第4話 詐欺師

「木を隠すなら森の中、って言うでしょ」

 乙盗は、チキンカツカレーライスで汚れた銀色のスプーンを、千色と龍郎の顔の前で遠慮なくぶんぶん振りながら、喋りだす。

「この学校は国立だし、先生方もエリート揃いだから、国が持つ莫大ばくだいな資産を安全に隠しておくのにうってつけなんだ」


「資産?」

 首をかしげる千色の横で、龍郎は数分前から格闘していた顔の包帯をようやく一部ほどくことに成功し、伸びきったかしわ天そばをすすって、「伸びてるな」という感想を述べる。――良かったな、龍。お前は今日、初めてまともに喋ったぞ。


「そう。でも、それを知っているのは一部の上層部の先生だけ。森野先生でも知らないよ」

 乙盗は二人の前からスプーンを引っ込めると、それでカレーの人参にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、ルウを順にすくって口に入れ、次にカレーとライスの境界にかったチキンカツの一切れを器用に掬って口に入れ、ライスを三杯掬って口に入れ、最後に無計画な量の福神漬けを掬って口に入れる。

「ふむみょむもぐもぐ」

「誰かしらがもごもご言ってないと気が済まねえのかよ」

 乙盗は千色を無視して、チキンカツカレーライスでいっぱいの口で数分間もごもご喋り続けると、「つまり、これなの」と、汚れたスプーンを再び二人の目の前に突きつける。


「何が『つまり』だ。お前の話、九割聞き取れなかったぞ」

 千色は視界に染み付いた汚いスプーンの映像を消そうとしながら、自分の唐揚げ定食の味噌汁をすする。

 この学食のメニューは高校生の健康と空腹度合いを考えて作られており、どのメニューにも炭水化物、蛋白質たんぱくしつ、野菜がバランス良く、かつたっぷり含まれている。乙盗のカレーはもちろんそうだが、龍郎のかしわ天そばにも焼きネギやワカメが山盛りに乗っていて、千色の唐揚げ定食の味噌汁にはアスパラガスとツナが煮物レベルの量で入っている。


「このスプーン、見て」

 乙盗はもう一度チキンカツカレーライスの全ての要素を一口に楽しんでから、スプーンを人差し指の先に乗せる。スプーンの持ち手の根本の方、山なりのカーブを描いている部分の裏側を、指の腹に乗せた形である。


「……この食堂にあるスプーンの中で、指一本でこんなに安定するのはこれだけなんだ」

「え?」

 千色は身を屈めて、乙盗の指に乗ったスプーンを真横から見る。

 スプーンは乙盗の指一本の上に乗ったまま、居心地良さそうに安定しているが――。


「他のスプーンと比べてみると分かりやすい。ねえ、ちょっと貸してぇ」

 乙盗は急に振り返って、偶々たまたまそこにいた見ず知らずの二年生が持っている盆からスプーンを取ると、困惑する二年生に勝手に「ありがとう!」と笑顔で感謝して、千色と龍郎に向き直る。

 見ず知らずの二年生に向けた笑顔は、消えている。


「見ててね」

 乙盗はカレーで汚れたスプーンをカレー皿に戻し、次は今さっきさらってきた綺麗なスプーンを、同じように指先に乗せる――。


「うわ、マジだ⁉」

 千色は、見た。

 綺麗なスプーンは、初めこそ指の上で安定するかに見えたが、すぐに掬う側の方が下に傾き、からんからんとけたたましい音を立ててテーブルに落ちたのだ。


「ありがとねぇ」

 乙盗はまだ困惑している二年生に、にこやかにスプーンを返すと、千色と龍郎に向き直って、組んだ手の上にあまりシャープではないあごを乗せ、目を細くして意味ありげな笑みを浮かべる。

「この食堂にある一九五六本のスプーンの中に一本だけ、特別な魔法がかけられたスプーンがある」

 乙盗は語りながら、カレーまみれのスプーンをかかげる。


「そのスプーンは、たった一グラムが数億円で取引される希少な金属、レジメトニウムでできている。これはさっき話した通り、国の資産を安全に隠しておくために、この食堂のスプーンにそっくりなスプーンをレジメトニウムで作って、紛れ込ませてあるってことだよ。このことは、もちろん生徒や部外者にばれてはいけないけれど、普通のスプーンと混ざって完全に分からなくなってしまっても困るから、五代前の校長が魔法をかけて、ある一定のやり方を試したときにしか違いが出ないようにしたんだ。それが、この方法」

 乙盗は再び、汚いスプーンを指の腹に乗せる。

 ――完全に安定している。


「持ち手に彫られている小さな丸い模様の、九つめ。規定以上の魔力を持った者がその模様の下に指を当てると、スプーンにかけられた魔法とその人の魔力が共鳴し、接続されて、動かなくなるんだ」

 千色は「うわぁ……」と言うことしかできない。が――。


「おとちん、スプーン取るときに試してなかったよな?」

 千色の記憶では、乙盗は料理を受け取るレーンの最後で、スプーン入れから適当な一本を選び取っているように見えた。それなのに、乙盗は最初からそのスプーンが自分の手元にあることを知っていたようだった。


「それはね、一九五六本のスプーンが使われて洗われてまた使われる歯車と、ぼくが週に三回カレーを食べる歯車が、完全に一致してるからなんだ」

 乙盗はまたチキンカツカレーライスを最大限に楽しみつつ、胸ポケットから生徒手帳を取り出して、メモ用のページに何やら複雑な図や式を書きながら、あれこれと説明し始める。

「……で、つまり」

 乙盗は長い説明を終えると、複雑な図の中に赤ボールペンで書いた二つの点を、深爪の指先でとんとんと叩く。

「こことここがぶつかるのが、休日を含めて十八日に一回ってこと。だから、この学校の中でぼくだけが、十八日に一回という一定の周期で、そのスプーンを取ることができるんだ」


「それが今日ってことか!」

 随分ずいぶん前から食事のことなど忘れていた千色は、テーブルをひっくり返しそうになりながら立ち上がる。

 ヤバい。

 ヤバすぎる。

 乙盗がその特別なスプーンを定期的に、確実に入手できるのならば、いつかこっそりそれを持ち帰れば――。


「……やっぱ、やめとくわ」

 千色はしょんぼりと席に座り直して、食事を再開する。

「なんか、すげえ国際問題になりそう」


 乙盗はそんな千色を上目遣うわめづかいに見ながら、「ちい君はマジメだねぇ」と言って、特別なスプーンで美味おいしいチキンカツカレーライスを美味しく食べる。


 千色は龍郎から、「お前は知らず知らずのうちに詐欺の片棒かたぼうかつがされるタイプだな」と言われるまで、乙盗の話が全て嘘であることに気が付かなかった。

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