第6話 まり子と龍

 落下しながら、千色は何も考えることができなかった。

 ただ、西空の魔力がこちらに向かってくるのを感じ――。

「左上! 瞬間移動!」

 千色はその声に従った。

 千色は瞬間移動魔法も大して得意ではないので、スニーカーの片方と体操服の端がいくらか元の位置に取り残されたが、乗り手が叩き落とされた場所から慣性で斜めに落下を続けていた箒の下に、移動することができた。


「掴め!」

 千色は、手を伸ばして――。

 右手の先が、かろうじて箒のに届いた。

 千色は指先に力を込めて、滑る箒の柄を引き寄せる。

 両手ともいつの間にかあふれていた冷や汗で濡れすぎていて、サドルまでよじ登ることはできなかったが、千色は手だけで何とか箒を操作し、自身と箒の落下速度を落として、校庭に静かに着地する。


 靴下とスニーカーのちぐはぐの両足で地面を踏んだ千色は、えず、さっきの声の主――龍郎に礼を言おうと顔を上げて――。

「やってみろ! 一年C組!」

 西空の楽しそうな声をBGMに、校庭の半分を埋め尽くすほどの大きさのカエルと目が合う。


 カエル……。

 でっ、か……。

「嘘だろ⁉」

 叫ぶと同時に、のんびり歩きだしたカエルの前足が真上から降ってきたので、千色は走って逃げながら、その勢いで箒に飛び乗り、上空高くで斜め上からカエルを見下みおろしているクラスメイトたちに合流する。

 危なかった――。


「これこそが、魔法防衛部隊の仕事だぞ!」

 西空の言う通り、魔法防衛部隊の仕事は国外からの魔法による攻撃に備えるだけでなく、通常の防衛部隊の手には負えないほどの大きな災害や、危険な変異型生物に関わる事件に対応することなのである――。


『通信開通!』

 言ったのは、クラスメイトのシエラ・テレーパだ。

 しかし、彼女は大声を出したわけではない。

 得意のテレパシー魔法で、クラスメイト全員の声と聴覚を接続したのだ。


本間ほんま弥音やね、温室から逃げ出した子がいないか確認してきます!』

治島なおしますなお、負傷者・負傷生物の救護に向かいます!』

 耳元で、少しなまりのある本間の声と、柔らかい治島の声が聞こえた直後、本間と治島の二人の影がクラスメイトの群れから飛び出し、地面近くで生徒たちを見守っている西空の上を越えて、カエルの背後の温室へ向かう――。


 防魔高校一年C組の生徒は、みな優秀だ。

 千色が危険を察知したときには、既に彼は動いていた。


 常に腹ペコのカエルが、羽虫のように飛ぶ本間と治島に向かって伸ばした丸みのある舌を、分厚い赤炎せきえんの壁がはじき返す。

 龍郎の箒が、千色の横を一人寂しく落ちていく。

 巨大なカエルに正対したのは、カエルよりも巨大な黒いドラゴン――。

 そのイグアナのような顔は傷だらけで、顎の下のとげには、包帯の残骸ざんがいらしきものが糸くずのように頼りなく引っ掛かっている。

 ――龍郎が得意とするのは、自身がドラゴンとなる魔法だ。


 ぐあああああああああるるるるる!

 龍郎のドラゴンが、トンネルのように太い喉を鳴らして雄叫おたけびを上げる。その口からは火山灰のような白い煙がのぼると共に、噴いたばかりの赤い炎の名残なごり幾筋いくすじも伸び、火花のように小さくちぎれて空へと舞う――。

『言ノ葉、解読します!』

 ドラゴンとなった龍郎の言葉は、言語解読魔法でしか読み取ることができない。

『無裏君、「火傷やけどさせてしまうから、牽制けんせいしかできない」とのこと!』

 火傷させてしまう、って――。


忘客ぼうきゃく奏多かなたより連絡』

 その忘客の声には、普段とは打って変わって、揺るぎない芯がある。

『この大型ガエルは、一年C組が管理しているケージにいた記憶を持っている。直接触れていないので不確かだが』

 そんな。

 昼休みに千色が見たときには、どのカエルにも異常は無かったはずなのに――。


『黄色い体色に、背中の白い星と目元の赤い模様からして、C組のナナホシガエル、まり子ですね』

 クラスメイトたちの間を左右に飛び回ってカエルを観察していた白尾が、淡々とした調子で言う。

 どのような生物であっても、不必要な殺傷さっしょうは絶対に避けなければならないが、学校で飼育している生物が傷付けられたとなると、現実的にはより多くの問題が発生する――。


我内われない壁春かべはる、本間さんと治島君の脱出を確認! 校庭の周囲に垂直方向の防護壁を張ります!』

 クラスメイトたちの頭上に上がった我内が、箒から両手を離して左右の空気を押し返すように広げ、一瞬で校庭を覆う透明な壁を張る。我内の力量でこの大きさの壁を作ろうとすれば、巨大なまり子の体当たりに耐えるほどの強度は出せないが、多少の破片や魔法であれば、外に飛散するのを防ぐことができる。


 ごおおおるるるる!

