光明

 

 どこか遠くで、車の音が聴こえた。

 柵の外には他のビル群が並んでおり、空には星が輝いている。

 先程まで屋上に広がっていた、が溶けた肉塊も、跡形もなく消失していた。

 廃ビルにかかっていた魔法が解けたのだろう。


 ゲームは終わったのだ。


 それでも僕は、暫くの間、その場に蹲っていた。

 

「う、うう……」


 微かな呻き声に、僕はハッとなった。

 地面に倒れていた蒼梧が、ゆっくりと上体を起こしている。


「そ、蒼梧——」


 僕は、慌てて蒼梧の元へと駆け寄った。

 

「だ、大丈夫?」

「ああ……一瞬気を失ったけど——怪我も、大体治った」


 頭を軽く振りながら、蒼梧が答える。

 よく見れば、頬にあった瓦礫がれきがかすった傷も、すっかり塞がっていた。

 蒼梧のことだから、生きてはいると思っていたが——まさに驚異の回復力だ。


「それより——お前は、大丈夫か?」

「え?」

「ひどい顔してるぞ」

「ぼ、僕は——」


 大丈夫。

 そう答えようとして、僕は声を詰まらせた。

 魔女の囁きが、脳内に反響する。


 ——小娘が死ぬのは、あんたのせいだ。


 死ぬ?

 由宇が?

 魔女が殺すのか?

 由宇の悪夢で見た、女達の様に?

 僕のせいで?

 僕のせいで、由宇が死ぬのか?


 僕は——僕は、怪我一つ負っていないのに?


「あ——ああ——」


 口から嗚咽が漏れ、視界が涙で滲む。


 どうしてあの時、僕はびびった?

 簡単だ。

 死ぬのが怖かったからだ。

 でも、今は違う。

 自分が生きているのが許せなかった。


「——ああああああああああああああああああああッ!」


 僕は、地面に突っ伏して泣き叫んだ。


 この命と引き換えに由宇を救えるのなら、いくらでも差し出すだろう。

 しかし、僕が死んだところでどうにもならない。

 由宇は、どこかへ連れ去れてしまった。

 おそらく、魔女が住んでいるという〝境の世界〟だろう。

 もはや、どうすることも——


「——境の、世界」


 僕は泣くのやめ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をあげた。

 どうした、と不安げな顔をする相互に、僕は答える。


「まだだ——まだ、方法はある!」


 諦めるのは、まだ早い。






 僕と蒼梧は、夜の住宅街を自転車で走っていた。

 同じところをぐるぐる回ったかと思えば、時折来た道を引き返す——

 僕はまだ、サビ猫のオーマに教わった異界への道順を覚えていた。


 鳥居を潜り、境の世界へ行って、由宇を取り戻す。

 冷静に考えれば、無茶もいいところだ。

 大体、あの世界がどれくらいの広さなのかもわからないのだ。


 しかし、僕は冷静ではなかった。

 冷静でなどいられなかった。

「できるかできないか」ではない。「やるかやらないか」だ。

 可能性が僅かでもある限り、僕は止まるわけにはいかなかった。

 

 記憶を頼りに、僕達は何とか例の鳥居まで辿り着いた。

 しかし——そこには、先客が居た。






 道路の端に、白と黒、二台のバンが停めてあった。

 地面にはポータブル投光器が何台か置かれ、鳥居の周囲を明るく照らしている。


 その灯りの中、黄色い化学防護服のようなものに身を包んだ人達が数名、何らかの作業をしていた。

 ガイガーカウンターに似た装置で何かの値を測っている人もいれば、路上に座り込み、ノートPCを操作している人達いる。


 僕らは、彼らから少し離れたところで自転車を降りた。


「あれは?」


 蒼梧の問いかけに、


「わからない」


 と首を横に振る。

 ここには、進む順序を守らねば辿り着けない——オーマはそう言っていた。

 そしてその順序は、間違って偶然行きついてしまうこともあるような、単純なものではない。


 果たして、彼らは何者なのか?

 いや——何者であろうと関係ない。

 こうしてぐずぐずしている間に、由宇がどんな目にあっているか——


 覚悟を決めた僕が、彼らに近づこうとした、その時だった。

 白いバンの扉が開き、一人の男が出てきた。

 他の人達と違い、防護服ではなく、スーツを着ている。

 男はこちらを見るなり、僕を指差して叫んだ。


「あっれえ!?君、今朝の子じゃん!」


 それは、登校中に僕に道を尋ねた二人組の一人。

 飄々ひょうひょうとした、茶髪の男だった。

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