上がる――。

 星を割ったかのような轟音ごうおん


『すみません! 防護壁、張り直します!』

 校庭の外に飛び出そうとしたまり子を、龍郎が咄嗟とっさに翼で包んで引き戻したので、まり子や校舎に被害は出なかったが、ドラゴンの分厚い翼が防護壁を粉々に砕いてしまったのだ。

 頑丈なドラゴンに大きな怪我はなさそうだが、その全身には毒や変異型クオデラ線虫を含む粘液がべっとりと付着している。そして、我内が張り直した壁は、最初のものより僅かに薄い――。

 変異型クオデラ線虫がドラゴンに影響を与えている様子は今の所ないし、防護壁も隙間なく張り直されたが、C組の生徒たちは皆、魔法体育の授業によっても疲弊ひへいしているのだ。長引かせるだけ、状況は悪くなっていく。


『ちい君! しょーき君!』

 その声と共に、まり子と龍郎に向かって弾丸のように飛び出していったのは――。

 乙盗だ。


『魔力と内申点、もらうよぉーっ!』

 若干生々なまなましい内容が入った宣言の直後、千色は、全身から血液を抜かれたような感覚におちいる。

 保有している魔力の大部分を占める変身の魔力とサイズ変更の魔力を抜かれた千色と大木は、その反動で箒から落ちかけるが、下方の、クラスメイト全員が見える位置で待機していた唯世ただよ浮子うきこの浮遊魔法によって、安全に箒の上に戻される。


『総員、遮光グラス装着!』

 白尾の声に、全員がほとんど無意識に、魔法で作った遮光グラスを自らの顔に装着する。

 ――防魔高校に入学した者は全員、入学直後から基本的な護身魔法を徹底的に叩き込まれている。


『おらああああああああああああああああああああ!』

 乙盗を知っている者でも乙盗のものだとは分からない野太のぶとい声と同時に、遮光グラスもまぶたも突き抜けて目を焼く閃光が、校庭の中央で爆発する。


 ――乙盗の得意とする魔法は、他人の魔力を扱う魔法だ。

 彼は他人の魔力を奪ってしまいさえすれば、その魔力を繊細に扱うことも、増幅させることも、混ぜ合わせることも、赤子の手をひねるように簡単にできる。

 乙盗が防魔高校の入学試験において、魔法の実技試験ではほぼれい点だったにも関わらず、面接の際に面接官たちの魔力を吸い上げ、わせ増幅させて発射し、面接会場として使われていた第一校舎を一瞬で灰にしたことで実力が認められ、合格したという話は、伝説として語り継がれつつある。


「……一年C組、よくやった!」

 西空の、心からの褒め言葉――。

 それと同時にC組の生徒たちは校庭に着陸すると、乙盗と、人間に戻った龍郎、そして龍郎の手の中のまり子に駆け寄って、主に男子生徒たちが二人と一匹を取り囲む。

「おとちゃんすげー!」

「乙盗君、オツー!」

「龍郎君もすごかったよー!」

「ドラゴーン!」

「まり子さんも大迫力でしたね」

「ケロケーロ!」

 ――二人と一匹の周りを囲むのは、彼らをたたえ、心配するためでもあるが――。


引寄ひきよせ! 更衣室の龍郎の制服、引き寄せろ!」

 巨大なドラゴンに変身するたびに全身の服がはじぶ龍郎のプライバシーを守るためである。

「やってみる! けど、わ、誰かのパンツまで付いてきた⁉」

「それ三年の先輩のだよ! いま水泳訓練やってるから! やべえって!」

「おい早くしろ! 校舎の窓から何人か見てる!」

「もう、破片集めて治島に直してもらう方が早いんじゃね⁉」

「治島君はまだ救護に行ってるよー!」


 千色は彼らを、遠くから見ていることしかできなかった。

 その後、乙盗は魔法の使いすぎによる疲労、まり子は軽い火傷で保健室へと連れていかれたが、千色は声をかけることも、付き添うこともしなかった。


 C組全員による温室の修復や、逃げ出した生物たちの捜索と救護、校庭の掃除と整備も終わり、五時限目終了のチャイムが鳴ると、龍郎が勝手に千色に駆け寄ってきて、勝手に宣言する。

「俺は大丈夫だ」

 千色が何も答えないでいると、龍郎は「ドラゴンは丈夫だからな」と付け足す。

 龍郎の顔や手足にはまり子の粘液がぬらぬらと残っているものの、龍郎はぴんぴんしているし、魔法の防護壁を割った両翼――両肩もほとんど無傷のようだ。橋にぶつけまくった顔面も、怪我をしたのが今朝であることが信じられない程度にまで綺麗きれいになっている。

 体操服も治島に直してもらったらしく、今や、瞬間移動で服が破けたままの千色の方がボロボロだ。


「知ってる」

 千色はそれだけ言って、スポーツ用の箒置き場に箒を片付けに向かう。スポーツ用箒置き場は通学用箒置き場よりも不便な場所にある。龍郎も当然同じ場所に向かうが、龍郎は用が無ければ喋らないので、千色は少しだけ救われた心地がした。


 しかし、どうして千色はこうも、龍郎と乙盗と違うのだろうか。学校も同じ、クラスも同じ、寮生活だって同じなのに。

 ――龍の奴。

 ドラゴンになれるなんて、かっこいいに決まっている。

 おとちんだって。

 できないことばかりでべそをかいても、いざとなれば胸を張って、他人の魔力を吸い取る寄生虫になれるなんて、もっとかっこいい。

 それに比べて自分は――。

 分かっている。

 他人と比べる必要はない、なんて、鼻をつまみたくなるほどこの世にあふかえっている言葉だ。

 分かっているのに比べてしまうから、比べなくたって自分はクズだから、苦しいんじゃないか――。

 そうして一人で黙って喋っている千色の横を、龍郎も黙って歩き続けた。


 ――と思いきや、この物語はそんなほろ苦い青春の風景には着地しない。

「なあ、千色」

 自分の箒を片付けて校舎へ向かう道中、龍郎が不意に口を開く。

「何だよ……」

 千色はまだ人と話したい気分にはなれないが、龍郎が無駄な話をすることはないので、耳だけはかたむけておく。


「ナナホシガエルのケージのじょうは、カエルの脱走事故防止の目的で付けられてるから、大した魔法け魔法はかけられてないだろ」

 確かにあの南京錠には、ナナホシガエルのちょっとした魔力に影響を受けない程度の魔法除けしかほどこされていない。だからこそ、千色の下手な鍵開け魔法でも開けられたのだ。

「『閉まっている南京錠』を『開いている南京錠』に変身させれば良かったんじゃないか」


 …………。

 あ。

「あああああああああああああああああああああああああ! そっかああああああああああああああああああああああああ!」

 大空に向かって納得と涙の雄叫びを上げた千色に、龍郎は「次の金曜から『クイズ! あたまストレッチ?』を毎週必ず一緒に観よう」と約束した。

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