『総員、下方に退避!』

 龍郎と言ノ葉の合図で、箒に乗った全員が一斉に高度を下げる。

 次の瞬間、プールを百杯分ひっくり返したかのような量の水と高温の青炎せいえんが、上空高く、雲の真下で激突する。


 ナナホシガエルは全体的にぽっちゃりとして、走ったりんだりすることがあまり得意ではないが、驚いたときには魔力で冷水を作り出して口から吐き出し、相手を追い払おうとする行動をとることがある。しかし――。

 この大きさのナナホシガエルが水を吐き出せば、この学校全体が浸水する。

 ――それを、龍郎が火をいて水を全て蒸発させ、防いだのだ。


 だが、この量の水と炎から生まれた水蒸気の量はすさまじい。千色たちは、爆発した水蒸気によって地面に叩き付けられ――。

『ありがと黒江ちゃん!』

 元気に言った坂登さかのぼり三香みつかが、芝生の地面すれすれで体勢を立て直す。千色たちも、皆無事だ。

 今の一瞬で、白尾が、水蒸気爆発によって生まれた力の一部を逆方向にして力を均衡きんこうさせ、クラスメイトたちが自力で箒を操作できる空間を作り出したのだ。


 しかし、まだ何も終わっていない。

雨盛あまもり日照ひでる、水蒸気の量と温度を下げます!』

 雨盛の声の直後に吹いた冷たい風を合図に、一年C組の面々は再び上空に舞い上がる。


『まり子ちゃあん……!』

 どこかで乙盗が半べそをかいているが、ナナホシガエルのまり子に言葉は通じない。人の言葉や自分の名前が分かるような生物であれば、その生物がよくなついている人物が呼び掛けることで落ち着かせることもできたのかもしれないが、今回は不可能だ。


 ――どうする。

 千色の力では、あれほどの大きさのもの、しかも生きているものを、別の何かに変身させることはできない。

大木おおき小輝しょうき、サイズ変更魔法を試していますが、まり子が大きすぎて力が足りません!』

 確かに大木はさっきから、火を噴く龍郎の背後からまり子に接近しようとしながら手でサイズ変更魔法を撃っているが、まり子の大きさには一切の変化がない。

『せめて、接触できれば!』

『接触はいけません』

 大木の言葉に、ヤク獨深ドクミの、冷静で少し片言かたことの声が反論する。


『まり子さんに誤った、または悪意ある魔法がかけられているか、まり子さん自身の魔力が突発的な作用を起こしていると思われます。彼女の皮膚表面の粘液に含まれる毒が、強まっている可能性があります』

 ナナホシガエルの表皮から出る粘液には元々毒があるが、通常の状況であれば、ナナホシガエルを触った手で自分の目を触ったり、食事を取ったりせず、きちんと手を洗うようにしていれば何も問題はない。しかし――。


『本間ちゃん! ドクミ君の声、聞こえてた⁉』

 テレーパの呼びかけに、温室の本間が『聞こえてた!』と返事をする。

『そこから確かめられる⁉』

 テレーパが、まり子の背後に見え隠れする、屋根に大穴のいた温室に目をると、『やってみる!』との返答が来る。

 本間が得意とするのは、真実を見抜く魔法だ。

 魔法を使う本人の知識に無いことは分からないなど、発動や使い方が非常に難しい魔法であるが――。


『……毒の性状に変化はないけど、まり子ちゃんがでっかい分、粘液自体の量が増えとるから、それは気を付けて!』

 確かに、龍郎の炎がまり子を後退させるたびに、まり子の粘液と土と芝が混ざった液体が、校庭に巨大な池を作っている――。


『あと、まり子ちゃんの表皮に寄生しとるクオデラ線虫ちゃんたちの一部が、未熟な鍵開け魔法に当たったことでガラッと姿を変えとる! しかも遺伝子から! その変異型クオデラ線虫ちゃんたちが何にどんな影響を及ぼすか分からんから、ゼッタイに触らんようにして、まり子ちゃんと一緒に元に戻して!』

 未熟な鍵開け魔法――。

 この緊急時によそ見をする者はいないが、千色はクラスメイトたちの意識が一斉に自分に向けられるのを感じる。

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